「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

最も世界とつながった国が最強に

25日の朝日新聞オピニオン欄は、アンマリー・スローター米国国務省政策企画局長のインタビューでした。彼女は、軍事力でなく世界と最もつながった国が最強のパワーとなる、と主張しています。
・・21世紀でも、米国は唯一の中心ではないにせよ、中核的な存在であり続けるでしょう・・伝統的な地政学的な見方では、アジアは興隆し、欧州は衰退し、米国はその中間に位置するということでしょう。確かに国家や軍事力は非常に重要ですし、紛争も絶えません。しかし、これからの時代を特徴づけていくのは、国家が別々ながらも互いに依存し合う単なる相互依存だけでなく、相互につながっていることなのです。ネットワーク化された世界では、結果達成を可能にしてくれる官民や市民社会のアクター(行為者)とどれだけつながっているかが、パワーを左右します。この点で、米国はなお、こうしたアクターと最もつながっている、唯一の国だろうと思います。
・・私が「つながっている」と言うのは、グローバルにつながっている、という意味です。国内だけでなく地球規模で、人的に多様につながっているということです。そうした多様性には、新たな考えや活力を吸収し、アイデアや製品や人々を魅力的にし、また人々を引き付けるという、とてつもない力があります。そんな結びつきは、開かれた社会でこそ起きます・・

ネット帝国主義、利益を吸い上げる仕組みと安全保障上の危険

20日の朝日新聞オピニオン欄は、岸博幸慶応大学教授の「米国発のネット帝国主義を許すな」でした。
・・グーグルやヤフー、アマゾン、ツイッターなど、私たちがネット上でよく使うサービスの大半は、アメリカ企業が提供するものです。彼らは世界規模でシェアを広げ、世界中の人たちが依存しないではいられなくなった。その結果、ネット上では、米国企業にお金を吸い上げられる仕組みが世界的にできあがりました・・
(クラウド・コンピューティングについて)・・政府や自治体、企業は自分たちの重要な情報を海外の、どこの国にあるのかわからないサーバーに預けるリスクをどこまで意識しているのかな、と思います。・・機密情報を「雲」の向こうに預けて、その先はわかりません、というのは不用心すぎます。情報が見られてしまうリスクはゼロにはならない。米政府はクラウド・コンピューティングを利用する際、サーバーは米本土にあることを求めています。ハワイですらだめなんです・・

省資源・省エネ

週刊「東洋経済」5月22日号に、節水トイレの記事が載っていました。かつて1回に20リットル使っていたものが、現在では5リットルで流せるようになったそうです。TOTOのホームページに、その進化の状況がグラフになっています。すごいことですね。4分の1ですむのですから。世界には、水不足で困っているところも多いです。水洗便所が普及する際に、大きな利点ですね。
冷蔵庫やエアコンも、消費電力が大幅に減ったと聞きます。自動車のエンジンは、どの程度燃費が良くなったのでしょうか。これも企業間の競争で、格段と良くなったと思います。

日本人論

11日の朝日新聞「舟橋洋一が聞く」は、シンガポールのリー・クアンユー元首相へのインタビューでした。リー首相は、ルック・イーストを掲げ、日本をお手本として国家の発展を進めた方です。アジアの指導者が、日本と世界の将来、そして日本がなすべきことを、どう考えているかを知ることは、大切なことだと思います。もちろん、外国人の話を盲目的にありがたがることは、私は反対です。しかし、外国の有識者の厳しい意見にも、耳を傾けるべきでしょう。
その点で、日本人は、日本人論が好きだという説があります。私は、「これまでの外国人による日本評、あるいは日本人による日本人論は、日本をほめて欲しい、日本だけが特殊だという説を補強するために利用されることが多かった」と考えています。アジア各国が経済的にテイクオフしない時、「日本だけが非白人国で経済発展に成功した」とほめて欲しかったのです。それは、日本人の自意識をくすぐります。だからこそ本が売れるのです。たぶん、これまで流行ったほどには、今後は日本人論は流行らないと思います。悲観論は流行るでしょうが、それは売れませんよね、よほど自虐的でないと。

〈私〉時代のデモクラシー

宇野重規著「〈私〉時代のデモクラシー」(2010年、岩波新書)を読みました。現在の日本や先進国で、自由と平等が達成できたことが、社会の不安と不満を生んだことを、極めて明快に分析しておられます。個人を縛り付けていた、イエや宗教といった「伝統」から自由になることを目指したのが、近代でした。また、身分や所属する団体による不平等を撤廃することを目指したのが、近代でした。それを達成した「後期近代」になって見えてきたものは、あらゆることを自分で判断しなければならないという負担であり、その選択に責任を持たなければならないという不安です。また、中間集団の希薄化は、個人の砂状化とともに、政治への回路をなくしてしまいます。ここにに、従来の政党は、不満の吸い上げと利益の配分に機能しなくなります。
私は「新地方自治入門」で、個人・社会・政治にとって、中間集団が大きな機能を果たしていること、そして従来型のイエ・ムラが希薄化し、新たな中間集団が必要なことを論じました(p210)。また、自由・平等・豊かさを達成した日本において、次なる理想は何か、戦うべき「敵」は何かを議論しました(p308)。さらに、いま大学院で講義している「社会のリスク」の項目の一つに、「社会関係の不安」をいれているので、非常に参考になりました。
新書というサイズには、大きなテーマですが、わかりやすく書かれています。ここではすべてを紹介できないので、ご一読をお勧めします。