「生き様」カテゴリーアーカイブ

生き様

去年の今頃

去年の今頃、何をしていたか覚えていますか。仕事は、ある程度思い出せるのではないでしょうか。職場が変わっても、変わらなくても、ほぼ年間計画通りに進みますから。
覚えていないのが、仕事以外のことです。休日や放課後の過ごし方、家族との行動などです。どんな本を読んでいたかとかも。

先週のことすら覚えていないことが多いのですから、1年も前のことはねえ。
私は時々、手帳を見て先週何をしたのかを確認したり、去年の手帳を出して何をしていたかを思い出します。

まあ、覚えていないものですわ。そんなことを全部覚えていたら、頭がいくつあっても足りません。でも、読んだ本を忘れていたり、途中まで読んで放ってある本の多いのは、どうにかなりませんかね。

少し古本を処分8

少し古本を処分7」の続きです。まだ続いています。なかなか減りません。なのでこの連載も続きます(苦笑)。

「少し処分」とは謙遜してつけた表題なのですが、実態を表しています(反省)。作業の際には「大胆に」捨てているつもりなのですが、全体から見ると「ほんの少し」です(涙)。
まず、やる気が起きません。処分しようと本を手に取ると、「せっかく買ったのに捨てるのか」「読むことができないのに、なんでこんなにたくさん買い込んだんだ」と悲しくなります。なので、作業に取りかかる気にならないのです。締め切りもないし。

次に、作業を始めた頃は古い本から着手したので、悩むことなく捨てることができました。だんだん新しい本になると、「読みたいなあ」という思いが出て、捨てることができません。残すと決めた本は、本棚に後戻り。
処分すると決めた本は、「こんな本も買ったのだ」とか「何が書いてあったかなあ」と、目次や気になるか所に目を通すので、時間がかかります。でも、私の読書遍歴(正確には購書遍歴)を思い出す、よい機会と思いましょう。時間をかけても良いでしょう。

書斎と廊下は作業途中で、引っ越しの荷物の片付けが終わっていないような状況にあります。それでも机の上は広くなり、資料を広げることができて、執筆作業がしやすくなりました。

文鎮いろいろ

文房具片付けの続きです。
机の上や本棚に、文鎮や小さな像がたくさん並んでいます。文鎮として使っているのですが、それなら2つか3つあれば十分です。たくさんあると、ほこりが溜まるのですよね。

旅行や展覧会で、記念にと買ってきたものです。スウェーデンのバイキング像、フランスのガーゴイルの怪物像、中国古代の青銅器・・・それぞれミニチュアです。

小石もあります。長径5センチほどの平べったい卵形で、すべすべです。片手で握るにはちょうど良い大きさです。拾った日と場所をマジックで書いてあります。
一つは2002年10月1日、フランス地中海沿岸(コートダジュール)の都市マントンです。もう一つは、20016年11月15日、岩手県釜石市の花露辺(けろべ)です。小さくて荷物にならないので、拾ってきました。
もっとあったはずですが、どこかに隠れん坊をしているようです。

夫婦が手をつなぐと

近所に、よく連れ立って歩いておられるご夫婦が、2組おられます。一組の方の奥さんとの会話。
私「よく連れ立って歩いておられますね。手はつながないのですか」
奥さん「この歳になって手をつなぐと、介護老人かと思われるから・・・」

キョーコさんと手をつながない私が、手を堅く握ったことがありました。「ぎっくり腰顛末記その2
関西人なので、どうしてもこのような「お笑い」になってしまいます(笑い)。

文化、政治、経済の新しい古典

雑誌『中央公論』2025年11月号の特集は「令和の読書と知的生産術」です。
そこに、大澤聡・砂原庸介・安田洋祐さんの座談会「文化、政治、経済……いま読むべき本は平成以降の「新しい古典」を決めよう」が載っています。3人は、1978年と1980年生まれの研究者です。

これは勉強になります。3人が、それぞれの分野で10冊ずつ挙げておられます。
政治、経済、文化の「新古典」にはこのような本が選ばれるのだと、勉強になりました。どのような基準で選ぶか、難しいところです。

古典と言われる本は、概説書や教科書に載っていて、かつて読んだか読んでなくても知っていることが多いです。しかし、近年の研究でどのようなものが必須のものなのか、学者でないとわかりません。このような記事は、研究者でない者にとって貴重な資料です。
知らない本が多かったです。みなさんは、どうですか。