カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

処理能力を超える仕事と興味

1週間も、1か月も早いです。今日は、9月28日土曜日。あっという間に、1週間が終わり、9月も終わりです。
今日も、週末の定例行事、すなわち職場でたまった資料を片付けながら、ぼやいていました。ぼやきの内容は、いつもと同じです。「なんで、平日に、すべてが片付かないのだろう」「何で、こんなに時間が経つのが早いのだろう・・」。進歩がありません、反省。
勤務時間中に、「連続波状攻撃」をかけてきて、私に自由時間をくれない職員たちが悪いのか(八つ当たり、苦笑)。それとも、好奇心が大きすぎて、いろんな資料をため込む私が悪いのか。毎朝、1時間早く出勤して、自分の時間を持つようにしているのですが、メールへの返事を書いたり、急ぎの仕事を処理するだけで、過ぎてしまいます。夜は、残業はしない主義、というか異業種交流会などで忙しく・・。毎回、同じことを書いています。進歩無し。
急ぎでないので、「後で読もう」とか、「後で勉強しよう」と取ってある、切り抜きやコピーが、いけませんね。
急ぎの仕事や案件は、その場で即決します。あるいは、締め切りがあるので、何とか結論を出します。締め切りのない課題や、勉強資料の処理が、ずるずると後送りにされるのです。
半封筒から取り出すと、2か月や3か月前の切り抜きが、出てきます。時間があったら読もうと、鞄に入れて持ち歩いているので、半封筒もよれよれになっています。
資料には、ちゃんと赤線が引いてあったり。「う~ん、そういえば、これも考えようと思っていたな」「これも、ホームページで紹介しようと思っていたのに・・」
まあ、そのうちに時宜を失して、鮮度を失ったり、私の関心がなくなったら、それら資料は「化石」として捨てるのですが。同様に、パソコンには、書きかけの文章がたまり、書斎には読みかけの本がたまり・・。往生際が悪いです、はい。

ムラ社会を打ち破る

9月22日の日経新聞経済の日曜に考える「社外取締役、義務づけは必要か」。「社外取締役のいる企業の割合が東証1部で6割を超えた。企業統治の観点から上場企業に選任を義務づけるべきか、今まで通り各企業の判断に委ねるべきか」というテーマです。富山和彦さんの発言「ムラ型統治、打破を」から。
・・なぜ社外取締役が必要か、米国と日本では全く理由が異なる。米国では社内で最高経営責任者(CEO)の権限が非常に強く、高額報酬を得ようとして会計操作などの不正に走ることがある。2001年に破綻した米エネルギー大手のエンロンがそうだ。だからCEOが暴走したときに解任できるよう、全取締役の過半数は社外と(上場規則で)義務づけられている。
一方、日本では社長の権限はそれほど強くなく、暴走するほどパワーのある人も少ない。取締役会では社長以下のサラリーマン役員が互いの顔色を見て、空気を読みながら物事を決める。あつれきを避けようとするから、不採算事業からの撤退といった重要な意思決定を先送りする。こうした「不作為の暴走」を許す「ムラ型ガバナンス」が日本の大企業が抱える最大のリスクで、ムラの空気をかき乱すのが社外取締役の使命だ。
「少数の社外取締役で取締役会の意思決定を変えられますか」という問に対して。
・・日本の取締役会はしこりを残さないようにと事実上、全会一致が原則だから、少数でも社外取締役が反対すれば決議できない。だから量より質が重要で2人でも十分機能する。例えば不振事業の再建案が上がってきた時、社外取締役が「事業の存続は難しいと思う。撤退や売却を検討していなければ賛成しかねる」と述べれば差し戻しになる。私自身、社外取締役として似たような経験がある・・
後は、原文をお読みください。

責任者は何と戦うか、その9。部下と戦う

延々と続いている「責任者は何と戦うか」シリーズですが(苦笑)、重複をいとわず、再び組織内の敵を取り上げます。
身内の敵の一つに、部下があります。これは与党内の敵など、反乱を起こすことがある敵ではありません。そんな部下もいるでしょうが、通常はいません。ここでいう「部下が敵」とは、次のような意味です。

まずは、指示したとおりに動いてくれない部下。期待したとおりに動いてくれない部下です。上司は通常は有能ですが、一人で何でもかんでも処理できるわけではありません。部下職員に一定の指示を出し、それぞれの担当者に任せて、彼らが処理できない事項を助言したり自ら処理します。しかし、思った通りに動いてくれない部下は、上司にとって困ったものです。
平時は、それでも糊塗できます。しかし、緊急事態が起き、さらに変化しているときに、的確な情報を上げない部下。それ以前に、その事態を重大な事故だと認識しない部下では、上司は困ります。組織の弱さや、上司が部下を掌握していないことが、明白になります。

さて、その延長で言うと、野球の監督は、何と戦っていると思いますか。もちろん、対戦相手でしょう。相手を見て先発メンバーを決め、試合中は選手にいくつかの指示を出します。選手交代のタイミング、攻撃時では待つのか強攻策か。守備の時は、攻めるか敬遠かなど。
でも、試合が始まったら、実は監督の仕事は、ほとんど終わっています。それまでに、どのような選手の補強をし、選手を育て、選手たちに監督の考えを徹底しているか。極端な例では、ラグビーの監督は、試合中はスタンドにいます。
真珠湾攻撃も、ミッドウエー攻撃も同様です。作戦が始まったときには、司令長官と作戦参謀の仕事は、終わっています。もちろん、事態の推移に従って、想定したシナリオの中から、次の作戦を選んでいく必要はあります。
試合中に、「あ~、なんで選手は、俺の言うとおりに動いてくれないんだ」と言っても、遅いです。誰が悪いのか。それは、自ら考えた水準まで選手を育てることができなかった自分です。そして、その水準まで育っていないチームを抱えて、過大な戦術を立てた自分です。
すると、敵は部下だと言いましたが、実は部下を育てることに失敗した自分であり、客観的な認識ができなかった自分なのです。このような話は、あまりに生々しすぎて、賛同が得られないですかね。(2013年9月18日)

昨日の記事に対して、「生々しすぎます」という反応が、2人からありました。お二人とも、しかるべき管理職にいる人です。この状態を、体験中なのですね。(2013年9月19日)

「部下と戦うの次は、上司と戦うですよね」という催促が、数人の方からありました。理論上は、その通りです。上司が部下に困るのと同様、部下は上司に困ります。
しかし、この項目については、いくつか差し障りがあるので、次の機会にしましょう(苦笑)。

責任者は何と戦うか、その8。敵を見抜く

かつて、このページに、中西輝政教授の次のような分析を紹介したことを思い出しました。
・・サッチャー改革の敵は、たしかに野党や労働組合あるいは低所得層の庶民であったかもしれない。しかしその最大の敵は終始、与党・保守党、それも内閣の中にいた「保守穏健派(ウエット)」と称される有力政治家たちであった・・「サッチャー首相の評価、敵は身内に」(2013年5月3日)
また、自由主義諸国が中国と「戦う」には、「自由主義諸国の魅力を高め、世界政治の中心にいることが重要である」という、アイケンベリー教授の主張を紹介しました(9月15日)。
このページでの連載「責任者は何と戦うか」では、事態、決める仕組み、身内、世論など、責任者が戦うのは「正面の敵」でないことを取り上げてきました。
責任者の仕事の第一は、「本当の敵」を見抜くことです。「正面の敵」と戦いながら、あるいは戦うために、後ろにいるあるいは見えていない「本当の敵」と戦うことです。

責任者は何と戦うか、その7。政権交代は野党が勝つから起きるのではない

オーストラリアでは、9月7日の選挙で、6年ぶりの政権交代が確実になりました。朝日新聞は、次のように書いています。
・・だが、野党・保守連合の政策が評価されたわけではなく、内紛と失策で労働党が「自滅」したのが実態だ・・
2009年の自民党から民主党への政権交代、2012年の民主党から自民党への政権交代の際も、「野党が勝ったのではなく、与党が負けたのだ」「与党内のごたごたや決められないことが、国民を失望させた」「野党は明確な対立する政策打ち出したわけではない」という評価もありました。イギリスでも、政権交代は与党が緊張感を失い、選挙民に飽きられることで起きると、言われています。
政権(与党)指導者は、野党と戦う前に、与党内部と戦っているのです。党内の各勢力を統合すること(反乱させないこと)、政策において成果を出すこと(党内の反対を抑えること)、与党議員に失敗や腐敗をさせないこと(緊張感を保たせること)などなど。
そして政権交代は、野党が勝つのではなく、与党が負けることで起こります。単純明快な争点を巡って争われることは少なく、政権与党は実績を国民に評価され、野党は国民の期待を受けるのです。