朝日新聞9月4日オピニオン欄「カタカナ語の増殖」でした。津田幸男・筑波大教授の発言から。
・・日本人は外来語をあまりに無防備、無神経に取り入れすぎる。背景には「英語を使ったらかっこいい」という、日本人特有の英語信仰があります。日本人は英語を上に、日本語を下に見て、自分たちの言葉の威厳を自らおとしめています。
氾濫の元凶は4者います。まず企業。商品名や社名、宣伝、看板に外来語が多すぎる。次に官公庁。難しいカタカナお役所言葉を全国にまき散らしています。日本の役所なら日本人が分かる日本語を使うべきです。
三つ目が知識人や学者。本来、翻訳や言い換えを考えるべき立場なのに、それをしないでカタカナのまま使うとは、知的怠慢です。そして四つ目が、企業・官公庁・学者が使う外来語をそのまま流している報道機関。猛省すべきです。
たしかに、カタカナ表記にすれば日本語として見なせるという考えもあります。しかし、アカウンタビリティーやコンプライアンスなどと言われても、日本語には聞こえません・・
同感です。私がカタカナ日本語を嫌いなことについては、「私の嫌いな言葉」(2006年4月27日)をご覧ください。
1 英語をカタカナにすれば、外国人に通じると思っていることが間違いです。カタカナ発音では、アメリカ人にも通じません。英語圏以外の人たちは、広辞苑にも載っていないので、理解するのに苦労します。カタカナ英語は、あくまで日本人同士の会話のためにあります。それも「私は、英語を知っているんだよ」という臭いがします。
2 もう少し、日本語に翻訳する努力をすべきです。ここでも指摘されている、アカウンタビリティー、コンプライアンス、ガバナンスなどは、元の英語を知っている人にだけ通じる日本語でしょう。
例えば「アカウンタビリティー(説明責任)」とある場合は、「説明責任」あるいは「説明責任(アカウンタビリティー)」と、表記すべきだと思います。
「いや、アカウンタビリティーは、説明責任ではない」とおっしゃる方がおられれば、「では、あなたが書いたアカウンタビリティーという単語は、読者にどのように理解されているとお考えですか」と聞いてみたいです。
私も講演の際に、カタカナ英語を使っては、聴衆の顔を見て、「これは理解されていないな」と反省することが多いです。
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生き様-明るい課長講座
部下の指導は笑顔で
8月27日日経新聞キャリア・アップ面は、「部下の指導、笑顔と対話で」でした。
「仕事の鬼と呼ばれるほど職務に打ち込むのはいいが、自らが部下を萎縮させる怖い存在になっていませんか」という書き出しで始まり、「マネジャーなど指導的な役割になってから、そんな問題に気づいて組織全体の力を引き出すように自分を変えた人が目立つ」と、実名で実例を紹介しています。
・・営業担当だった20代には、後輩に「どうせ怒られるから、角田さんが退社するまで事務所には戻れない」と恐れられた・・
・・「営業件数は他人に絶対負けない」という自信から、部下にも自分と同じ水準を求めた。営業がうまくいかない部下をみると、「自分にできることをなぜできない」と理由を聞かず、一方的に怒鳴っていた・・
一般論や抽象的な職員研修より、数倍わかりやすい記事です。思い当たる節がある方は、ぜひお読みください。
もっとも、このような部下に厳しい職員(係長や補佐)は、自分の欠点には気づかず、「俺は部下に優しい」という人の方が多いです。我が身を省みて、反省。
そのような職員を上手に指導すること、すなわち自ら気づくように仕向けることが、その上司に求められています。これって、難しいですよ。できる部下(本人もそう思っている)を指導するのですから。
私の経験は、『明るい係長講座』をご覧ください。
左遷、日本の会社の場合は、横滑り。その3
相原孝夫さんの発言から(続き)。
・・そもそも、人事は、短期的な業績に対する上司の「評価」よりも、同僚や部下からの意見や人物評も加味された長期的な「評判」で決まります。評判の悪い人ほど自己評価が過大な傾向がありますから、自分の人事を左遷だと思い込みやすい。結果、不信感を募らせて孤立し、ますます自分を客観視できなくなる。完全な悪循環です。
これを避けるには、つらくても周囲の声に対して聞く耳を持ち、それに基づいて自己評価を修正していくしかありません。仕事帰りの一杯は、その貴重な機会です。お互い口も軽くなり、ふだんは言えないきつい一言も出る。それに腹を立てるか、大切なアドバイスと受け止めるかは、自分次第です。
仲間を持つことも大切です。私が働いていた外資系企業は人の入れ替わりが激しかったが、社内のスポーツ活動に参加していた人の離職率は、そうでない人の3分の1程度でした。仕事を離れて本音で付き合える人々が社内にいれば孤立しない。社外人脈よりも社内のネットワークづくりに力を入れる方が、会社人生はずっと幸せになります・・
人事をする立場から、この指摘に同感です。誰しも、自分のことは客観的に見ることは困難です。抜擢すると、本人は「私の実力だ」と思います。反対に昇進が遅れると、「上司は私のことを正当に評価していない」と考えます。
後者の人にその事情を説明するのは、かなり困難を伴います。ふだん、飲んだときとか、友人など周囲の人がそれとなくアドバイスできると、少しは防止できるのですが。『明るい係長講座』でも、友人など相談できる人が少ない人が、仕事に悩むことを取り上げました。
左遷、日本の会社の場合は、横滑り。その2
相原孝夫さんの発言から(続き)。
・・一方で、会社にとって困った社員はやはり存在し、そうした人は異動で不遇感を味わいやすいことも事実です。自分の実力を誤認しているナルシスト、自分をさておき他人をとやかく言いたがる評論家、自分の立場を理解せず、関係ないことに口をはさむ分不相応な人。彼らに共通するのは、自分を客観視できず「自分が思っている自分」と「周囲から見られている自分」との間に、大きなギャップが生じていることです。
会社から求められている役割を理解し、期待通りに演じられるのが優秀な人ですが、自分を客観視できない人にはこれが難しい。思い込みで突き進めば、当然周囲の評判は下がります・・
この項、続く。
左遷、日本の会社の場合は、横滑り
4月13日朝日新聞オピニオン欄「左遷?上等だ!」、相原孝夫さん(人事・組織コンサルタント)の発言から。
・・日本の会社では、本人が「左遷」だと思い込んでいるだけで、実際には左遷ではないケースが大半です。例えば、本社の企画管理部門で働いてきた人が、営業の第一線に出されただけで「左遷」と思い込む。だが、会社が幹部育成をめざし、あえてそういう人事をするのも珍しくありません。本人には事実を告げず、腐らずやれるかどうかを見ているのです。
左遷とは本来、降格を伴うものですが、そうした例はほとんどない。現実は「横滑り」であり、相対的に思わしくない部署に行く程度のことでしかない。それを本人が「左遷」と悲観する背景には、会社への過剰な期待があります。日本の企業は社員に優しい。何度もチャンスを与えるし、一度や二度の失敗は大目に見る。だから社員も「会社は自分にとって望ましいキャリアを考えてくれる」と思い込み、異動先が期待と少々異なっただけでショックを受ける・・
この項、続く。