カテゴリー別アーカイブ: 歴史

遅れてきた国家2

遅れてきた国家」の続きにもなります。
地域や国家の「進化」の速度の違いは、先進国に挑戦する後発国のほかに、後発国国民の先進国への流出も引き起こします。
現代の大量の難民も、その一つです。よりよい暮らしを求めて、後発国から国民が先進国へと逃げていきます。
また、後発国には、国家建設に成功した国と、まだできていない国や失敗した国があります。アフガニスタンは、後者でしょう。

国際社会は、各国の主権を認め、平等な国家の集まりという建前ですが、各国を見ると世界秩序への考え方の違い、経済格差、法の支配や政治の安定度が異なります。
法の支配や民主主義、基本的人権は、人が幸せに生活するための基本的仕組みです。長年の苦労の末に、人類がたどり着いたのです。しかし、その経験のない後発国にどのように根づかせるか。
押しつけても定着せず、押しつけを嫌う支配者は「内政干渉だ」と反発します。先進国も、革命や戦争などによって手に入れたものです。難しいです。

遅れてきた国家

世界の歴史では、繁栄した国や文明が、周辺の後発国や民族に取って代わられることがしばしば起こります。
繁栄した国も、当初は軍事力が強く、国家統一や周辺を征服するのですが。成功すると、軍事より生活を楽しむようになります。それを見た周辺国が、戦いを挑み、勝利します。中国の歴史、ローマ帝国の滅亡などです。
もちろん、戦争はこれだけでは説明できません。周辺国でないけれども、指導者が国民の支持を得るために、対外戦争を続ける国もあります。ナポレオンやヒットラーは、これに該当するのでしょう。そこには、政治指導者の夢、国民の支持、指導者の国民の支持のつなぎ止めなどの要素があります。

20世紀に大きな戦争を経験した西欧諸国は、「もうこんなことを続けるのはやめよう」と考えました。都市を消滅させることができる、人類を抹消することもできる核爆弾が発明されたこと、無差別攻撃の悲惨さ、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悪夢も、それを後押ししました。
ところが、周辺国は必ずしもそれに同意しません。「先進国は、さんざん好きなことをやっておいて、周辺国に、先進国の論理を押しつけるのか」とです。

さて、中国の膨張主義は、「歴史は繰り返す」を見せるのでしょうか。
戦争、領土拡張以外の分野で、国の強さを国民に見せ、国民も満足できれば、戦争を回避できるのですが。他方で、国民の「一流国になった意識」をうまく制御できず、軍隊を統制できないと、戦争が起きます。
現代の先進国の論理は、戦争を回避することが政治指導者の責務ですが、過去の歴史や遅れてきた国家の論理は、戦争をして国民に強い国であることを見せるのが政治指導者の役割と思われています。

歴史家は長生きしなければならない。

西村貞二著『マイネッケ』(1981年、清水書院)に、次のような話が書かれています。

大歴史家に、長命な人が多い。必然性はないが、次のように言えるのではないか。芸術家は早死にしても、よい作品を残せばよい。しかし歴史家は、世のこと、国のことについて、さまざまな体験を積む必要がある。歴史家として成熟するには、どうしてもある程度、長生きしなければならない。

さまざまな体験には、3つのものがある。個人的、社会的、時代的の3つである。まず個人的な体験をする。幼い時期に家庭や身の回りに起きる出来事である。成人して社会に出ると、社会的経験を積む。自分で運命を切り拓かなければならない場合もでてくる。そうした社会的経験は、大局から見れば。時代的体験の一部だろう。戦争や歴史の転換といった大きな変動に会うと、個人は木の葉のように翻弄される。

歴史家も一般人も、この体験は異ならない。違うのは、歴史家がこれらすべての体験に基づいて歴史を書くということである。すると、20歳くらいの若さでは、社会的体験や時代的体験を積むことはできない。世の有為転変を知るには、ある程度長生きしなければならない。

 

シェークスピアは聞き、狂言は観る

8月3日の朝日新聞オピニオン欄、野村萬斎さんの「シェークスピアは冗舌マシンガン」から。

・・・実は、狂言とシェークスピア劇にはいくつも共通点があります。狂言は中世にさかのぼり、シェークスピアも中世から近世にまたがった劇作家と認識しています。どちらも、普段の会話を口語体でしゃべる一方、韻を踏むなど様式的な文章を口にする。そういう文体に対応する「謡う」とか「語る」という技術が、狂言師の我々にはあります。

ただ、シェークスピア劇は文字数が多い。冗舌ですね。日本ではお客様のことを「観客」といい「見る」お客様ですが、英語ではオーディエンスといって「聴衆」、つまり「聴く」ことにウェートがあるためでしょう。だからシェークスピア劇を演じる時は、口、舌の回転数をあげる必要があります。
狂言の場合は、息継ぎをしながらも大きく抑揚をとって短い言葉を発していくのに対し、シェークスピア劇は、特に訳された日本語だと、マシンガンのように矢継ぎ早に話さないとダレてしまいます。口跡の回転率をあげ、腹の底からというより、少し胸高にしゃべる印象があります。

発声も違います。たとえば「ハムレット」の名セリフ。狂言式に話すと
(腹から出し朗々と)生きるべきか、死ぬべきか、それが問題でござる
とやります。一方で、現代の英国のシェークスピア劇では
(小声で、ささやくように)トゥビー…オアナットトゥビー…ザットイズザクエスチョン
という感じでしょうか。

シェークスピアの時代、自我が確立し、近代的な苦悩というものが劇中に登場しはじめた。自分のあり方を内向的に追求する表現は、ささやくような声のほうが現代の観客とは共有しやすいのかもしれません。悩みやストレスの多い時代になったので・・・

東京オリンピックの位置づけ

8月3日の朝日新聞オピニオン欄、吉見俊哉・東京大学大学院情報学環教授へのインタビュー「東京五輪、国家の思惑」から。

・・・五輪選手たちの健闘をよそに、新型コロナ感染拡大が日本の首都を脅かしている。もしコロナ禍に見舞われていなかったら、五輪は日本に益をもたらしたのか。今回の五輪を「敗戦処理」と表現する社会学者の吉見俊哉さんは、東京という都市の実相を研究し続けてきた。これからの東京はどこへ向かうべきなのかを尋ねた・・・

――開催前から、今回の東京五輪を批判していました。
「多くの意味で、1964年の東京五輪の『神話』から抜け出せていないことが最大の問題です。根本的な価値観の転換もなく、前回の延長線上で、2020年東京五輪を迎えてしまいました。6月の党首討論で五輪の意義を問われた菅義偉首相が、女子バレーの『東洋の魔女』などを挙げて前回の東京五輪の思い出を長々と語ったことがその象徴です。一国の首相ですら、半世紀以上前の成功体験しか語ることがない。なぜ東京で再び五輪をするのか、誰も分からないまま突っ走ってしまった。開会前から、敗戦処理をしているようでした」

――64年の東京五輪では、「お祭りドクトリン」によって何が行われたのでしょうか。
「東京をより速く、高く、強い都市にすることが前面に打ち出されました。川や運河にふたをして首都高速道路が造られ、路面電車のネットワークが廃止されました。当時、都民の多くは反対していましたが、住民の暮らしよりも経済発展が重視された。開発の結果、東京という都市は著しく効率的になった半面、無味無臭の街になってしまいました」
「東京が、明治時代から続く『軍都』だったことも再開発には好都合でした。明治維新で薩長が江戸を占領し、中心部から離れた現在の港区、渋谷区のような西南部に軍事施設が集中しました。敗戦後は米軍に接収されて、代々木のワシントンハイツなど米軍施設になります。しかし、反米意識を抑えたい米国の意向で、こうした施設は徐々に返還され、国立代々木競技場などの五輪施設に生まれ変わりました。六本木や原宿は流行の先端を行く街となり、東京五輪神話へとつながっていきます」

「今回の『敗戦』で日本ではもう誰も五輪をやりたいとは思わなくなるでしょう。政治家がいくら開催を唱えても、国民の支持は得られない。お祭りドクトリンの化けの皮はすでに剥がれています」