カテゴリーアーカイブ:政治の役割

リーマン・ショックから10年3

2018年9月24日   岡本全勝

リーマン・ショックから10年2」の続きです。当時、麻生総理が国際的にリーダーシップを発揮したことに、もう一つ、中国への働きかけがあります。

ちょうどその時期に、北京で国際会議があり、胡錦濤・国家主席や温家宝・首相と会談しました。会食の際、麻生総理と胡主席が熱心に話しておられました。また、温家宝首相とも、話し込まれました。内容は、この経済危機にどのように対応するかでした。
当時、日本は世界第2位、中国は第3位の経済大国でした。アメリカやヨーロッパが機敏な対応ができないので、日本と中国が財政出動して、景気後退を食い止めようということです。
中国はその後、大規模な景気刺激策をとるとともに、日本と同様に1000億ドルを国際通貨基金(IMF)に融資することを決めました。

100年に一度と言われる国際金融・経済危機。それに対し、各国が協力して封じ込める対策を打つ。
1929年の大恐慌の際は、各国が自国の利益優先で囲い込みに走りました。それが、経済危機をさらに深くしました。今回は、その経験を踏まえて、各国が協調し、危機を押さえ込んだのです。
その現場に立ち会い、政治の役割を認識する、貴重な経験でした。

リーマン・ショックから10年2

2018年9月23日   岡本全勝

リーマン・ショックから10年」の続きです。

2008年9月15日に、リーマン・ブラザーズが経営破綻しました。9月24日に麻生内閣が発足し、まずはその対応が仕事になりました。
財務省出身の浅川総理秘書官(現・財務省財務官)が、この分野の専門家でした。これは幸運でした。彼が中心になって、財務省・金融庁・日銀との連絡を取り、対策を作りました。私は、国際金融については素人です。浅川秘書官の解説を受けて、仕組み、問題点、対応策を勉強しました。
日本の金融機関はバブルの記憶が新しく、サブプライムローンはたくさん抱えていませんでした。当時、日本は世界第2位の経済大国です。日本がそして麻生総理が、国際的にリーダーシップをとりました。

各紙は、あまり詳しくはこの功績を書いていませんが。たとえば9月19日の読売新聞「金融危機10年」第7回で、触れています。
・・・「ワン、ゼロ、ゼロ、ビリオン」
リーマン・ブラザーズの破綻から2か月後の2008年11月、米ワシントンで初めて開かれたG20首脳会議。日本の首相、麻生太郎が、日本の外貨準備から、1000億ドル(当時のレートで9.6兆円)を国際通貨基金(IMF)に融資する考えを表明すると、新興国の首脳から拍手が起こった。財政・金融政策などあらゆる政策を総動員することで各国は一致した・・・

浅川・元秘書官は、9月18日の日経新聞で、2008年11月、20カ国・地域(G20)首脳会議をワシントンで初めて開いたことに関して、次のように回想しています。
「呼びかけたのはブッシュ米大統領(子)だ。08年10月、麻生首相が静岡県に出張していた際、ホワイトハウスから同行秘書官の携帯電話に電話が入った。電池切れを心配しながら、日米首脳会談が始まった。財務相らが集まるG20の枠組みを使い、首脳会議を開きたいという話だった。緊急を要しており、それでいきましょうと合意した」
「麻生首相は初回会議の場で危機対応の提言をまとめた資料を配った。資料を用意したのは参加した首脳のなかで麻生首相だけ。必要な短期、中期、長期の対策を提言した。日本は1990年代に金融危機を経験していたので、知見があった」
「特に重要だったのは国際通貨基金(IMF)への融資の提案だ。危機が飛び火しそうになった国に予防的に資金を融資できるようにする狙い。麻生首相が日本から1000億ドルを融資すると表明すると、各国が賛同しIMFの資金基盤は倍になった。G20会議が終わったあとにインドのシン首相とブラウン英首相が麻生首相に近寄って握手を求めてきた」
この項続く

関連「麻生総理配付資料・日本語訳
リーマン・ショック5年、第2の大恐慌を回避した政治」「麻生政権の仕事ぶり

リーマン・ショックから10年

2018年9月22日   岡本全勝

アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破たんしたのが、10年前の2008年9月15日でした。これを機に、国際的金融危機・経済危機が起きました。日本では、リーマン・ショックと呼んでいます。世界では、金融危機と呼んでいるようです。
各紙が、特集を組んでいます。その当時を振り返るとともに、現時点での潜在的危機に言及している記事が多いです。

100年に一度といわれるほどの、危機でした。アメリカの一企業の倒産ではなく、世界の金融システムを揺るがすような、また世界経済を凍らせるような危機でした。
事の起こりは、サブプライムローンという信用度の低い住宅ローンを、「金融工学」と称する手法で形を変えて売りまくったのです。その信用度が下落して(ばれて)、貸したお金が引き上げられました。それが、ほかの融資にも影響し、雪崩を打ったように金融収縮が進んだのです。
多くの金融機関は、信用に基づいて金を集め、金を貸しています。所有しているお金以上に、貸し出しているのです。「預けている金を返してくれ」という動きが加速すると、金融機関は破たんします。預金は下ろすことができなくなり、金を借りている人たちも、事業ができなくなります。
これが、金融機関1社にとどまらず、ほかの金融機関に連鎖します。それが、金融システムを揺るがす危機だったのです。それは、実物経済をも収縮させます。

「1929年の大恐慌の再来」と、うわさされたのです。あの恐慌を繰り返してはいけない。その経験を踏まえて、対策を打とうとなったのです。
アメリカは震源地ですが、ちょうど大統領の交代(ブッシュ息子からオバマへ)時期で、迅速な身動きが取れません。ヨーロッパ各国は、サブプライムローンをたくさん抱え、これまた身動きが取れません。
この項続く

「時代の証言者」佐々木毅先生

2018年9月15日   岡本全勝

読売新聞連載「時代の証言者」、9月13日から、佐々木毅先生の「学問と政治」が始まっています。

・・・平成時代の政治改革は、国民が政権を直接選ぶような仕組みに変えようとしたものです。それは我々の権力を我々が作るという話につながる。それまでは、有権者が政治家にお任せし、政治家が面倒を見る政治でした。自民党の一部政治家は、白紙委任を受けたようにパターナリズム(家父長主義)の行動様式をとっていました。それは官僚制優位と結びついてもいた。背景にあったのが戦後の高度成長で、面倒を見ることが現実に可能でした。
平成デモクラシーは、バブルの崩壊から始まっています。面倒を見るための原資が枯渇する中、ない袖は振れない。政策の良しあしを含めて国民に選んでもらうしかないという意味で、政治家の間に、国民との間合いの取り方についての感覚の変化があります・・・

・・・政治学の仕事は権力の様々な側面を分析することですが、一番大事なのは、権力を作った市民と権力との関係をどういうふうに継続的かつ生産的なものしていくか。権力をただ褒めたたえればいいというものではないし、権力を悪そのものだとひたすら批判すればいいというものでもない。
一つの絶対的な良い権力と、絶対的に恐ろしい権力という二つの極端なモデルについての思考実験を、人類は繰り返しましたが、中間のところでせめぎ合いをしているのが政治権力と人間の関係ではないか・・・

佐々木先生の専門は、政治思想、特にヨーロッパ古典研究です。政治学の教科書『政治学講義』(第2版、2012年、東京大学出版会)も、洗練された抽象度の高いものです。
しかし、学問の世界・形而上学の世界に閉じこもることなく、日本の現実政治について発言を続けてこられました。1980年代の中公新書などの著作です。そしてその後「平成の政治改革」に関与してこられました。
広い知識と深い思想に裏打ちされた発言です。もちろん、現実政治と政治改革は「理想」通りには進みませんが、単なる思いつきやその時に「国民に受ける」発想では、良いものはできません。
東大法学部ではもうお一人、西尾勝先生が「平成の分権改革」に参画されました。

政治への信頼

2018年9月4日   岡本全勝

9月3日の日経新聞オピニオン欄、ファイナンシャル・タイムズのジャナン・ガネッシュさんによる「米の政治不信、発端は」から。

・・・米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、1960年代までは米国民と指導者の間にはべったりと言っていいほどの信頼関係があった。ジョンソン大統領がベトナムに地上軍を送り込む前年の64年には、政府を信用していると答えた国民が約77%いた。ところが10年後にはその半分以下となる。80年代に入る頃にはさらに減り、昨年は18%にとどまった。
米国の戦後史で断絶あるいは変曲点があったとすれば、ベトナム戦争だろう。国外での殺りくと国民同士の憎しみはトラウマを残した。それに比べて金融危機は、少なくとも政府への信頼度にはさほど大きな影響を与えなかった・・・
・・・政府はあの戦争で戦術的な無能さから戦況に関する嘘まで、負の側面ばかりが目立った。人命の損失も深刻で、国内の空気は険悪になった。街の至る所でカウンターカルチャーと反カウンターカルチャーの衝突が発生。ベトナム戦争をテーマにした映画「ディア・ハンター」などが大ヒットした。こうした流行は移り変わったが、かつて信頼していた政府への幻滅は消えず、むしろ強まった・・・