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社会と政治

国際化

23日の読売新聞夕刊は、「ルポ、過密刑務所」で、受刑者にいろんな国の人が増えている実情を、報告していました。府中刑務所では、3,200人を収容していますが、内550人が外国人です。驚くのは、その多様性です。46か国、35言語の人を収容しています。セネガルのウォロフ語、ウガンダのルガンダ語は、私も初めて聞きました。通訳の確保が大変です。また食事や文化への配慮も必要です。豚肉を食べない、断食月があるイスラム教徒や、菜食主義者などです。国際化は、いろんなところに表れています。(1月24日)
25日の朝日新聞は、愛国心に関する世論調査を載せていました。日本に生まれてよかったが94%、すべての年代で9割を超えています。よくなかったは、わずか3%です。愛国心があるは78%、ないは20%です。外国の軍隊が攻めてきたら、戦うが33%、逃げるが32%、降参するが22%でした。(1月27日)
12日の日経新聞「インタビュー領空侵犯」に、森雅彦森精機製作所社長が「景観規制、経済にプラス」を書いておられました。
「奈良公園、橿原神宮、明日香村などを結ぶ幹線道路の風景は、ガソリンスタンドののぼり旗、消費者金融、パチンコ、ラブホテルなどの派手な広告が野放しでぐちゃぐちゃです」。私もかねがね思っていました。この道路は国道24号線で、子どものころ父親の自動車に乗せてもらい、良く通った道です。それは、日本各地にある、郊外の国道沿いの風景です。
違う点といえば、そこが記紀万葉のふるさとである、いろんな遺跡や景観(大和三山、三輪山、青垣山など)がある場所だということです(すみません、それぞれの地にそれぞれの歴史があるのですが、自分の生まれ育ったところに思い入れがあるので)。私の子どものころに比べ、近年はそのけばけばしさが激しくなっています。日本の経済成長と景観の美しさは、反比例したようです。衣食足って礼節知る、ではなかったです。
次のようにも、言っておられます。「たとえば米国人が、工作機械の買い付けで1千万円の予算でドイツを訪れたとしましょう。フランクフルト空港からシュツットガルトへ、2時間くらい車で移動する。回りの風景がとても美しく、心もなごみます。価格交渉で『上乗せしてもやむを得ないか』という気持ちにもなります。日本ではどうでしょう。『何だこの道路の風景は。本社の前にラブホテルまである。こんな企業からなら800万円くらいで買えるかもしれない』と考えても不思議ではありません」。そうですね。このような経済効果だけでなく、日本人というものを尊敬してもらえないですよね。(2月12日)
9日の朝日新聞三者三論は、移民国家ニッポン?でした。宮島喬さんの発言から。
「日本を労働鎖国と呼ぶ人がいるが、この認識は正しくない。不法滞在を除いても、すでに60万人ほどの外国人が働いており、数の上では開国状態と言える。問題はその実態である。日本政府は治安や文化的摩擦などへの警戒心から、単純労働者は受け入れないことを基本姿勢にしてきた。一方、製造業などの人手不足を補うために90年代、南米出身の日系人を就労制限なしで受け入れたり、技能実習と呼ぶ制度を設けたりして、単純労働に就くことを実質的に認める迂回ルートを作ってきた。・・・迂回ルートで来日した日系人は、子どもを産み育て、滞在が長期化する傾向にある。こうした現実を知りながら日本政府は、定住を認めるような移民国になることへの国民的合意がないことを理由に、社会的に受け入れる制度作りに背を向けてきた。その影響は深刻になっている。もっとも問題なのは教育だ」
「日本でもまもなく、日系人の子どもたちが大人になる時期を迎える。彼らを孤立させないための社会の変化は不可欠である。その一つとして、日本人の多様化は避けて通れない。米国ではイタリア系米国人、中国系米国人といった呼称が当たり前になっているが、日本にはこれに対応する言い方はない」
この問題は、各省の谷間に落ちてしまっています。私は、早く、定住外国人担当官庁をつくる必要があると考えています。(2月14日)
16日の朝日新聞三者三論は、「膨らむ生活保護」でした。
湯浅誠さんの発言から。
15~64歳の稼働年齢層といわれる人の申請が、すんなり通ることはまずない。財政上の制約に加え、社会保障の現場にまで自己責任論が入り込んでいるからだ。こうした運用が許されてきたのは、国に代わり、最低限の生活を保障する存在(家族、地域、企業)があったからだ。これらの機能が小さくなり、期待できるのは公的扶助だけなのに、国は制度を充実するどころか、生活保護費の引き下げを目指している。アメリカでは最低生活に必要な所得を公的な「貧困線」と定めて周知し、自分が貧困かどうかが分かる。イギリスやドイツは、生活困窮世帯が何世帯あり、うち何世帯が生活保護を受けているかという「補足率」を公表している。日本ではこれらをしていない。知らせると対策を迫られるので、貧困を意図的に隠しているとしか思えない。
野田誠大阪市担当部長は、現場の実情を踏まえ、市長会の提案している生活保護制度改革のポイントを紹介しています。
受給世帯の半分を占める高齢世帯は、経済的自立が無理なので、別制度に移行させる。生活保護水準が、非正規雇用者の収入や最低賃金に比べ高いので、自立しようとしない、自立が難しい。これらの釣り合いを取るべき。ニートやワーキングプアは元気なうちは良いが、将来の生活保護予備軍である。保護になる前に、脱出させる仕組みが必要。自立できる可能性のある人に先行投資をすることは、長い目で見ると費用対効果で優れ、国の活力なる。(2月17日)
17日の朝日新聞夕刊は、社会的企業を取り上げていました。福祉、教育、貧困、地域再生など、社会性の高い課題に取り組む団体です。利益を上げないと事業は継続しませんが、利益を目的にしていません。形は、株式会社やNPO法人などです。記事では、病児保育を支援するNPO法人、老人ホーム紹介をビジネスにする会社、ニートにインターネットラジオで情報を提供するNPOなどが紹介されています。(2月17日)
19日の朝日新聞「時流自流」は、本田由紀さんの「企業の家族依存を正せ」でした。
新規学卒採用の活発化が報道されているが、今後の若年雇用に楽観的な見通しを抱くことはできない。その理由は、年長フリーターの存在だけではない。第一に、今後も不安定就業や無学のまま離学する層が、一定規模で生み出されると予想されること、第二に、離学後に正社員の雇用を得ながらも、その後に非正社員や無業へと離脱する層が増加していること、第三に、非正社員の処遇に改善の兆しが薄いこと、を指摘しておられます。
そして、低収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模になっていることについて、なぜそのような事態が社会全体で成立可能なのかを問うておられます。若者に対して批判的な論者は、若者が親に依存し寄生してあくせく働かないからだと説明してきた、しかし、現実はそのような個人単位の説明を超えた規模になっている。社会的に見ると、個々の若者が親に依存しているのではなく、経済システムが家族システムの含み資産(親の収入や住居)に依存しているのだ、という説を紹介しておられます。これほどの大量の低賃金労働者が暴動にも走りもせず社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在に企業が寄りかかることにより、彼ら生活保障に関する責任を放棄した処遇を与え続けることができているからなのだ。
この事態を一体どうするのか。「再チャレンジ」政策や「成長力底上げ戦略」は、機会の実質的な拡充を伴わないままに、問題を個人の努力というミクロ次元にすり替える結果に終わることが危惧される。マクロな次元の社会設計として、企業が労働者に対し果たすべき責任を完遂させる強力な枠組みが不可欠である。また企業と家族以外に個人にとって安全網となる制度を公的に手厚く整備する必要がある・・・詳しくは原文をお読みください。

国際化

日経新聞10日「成長を考える」は、医療=産業論でした。詳細は本文を読んでいただくとして、私が考えたのは、その中の「患者は空を飛んでいく」についてです。記事では、日本人が視力回復治療のために、年間1万6千人もの人が、タイのある病院に行くのだそうです。日本の半額で、できるのだそうです。
グローバル化によって、いろんなものが国境を越えて移動します。足の速いのは、お金や情報です。国境をものともせず、動き回ります。次に物です。工業製品を輸出し、農産物などを大量に輸入しています。いくつかは関税で守られていますが、経済の論理では早晩自由化されるでしょう。
人については、「輸入」を限定している日本では、まだ国境が高いと思っていました。しかし、労働力に着目すると、工場を海外に移設し現地の労働力を雇うことで、事実上の労働力の輸入になっています。また、コールセンター(電話受付)を海外に移す場合は、もっと見えやすいです。その分、日本の労働者が失業したり、低賃金になりました。近年の労働に関する問題、すなわち給与が上がらないこと、失業者が多いことは、ここにも大きな原因があります。
土地は輸入できないものですが、これもその機能はすでに輸入しています。農産物を輸入しているのは、海外の農地を借りて生産していることです。数年前にネギの輸入、セーフティガードの発動が問題になったのは、これです。ネギ苗は、日本から持って行っているのです。中国の土地と労働力を日本に持ってこずに、現地で使っているのです。
対人サービスが、輸入できないものとして残ります。しかし、この記事を読むと、医療サービスも国境を越えているのですね。もちろん、そこまで金を出さない診療は、国を越えないでしょうが。
11日の日経新聞は、「動産担保融資、地方で急増」を伝えていました。これまで日本の銀行は、土地を担保にするか、借り主・保証人に責任を負わせてきました。土地本位制・右肩上がりの時は、これでよかったのでしょう。しかし、右肩上がりでなくなったときは、もはや土地と保証人では融資する先がありません。融資される方も、土地がないと金を貸してもらえないようでは、事業を起こすことはできません。ちなみに、日本では学校を作るときも、土地と建物が必要です。でも、学生が求めるのは、教育内容であって、立派な建物でなく借り上げ校舎でも良いんですよね。
このような変化も、日本が経済成長・発展途上国を終えたことによるものです。もっとも、私の友人によると、「銀行の多くも、土地なら評価は簡単だけど、事業の評価は慣れていないからねえ・・」とのことです。それに加えて「官庁だって、予算と定数で評価していたじゃないか。お互い様だ」という批判もついていました。(1月11日)
13日の日経新聞「世界を語る」は、フランスのジャック・アタリ氏の「グローバル化の将来は。市場と民主主義、両立がカギ」でした。
アメリカ主導のグローバル化について、次のように語っています。
「次第に勢いを弱めながら、あと30年といったところか。世界中に市場経済と民主主義による統治の仕組みを広げようと、必死にヒトやカネを投じて本国は疲弊した。ローマ帝国が東西に分裂した後も、法の支配、軍隊の組織といった遺産が、社会のインフラとして受け継がれた。米国が打ち出した市場経済と民主主義の基本原則も、米国の盛衰にかかわらず残っていく」
市場経済と民主主義の相互の関係については、「市場経済と民主主義はそれぞれ普遍的な価値観、社会の仕組みだが、放っておくと市場経済が民主主義を駆逐して、民主主義が廃れる恐れがある。市場経済が地域や分野を問わず拡散する特徴を持つのに対し、民主主義は特定の国家権力の及ぶ領土に限られたものだからだ」「民主主義を懸命に支え、もり立て、市場経済と競合できる対等な関係を保つことだ。二つを不可分に結びつければ、グローバル化は世界にとって脅威ではなく、福音となる」

人口推計

20日に、将来推計人口が発表されました。各紙が大きく報道しています(うーん、これも、厚生労働省のHPからはなかなか見つけられず、グーグルから探した方が早かったです)。出生率が1.39から1.26に下方修正されました。もっとも、2005年実績が1.26でしたから、そんなに驚く数字ではありません。このあと、1.21まで低下するそうです。しかも、これは中位推計で、低位では1.06です。これまでの推計が毎回外れて下方修正されたことは、このHPでも書きました。これまでの実績からすると、こちらの方が当たるかもしれません。
例えば、21日の読売新聞をご覧ください。大きく解説しています。人口ピラミッドは、提灯型から逆三角形になります。この図の他に、1970年頃、日本がまだ若かったころのピラミッドを並べてくれると、わかりやすいのですがね。次回はお願いします、石崎浩記者。
私は講演会で、今発行している国債は60年償還であること、今年私の給料や市役所職員(このHPを読んでいるあなたです)の給料に当たっている赤字国債の償還には60年かかること、すなわち2066年までかかることをお話ししています。そして、そのころには人口は8,000万人まで減り、高齢者は40%になるとも、しゃべっています(「新地方自治入門」p114)。講演ではおもしろおかしくしゃべっていますが、本当は怖い話なのです。このような状態で、年金をこれまで通りもらおうというのは、虫のいい話です。膨大な借金は残すわ、それを払う人口は減るわ、それで年金を支えよと。子どもや孫は怒るでしょう、「あのころの日本人は何をしていたんだ」と。(12月21日)
21日の日経新聞経済教室は、山口一男教授の「人口減少下の少子化対策。柔軟に働ける環境、主眼に。両立支援より効果」でした。
OECD諸国が1970年代に出生率低下を経験したが、その後は国によって違う。80年以前は女性の就業率が高い国ほど出生率が低かったが、80年代に逆転し、90年代以降は就業率の高い国ほど出生率も高くなっている。そして、女性就業率が高く出生率も回復した北欧諸国、就業率が増加し出生率は増加か低下が穏やかな英語圏諸国、就業率が上昇し出生率が低下した日本と南欧諸国に分類しています。
その要因は、柔軟に働ける社会が実現することであり、育児と就業の両立支援より効果があるとのことです。第2子を生むかどうかは、妻の結婚満足度に大きく影響を受け、それは平日の食事とくつろぎを夫婦で一緒にするかや、対話時間、夫の育児分担など日常生活の過ごし方によるのであって、夫の収入の多寡によるのではない、との分析結果が出たそうです。
納得します。かつてもてはやされたモーレツ社員や、残業時間を誇る官僚は、失格です。(12月24日)
27日の日経新聞は、「社会起業家、各地で芽吹く」を紹介していました。社会起業家とは、福祉や環境、まちづくりなど地域や社会の問題解決を、ボランティアでなく事業として目指すものです。NPOだけでなく、会社にして経営するのも増えているとのことです。それら企業・団体を表彰する「ソーシャル・ビジネス・アワード」も始まっています。

社会と政治8

読売新聞は13日から、「百貨店の挑戦」という連載を始めました。これまで有名ブランド店を入れることで客を集めていたのが、ブランド店が自前の店を開くことで、集客効果が薄れました。そこで、そのような「場所貸し業」から脱皮しようという動きです。
10年ほど前の小話に、近年もっとも地位を落とした業種として、一にデパート、二に銀行、三に官僚というのがありました。実は、この3つが取り上げられたのは、小話でも偶然でもないのです。共通点は、発展途上国・経済成長期に輝き、成熟すると(そのままでは)不要になることです。
銀行は企業に対しお金を貸すことで、産業を育成します。途上国では資金が足りず、銀行の役割は大きいのです。しかし、経済成長することで資金も豊富になり、また企業も株式や社債で直接資金を調達するようになります。企業にとっての銀行の役割は低下します。それが、先年の銀行の倒産です。
一方、デパートは豊かになる消費を見せてくれるところでした。お子様ランチのある食堂、電化製品・家具・食器・衣類・化粧品と、貧しい時代の人たちにはあこがれの品が並んでいました。しかし、日本が豊かになることで、デパートの品はそんなにあこがれではなくなりました。もっと高級な品は、専門店にあります。デパートの食堂より立派なレストランがたくさんできました。
官僚は、貧しい後進国を先進国に追いつかせるための設計士でした。これもまた、追いついたことで、従来の役割は終わります。発展途上国としてみると、銀行が生産側の代表、デパートが消費の代表、官僚が政治行政の代表だったのです。そして、経済成長に成功することで、それまでの輝きは失われたのです。生き残りのためには、別の道を探す必要があります。(12月13日)
17日の朝日新聞「補助線」で、辻陽明編集委員が「キーワードはCSO」を書いておられました。公民館が地元若者の団体運営に代わってから、がぜん活気が出て、貸し会議室から子ども達の遊びの場に変身したとのことです。そうですよね、公民館って使ってもらってなんぼのもので、大きさや立派さで勝負するものじゃないですよね。箱物行政の貧しさは、ここにあります。かといって、行政が人集めをするのも行き過ぎだし、税金の無駄遣いでしょう。
このような動きを生み出したのは、指定管理者制度です。しかし、辻記者も指摘しているように、企業に委託することで経費削減を目指すものと、市民団体に委託することで参加の輪を広げるものと、違った目的・ふさわしい施設があるようです。CSOとは、Civil Society Organization 市民社会組織で、NPOやNGOという括り方と違い、市民の自発的・公共的な活動を基準にした言葉とのことです。市役所と市民団体との関係は、「新地方自治入門」第8章で解説しました。

教育ーどのような人材を育成するのか

10日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生が「高等教育こそ取り上げを」として、教育改革について述べておられました。
「確かに、幼い子どもの教育は多くの国民の関心事であるが、これはいわば入り口の問題である。しかし、入り口ばかり問題にして出口がはっきりしないということは、議論の本位が定まらず、バランスを欠くことにならないだろうか。実際、万事につけ閉塞感というものの一因は、まさにこの出口の不透明さに起因するのではなかろうか」
「首相官邸が教育問題に乗り出す以上は、出口論こそは最大の関心事にふさわしいのではないか。なぜならば、それは将来の社会的ニーズの見定めとそれに必要な人材の供給、さらには国際的競争力の維持に直接に関係するからである・・グローバル化の時代にあっては、人材政策なくしてほとんど何も将来展望が開けないことは、今や各国共通の認識である。この点、日本政府は極めてのんきと言われても仕方がない」
「大学時代の話になると、『自分はいかに勉強しなかったか』を誇らしげに語ることが-テレくささに促されてのことであろうが-当たり前のような風土のところで、次の世代がとまどうのも無理はない。出口をはっきりさせずに、がんばれというのは、もはや通用しない昔の贅沢である」