「災害復興」カテゴリーアーカイブ

行政-災害復興

福島沖の漁業

福島県沖では、漁業に制限がかかっています。魚から、放射性物質が検出されたことがあるからです。時間が経つにつれて、検出される魚が減っているので、制限を順次解除しています。
原発から流れ出た放射性物質が原因です。大きな太平洋で放射性物質は薄められ、海水からは検出されません。原発近くの海底の泥に残っている場合があります。簡単に言うと、回遊している魚は、放射性物質がたまりません。底物の魚、あまり動き回らず海底のえさを食べている魚に、放射性物質がたまります。
12月5日の朝日新聞が、「福島沖の全検体、検出限界下回る」で検査したすべての魚で検出限界を下回ったと報道しています。
・・・福島県が11月下旬に実施した福島沖の魚介類を対象にした放射性セシウムの検査で、東京電力福島第一原発の事故以来初めて、すべての検体で検出限界値を下回ったことがわかった。県水産試験場は、個体からのセシウムの排出が進んだことや、世代交代で汚染魚が減ったことなどが理由とみている・・・
同じ日の、毎日新聞は、「福島第1原発事故、福島沖は今。 魚の調査続く。地元、ブランド復活期待」を載せていました。
・・・原発事故後の福島沖へ自主的に船を出し、魚の放射性セシウム濃度を測定する市民組織「いわき海洋調べ隊 うみラボ」が精力的に活動を続けている。最近ではヒラメなどの底魚でも一般食品中の国の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を上回る例はなく、県の調査でもほとんど検出されていない・・・
ところで、この記事に付いている写真をご覧ください。女性が、釣った大きな魚を持っています。すごいです。90センチのヒラメです。彼女の体の半分くらいの大きさがあります。彼女は復興庁の職員で、初めての釣りだったそうです。職場の同僚が誘って行きました。
二人に取材したところ、最初は、釣り針が根がかかりした(岩に絡まった)と思ったそうです。重くて、糸と竿が動かなかったのです。魚だとわかったときは、驚いたでしょうね。タモ網も一番大きなもので、すくったとのこと。彼女を誘った指導者は、何も釣れなかったのです(笑)。こんなこともあるのですね。

復興、応援職員の活躍

被災自治体での復興事業を進めるため、ほかの自治体からたくさんの職員が応援に入っています。地元の職員だけでは人数も足らず、技術も不足しています。このような「人の応援」も、本格的に行ったのは東日本大震災からです。支援している自治体も、決して職員に余裕があるわけではありません。その中を苦労して、派遣してくださっています。ありがとうございます。被災自治体では、自ら期間付き職員を採用して、不足分を補っています。この人たちなしでは、復興事業は進みません。「職員不足対策の概要」(古くてごめんなさい)。
岩手県が、その実情を知ってもらうビデオを作っています。約3分半です。また、応援職員を紹介するパンフレットもあります。ご覧ください。慣れない場所で、また難しい仕事を担ってもらっています。ありがとうございます。

宮城県南部視察

11月7日8日と、宮城県北部沿岸被災地を視察しました。今日は、宮城県南部被災地を視察しました。多賀城市、仙台市、名取市、岩沼市、亘理町、山元町です。
仙台平野は、津波が内陸まで押し寄せ、多くの街並みと工場、田畑を飲み込みました。南北に走る高速道路が盛り土の上だったので、そこを境に内陸部は助かりました。これを機に、いくつかの町では、海沿いの集落が内陸部に移転し、コンパクトな街づくりを目指しました。いろいろと難しいことがあったのですが、一部を除きほぼ完成し、残る地域もめどが立っています。例えば、先週11月22日の福島県沖地震の際、沿岸各市町村が津波避難指示を出しましたが、岩沼市は出しませんでした。沿岸にあった6つの集落はすべて内陸部(玉浦西地区)に移転済み、防潮堤もできています。もう、よほどのことがない限り、津波は怖くないのです。

仙台市は、たくさんの仮設住宅を建て、市民だけでなく市外の被災者も受け入れてくださいました。そこでも、プレハブ仮設はすべて終了し、取り壊しが進んでいます。JR長町駅前東側の仮設住宅団地(仙台駅の一つ南の駅で、新幹線からもよく見えます)も、半分以上が解体されていました。実は解体工事は難しくなく、避難者全員に退去してもらうことが、労力がかかるのです。今年春からは、市役所職員を被災市町村に応援に出していただいています。ありがとうございます。

街づくりに、それぞれに工夫をしておられます。今日は、新しい街並みとともに、新しい工場を見せてもらいました。「ふ~ん」「へ~」と思うことが、たくさんあります。多賀城市の「松島かまぼこ」工場は、見学コースがあります。多賀城駅前の図書館本屋+スターバックス+レストランは、「多賀城とは思えないしゃれた」ものです(失礼。でも地元の人の言葉です)。(う~ん、全体が一目でわかる資料が見当たりません)。8年ほど前に行ったときは、駅前は再開発中で「えらい田舎だ」と思ったのですが。その他の地域の工夫は、別途紹介します。

市町村長さんたちは、みんな自信を持っておられます。それぞれに、「5年半は長かったけど、早かったですね」と、あの頃を思い出し、お話をしてきました。発災当初に訪問(視察と御用聞き、今後の見通しの意見交換)したころとは、地域も市町村長さんたちも、まったく変わりました。
「明るい公務員講座の連載を読んでますよ。職員に、この通りだと、話しています」と言ってくださる首長さんも・・・。へへへ・・。

浪江町、復興まちづくりURの協力

今日は、浪江町とUR都市機構との協力覚書交換式に行ってきました。浪江町は原発事故で全町避難をしています。来年春に帰還を目指しています。復興拠点を作るに際して、経験と技術力を持つURが支援するのです。
UR(都市再生機構)は独立行政法人で、街づくり・住宅造りの専門家集団です。被災地において、高台移転や公営住宅建設の支援をしてもらっています。市町村役場にはこれだけの大工事をした経験もなく、技術者もいません。被災地でのまちづくりの大きな工事は、その大半をURに応援してもらいました。ありがとうございます。
現在の理事長は、中島正弘・元復興庁事務次官(私の2代前)・前福島復興再生総局事務局長(私の前任者)です。被災地の現状にも詳しく、頼もしい限りです。