カテゴリーアーカイブ:生き様

日常生活のフローとストック

2026年3月15日   岡本全勝

大学の経済学の授業で、フローとストックという概念を学びました。なるほどと、勉強になりました。
フローは、一定期間例えば1年間のお金の流れです。ストックは、ある時点例えば年度末でのお金の残高です。
フローとストックというようにカタカナ英語であることが、日本語にそのような概念・言葉がないことを示しています。「流量」とか「蓄積」「貯蔵量」という表現もありますが、しっくりきませんよね。よい日本語があればよいのですが。

さて、前置きはこれくらいにして。本の山を前にして、ふと思いつきました。
これまでの私は、その時々の気の向くまま、本を買っていました。いわばフローです。ところが、それが積もるとストックになります。ストックを考えずに、フローだけ見ていたのですね。

それは、飲食にも当てはまります。喉ごしよくお酒を飲んでいると、気持ちよくなりますが、アルコールは貯まります。おいしい食事もうれしいですが、食べ続けていると太ります。この人もそうなのでしょう。
フローとストック、二つの概念を使って物事を見ると、よくわかります。

中学校の同窓会

2026年3月8日   岡本全勝

今日3月8日は、中学校の同窓会に出席してきました。橿原市立八木中学校を卒業したのは、昭和45年(1970年)、大阪万博が開かれた年です。

私は明日香村に住んでいたのですが、住民票を橿原市に移して、越境入学していました。当時はそれが珍しいことではなく、近所の兄さんたちも多くが通っていました。その後は厳しくなって、私の弟は村の中学校に通いました。
当時の八木中は、近鉄八木駅の隣にありました。現在、近鉄デパートのあるところです。バスで30分の通学でした。木造2階建ての校舎、一学年8組ありました。学校はその後、耳成山の麓に移転しました。

同窓会は3年前から始まったそうです。同級生が私のことを覚えていてくれて、連絡をくれました。一度は顔を出そうと思い、出席しました。
会場は橿原市のホテルで、約30人が出席しました。ほとどが、56年ぶりに会う人です。15歳で別れて、今は71歳です。顔かたちがすっかり変わっていて、しばらく話さないと、名札を見ても思い出せない人もいました。目元には、面影が残っていました。

私は当時から目立つ生徒で、生徒会の役員もしたので、みんなが覚えていてくれました。私が忘れていた出来事なども。恥ずかしいですね。幹事が配慮してくれて、経験談を話せとのことで、総理秘書官の経験を少し話しました。みんな、喜んでくれました。ありがとうございました。

前日に実家に泊まり、弟の車で故郷を見てきました。本家の再活用は、さらに整備が進んでいました。8日は、飛鳥ハーフマラソンで、村内に車が入ることができませんでした。

伸びるチューリップ

2026年2月28日   岡本全勝

もう2月が終わります。
プランターと鉢に植えたチューリップの球根。今年は早く植えたこともあり、ずいぶん前に芽を出しました。こんな寒いときに芽を出して、春まで大丈夫かなと心配になりました。
先日、東京は20度を超える暖かさ。そのせいもあってか、さらに伸び、10センチくらいになっています。
今年も、きれいな花が期待できそうです。

ご近所の梅は盛りを過ぎました。ところが、我が家の玄関脇の椿、葉っぱはよく茂っているのですが、つぼみはつかず。

少し古本を処分9

2026年2月22日   岡本全勝

少し古本を処分8」の続きなのですが。それ(2025年11月1日)以来、古本片付け作業は、進んでいません。

気が乗らない上に、寒いです。原稿の締め切りもきついし(やらない理由は、いくらでも見つかります。苦笑)。
増やさないために、本屋に行くことを自粛しているのですが、時に行っては、読めそうもない分量を買ってしまいます。買わずに図書館で借りるようにもしているのですが、じっくりと読みたくなって買ってしまい、また引用されている本が気になって買ってしまいます。
このほかに、頂き物の本があります。一部しか、このホームページで紹介できていません。すみません。

本棚は引っ越し途中で、整理されておらず、どこにどの本があるかわからなくなっています。古本片付けの際に読みたくなって取り出した本、気になって買った本、いただいた本。それらが、せっかく広くなった机の上を占領しつつあります。それを横目で見ながら、原稿執筆を続けています。
暖かくなったら、古本片付けを再開しましょう。

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄3

2026年2月1日   岡本全勝

「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄2の続きです。

「私の意識が間違っていた」
岡本氏が被災者対応で絶対に言わないと決めていた言葉があった。「それは私の仕事ではありません」だ。「私の役割はいわば電話交換手。支援を必要としている人を、適切な部署へとつなぐこと」
そんなふうに、官として政と付き合いながら仕事をしてきた岡本氏に、復興の現場で新たな出会いがあった。
それは「民」だ。
がれきの片付けから炊き出しといった緊急支援に始まり、商店街再興や地域のにぎわいづくりなど中長期の復興に至るまで、災害時にはさまざまなボランティアやNPOが活躍する。今や彼ら抜きでは復興はできないといってもいいだろう。「公」の役割を担うのは、公務員だけではないのだ。
岡本氏はそれまで、NPOと深く付き合ったことはなかった。彼らとの出会いは「衝撃だった」という。
「市民運動なんていう言葉もあって、霞が関の敵だと思っていた。でもこんなに志があって、仕事のできる人たちがいるなんて、と驚いた。復興の現場はNPOにまさにおんぶにだっこだった」

岡本氏はNPOの立場で現場で活躍していた田村太郎氏と藤沢烈氏を、被災地の実態調査をしてもらうべく、非常勤の国家公務員である復興庁の調査官に起用した。田村氏は阪神大震災の時に外国人支援をしたことがきっかけでこの世界に入った、災害対応の専門家だ。藤沢氏はコンサル会社勤務や社会起業家支援を経て、東日本大震災で復興支援を始めた。
岡本氏は2人を任命するときにこう言った。
「あんたら、私に使われてもいいのか。(NPOからすれば)裏切り者かもしれないよ。NPOが行政の下請けになる、と批判されるかもしれない」
すると2人はこう答えた。
「違います。我々のほうがやりたいことのために岡本さんを使うんです」
岡本氏にとってこの言葉もまた衝撃的だったという。「私の意識が間違っていた。行政がNPOを『使う』のではない。あくまでも対等で、社会を共に支える存在なんだとわかった」

彼ら2人には避難所の実態調査をしてもらった。公務員が相手だと遠慮したり警戒したりして本音を話さない住民も、民間が相手だと安心して打ち明けられることもある。
避難所の環境が劣悪だとわかり改善につなげた。復興庁では復興支援についてのさまざまな事業と予算で、NPOが利用できるものを一覧表にして示した。
NPOが担った役割に、たとえば仮設住宅の見守りがある。被災者の孤立を防ぐためには、ふだんからの見守りやこまめな声かけが重要だ。自治体職員にはそこまでの余裕はなく、ノウハウもない。そこでNPOに委託をした。これで失業した被災者に雇用も生み出すことができた。
田村氏は「これまで多くの公務員と仕事をしたことがあるが、岡本さんは、公務員とか民間といった立場をまったく気にしない数少ない人。理想と現実のバランス感覚も絶妙で、できないことも率直に話してくれた」という。

2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」
そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」

「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。