今日は、東京経済大学で開かれた、日本広報学会の研究発表大会で、基調講演をしてきました。主催者からの指示は、「政府の情報提供に限らず、今回の大震災対策で何をしたか、どんな点に苦労したかを話せ」ということでした。
ということで、これまでの私たちの仕事を、お話ししました。新しい組織を緊急に立ち上げた際の、苦労についてです(4月2日の記事など)。
もちろん、情報発信についても、お話ししました。苦労したのは、「誰に、どのような情報を、どのような媒体で伝えるか」です。もっとも、ほとんどは、内閣広報官が考えてくださったのですが。
「誰に何を」では、避難所にいる人たち、広く被災者、国民や企業、マスコミやオピニオンリーダー、政府関係者や自治体、支援を考えている人たちに対して、何を伝えたかです。
「どのようにして」では、被災地では停電し、インターネットももちろん使えません。新聞も届かないところもありました。避難所以外でも、仮設住宅や借り上げ住宅に入った人たちにどう届けるか。居住地を離れ全国に散らばっておられる避難者に、どう伝えるかです。
講演会でしゃべるのは、準備が大変です。しゃべること自体は、そんなに苦痛ではないのですが。ふだんやっている仕事や、考えていることを整理する、良い機会です。特に「異業種」の方にお話しするのは、勉強になります。どのような素材をどう話したら、伝わるか。それを、考えなければなりませんから。このような機会を与えてくださって、ありがとうございました。
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日本広報学会
10月22日に開かれる日本広報学会の研究発表大会で、基調講演を仰せつかりました。私は政府広報の担当者でもなく、広報の専門家でもないので、辞退したのですが。「被災者支援の段階から携わっているので、その体験からしゃべれ」とのことで、お引き受けしました。
政府が、被災者や被災地支援のために行った広報や情報提供は、いろんな方法で、かなりの件数に上ります。講演のために資料を整理し、何をしたか何が足りなかったかを、振り返りました。職員にも意見をもらい、考えました。講演は、良い機会ですね。レジュメと資料を用意したのですが、内容が多すぎて、切り捨てるのに困ります。
当日は土曜日なので、お引き受けしたのですが、公務が入りませんように。
地方財政学会シンポジウム
今日は、岩手大学で、地方財政学会の震災復興のシンポジウムに出席し、パネリストを務めてきました。200人近くの方が、参加してくださいました。地味な催しですが、たくさんの方が熱心に聞いてくださって、びっくりしました。
菅野飯舘村長の基調講演の後、井上博夫・岩手大学教授、増田聡・東北大学教授、清水修二・福島大学副学長と私の4人で討論です。司会は金子勝慶應大学教授でした。
テーマが多岐にわたり、持ち時間は少なく、結構大変でしたが、金子先生が上手に司会進行してくださいました。研究者の方は、それぞれの観点から問題提起をされます。当方は、立場上そういうわけにはいかず、政府の取組を説明することになります。もっとも、私見も交えながら、課題などにも触れてきました。
現場で話を聞いたり、違う世界の人と話すと、行政が行っている復旧・復興が、いかに狭い範囲に限られているかが分かります。
個人や家庭の生活の再建、地域の復興、産業の復旧、地域の未来像、自治体ができる復旧と復興の範囲、日本経済に与える影響、原発に対する考え方や「想定外」といった社会の意識の変化など。復旧と復興といっても、いくつもの次元があります。このうち、行政が貢献できる範囲は、限られています。
神戸、自治体災害会議で講演
今日は、神戸市での自治体災害対策全国会議に呼ばれ、講演をしてきました。貝原前知事と五百旗頭防衛大校長のご指名です。全国から約350人の災害担当職員が、集まっておられました。
私の役割は、今回の東日本大震災での、政府の取組を紹介すること、特に国と自治体との関係を解説しました。政府は、これまでにない取組をしています。断片的には伝えられていますが、改めて整理してお話ししました。私にとっても、この半年を整理する良い機会でした。
いつものように、レジュメと資料を用意して臨んだのですが、お話ししているうちに、あの大変だった頃を思い出して、ついつい脱線。熱くなるとダメですねえ(笑い)。でも、体験談を交えた方が、観客も興味を持ってもらえるでしょう(言い訳)。
最近は東北新幹線ばかりで、東海道新幹線に乗るのは、久しぶりです。
昨夜は、福島県から帰宅したのが深夜。今日は4時半起きで、神戸へ。講演が終わったら、とんぼ返りで職場へ。私の帰りを待ち受けている職員たちが、相談に押し寄せ、さらに官房長官や大臣への説明も入って・・・。
明日は、岩手大学で地方財政学会の震災復興のパネルディスカッションです。少しでも多くの人に、今回の災害から学んだこと、政府の対応などを理解してもらえるよう、都合が付く限り出かけましょう。
早稲田大学学生の感想文
暮れの12月14日に、早稲田大学に講義に行きました。牛丸先生が、その時の学生の感想文を送って下さいました。約150人分です。皆さん紳士的なのか、先生が「誘導」して下さったのか、おほめの言葉が多く恐縮です。ありがとうございます。
彼らの多くは20歳で、1991年のバブル崩壊後の日本しか知りません。私が数字で示した、それまでの経済発展や地域の変化について、あらためて驚いた学生が多かったです。「日本もすごい国なのだ」「ニュースでは日本はダメな国だとばかり言いますが、そうでもないのですね」とか。
また、先生の授業と重複しないように、地方財政によって地域でどのような成果が上がり、どのようなことができていないかをお話ししました。これについても、「ふだん聞けない話だった」と喜んでもらえたようです。
もっとも、私の話の骨格は、この10年間、ほとんど変わっていません。日本の停滞は、既に20年間も続いているのです。戦争に負けた昭和20年を起点にすると、20年後は昭和40年です。39年には東京オリンピックを開催し、43年(1968年)には西ドイツを抜いてGDPが世界第2位になりました。20年間というのは、それくらい「長い」期間です。
何を変えなければいけないか。それは、みんながわかっています。実行できない私たちに、責任があります。そして、借金は積み重なり、アジア諸国はどんどん追いついてきて、追い抜いていきます。
ところで、近ごろは学生さんと話すと、「年の差」を感じます。こちらも意識するのでしょうが、相手の方がもっと意識しているようです。無理もありませんね、私は、彼らの父親あるいはそれより年上の年代なのですから。さらに、官僚という職業が、距離をつくるようです。感想文の中にも、「官僚=悪い人と思っていました」という記述がありました(笑い)。確かに、56歳のおじさん官僚は、学生諸君からは、とっつきにくい「人種」なのでしょうね。