「人生の達人」カテゴリーアーカイブ

決断が不足した組織

沼上幹『組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために』(2003年、ちくま新書)に、組織が疲労した場合の一つとして「決断不足」が挙げられています。そして決断が不足すると、次のような徴候が現れると指摘されています。
第一は、製品開発プロジェクトなどで、フルライン・フルスペックの仕様書が多数出てくることである。コストは他社より低く、すべての性能に関して他社競合製品を上回るものを、他社よりも早く市場に導入せよ、というような要求が出てきたら要注意である。これは何も考えていないことの証である。問題は、時間や予算の制約があるから、すべての点で競争相手を上回ることは簡単にはできないというところにある。だから、一部については目をつむってもらうといった決断が必要なのである。
二つ目の徴候は、社内で多様な経営改革検討委員会が増えることである。もし本当に必要だと判断したのであれば、検討などさせずに即座に導入すればよい。各部署から人を出させて検討委員会を作るのは、経営者たちに思慮が欠けていて、決断できていないことを疑わせる。あるいは衆知を集めて民主的に経営している見かけを作りすぎなのかもしれない。
三つ目の徴候は、人材育成である。人材育成はどのような時にも必要だから、誰も批判しない。しかし問題は、現在直面している課題の解決には、人材育成が時間的に間に合わない、というところにある。

現場で汗をかくことと、本部で先を読むことと

被災者支援の仕事をしていて、常に考え、悩んでいることがあります。それは、「今、私たちの仕事で欠けていることは、何だろうか」と「次に、必要な仕事は、何だろうか」ということです。
当然、今取りかかっている仕事が、うまく進んでいるかを確認することは、重要です。しかし、それは部下職員が、それぞれ責任を持ってやってくれています。
責任者としての私が考えなければならないことは、「今できていないこと」の拾い上げです。そして、「次にすべきこと」の手配です。これは、難しいですね。あることの評価でなく、無いことの想像ですから。いろんな方面から情報を集め、今の仕事から少し距離を置いて、そして例えば2週間や1か月後の状態を想像しながら、考えるしかないです。構想力が問われます。課題がわかれば、次にはそのための職員配置を考え、工程表を立てることができます。それは、大まかな方向を示せば、参事官たちが考えてくれます。

私がこの仕事に従事して最初にしたことは、「現地の課題と被災者生活支援チームの取組み(分類)」を作ることでした。そして、それに合わせて組織をつくること(班編制と職員集め)でした。この表は、その後は、各参事官が更新してくれています。私は、この表に載っていない課題を考えることが仕事なのです。
毎日忙しいので、目の前の仕事に忙殺される。それはそれで充実感があるのですが、それに没頭していると、先のことが考えられません。

定例的な業務をしている際には、このようなことを考えなくても、目標と工程表はあるのです。軍隊や初めての仕事を立ち上げる場合には、このような「作戦参謀」の仕事が必要なのでしょう。
各市町村の災害対策本部でも、現在の課題と取り組み状況の確認と合わせ、次の課題と取り組み方を考えておられるでしょう。市長とその参謀が、それをどれだけ適確にするか。「先を読む」。それによって、業務の進み方が、大きく違ってくるでしょう。うまくやれると、部下に無駄をさせず、また、住民の希望に先回りして応えることができます。

気になる言葉・集約化

今朝(8日)の朝日新聞1面に、「7公立病院、復旧困難。岩手・宮城、集約化も議論」という見出しがありました。「集約化」って、おかしくありませんかねえ。記事の本文にも出てきます。
「集約」とは、国語辞典では「寄せ集めて、一つにまとめること。」とあります。この記事の場合は、7つの病院を統廃合するのでしょう。国語辞典では、「化」は「形や性質が別のものになる。かわる」とあります。しかし「集約」には、すでに動きの要素が入っています。それに「化」をつけると、どのような意味になるのでしょうか。
新聞の見出しは、できるだけ短くするために文字を削ります。それでも「化」を付けたのだから、何か意味があるのでしょうが。よく似た言葉に、統合があります。これも統合化とすると変でしょう。

社会の変化と公務員の役割変化

拙稿「安心国家での地方公務員の役割」が、月刊『地方公務員月報』2011年4月号(総務省自治行政局公務員課)に載りました。内容は、次のようなものです。
1 現代国家の変貌-福祉国家から安心国家へ
(1)福祉から安心へ-対象の変化
(2)提供から保障へ-手段の転換
2 地方公務員に求められるものの変化
(1)地域の課題解決-課題も対策も考える
(2)官民の垣根の低下-民間との競争
3 三つの反省
(1)「できません」
(2)視野が狭い
(3)文章が分かりにくい
4 自治大学校での研修

最近書いた「社会のリスクの変化と行政の役割」や「行政改革の現在位置」北海道大学公共政策大学院年報『公共政策学』で論じた社会の変化を取り入れて、公務員の役割の変化を書きました。
自治大学校にいる時に、書いて出しておいたものです。この月報は、国が出している月刊誌で、市販されていないようです。各市町村役場の人事課には、届いていると思います。ご関心ある方は、お読みください。

一義的

最近、気になる言葉使いに、「一義的」があります。例えば「一義的には××電力株式会社に責任がある」とか「一義的には市町村の仕事です」といった発言が、新聞に載ります。しかし、もしそれが「まずは××会社に責任があり、ダメな時は国が責任を持つ」といった意味なら、「一次的には」と言うべきでしょう。
本来「一義的」は、「それ以外に意味や解釈が考えられないこと」や「いちばん大切な意味。根本的」といった意味で、辞書にもそのような解説が載っています。「一義的には××会社の責任」と言うと、「××会社以外に責任はない。国は責任を持たない」という意味になるのではないでしょうか。