昨日今日と、福島県に、出張に行ってきました。いろんな都合から、1月3日から、復興の打ち合わせです。3日の夕方は、東北方面からUターンの客で、帰りの新幹線の座席が取れず、現地で宿泊しました。
地震と津波被害地域では、仮設住宅などに入ってもらい、がれき片付けなども終えて、復旧に取りかかっています。政府は、復興のための制度や資金を用意しました。今後は、復興のお手伝いをする状態になっています。
しかし、原発被災地では、まだ炉が冷温停止しただけで、帰宅することができない状態です。言ってみれば、津波の水が引いていないようなものです。これから放射線量を詳しく計測し、また除染をして、低線量地域からようやく復旧に取りかかります。
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行政-災害復興
年末の出張
今日は、福島県まで、打ち合わせに行ってきました。官庁は昨日28日が御用納めなのですが、そんなことも言っておられず。地元の職員には、前回の出張の時に、「これで今年は終了。来年もよろしく」と声をかけたのですが(苦笑)。休日に働かせて、ごめん。これで、58日目の出張です。新幹線は、帰省や旅行の親子連れで満員でした。
先日(12月26日)書いたように、原発事故の警戒区域が見直され、3つの区域に分けられます(「基本的考え方」平成23年12月26日原子力災害本部決定)。すると、帰るためのインフラ復旧などの準備や、しばらく帰ることができない人のお世話などの仕事が出てきます。これらを考え、それぞれの担当部局で準備をしてもらわなければなりません。
避難を余儀なくされた地域には、約11万人の方がおられました。汚染度合いによって地域が3つに分けられるとともに、お一人ずつ、一家庭ごとに、事情や判断が違うでしょう。帰還を待つ方の他に、新しい生活を選ばれる方もおられるでしょう。これらにどう応えるか、それを考えます。
他方、復興本部の別の職員たちは、福島県再生のための特別立法を、年末休み返上で検討してくれています。ありがとう。
孤立防止会議資料
27日に開催した「被災者の孤立防止と心ケアに関する有識会議」の資料を、復興本部のホームページに載せました。様々な取組が行われていることがわかります。後日、これらを整理して、わかりやすい形で関係者に提供する予定です。
28日の読売新聞は、見なし仮設住宅(民間借り上げ住宅)に入っておられる避難者の方に、情報や支援物資が届かないことを取り上げていました。仮設住宅が長屋のような形で集団であるのに対し、民間アパートに入っている人は、分散しておられます。別の意味で孤立します。どこに誰がおられるかは、市町村役場でしかわかりません。
しかし、個人情報保護の観点から、市町村役場が、どこにどなたがおられるかという名簿を、NPOなどに提供できないのです。本人の了解を得て、提供している自治体も出ています。
ボランティアの方々が活躍してくださっています。復興本部事務局のボランティア班が、メッセージを出しました。ご覧ください。
山下課長の大論文、被災者支援本部の記録と分析
総務省行政管理局の山下哲夫課長が、季刊『行政管理研究』2011年12月号に、「政府の被災者生活支援チームの活動経過と組織運営の経験」を書かれました。
これは、「被災者生活支援本部」での経験を基に、書かれたものです。事務記録とともに、どのような点に苦労したかが、鋭い分析によって整理されています。質量共に充実した大論文です。行政組織管理にたずさわっている人や研究者に、ご一読をお勧めします。山下課長は、行政管理局の中心人物(筆頭課長)で、国家行政機構管理のプロです。専門家の分析を、ぜひお読みください。
実は私も、支援本部の経験を原稿に書き始めたのですが、復興本部に移ってまた忙しくなったのと、山下君がこの論文を書いてくれるので、私の原稿は途中で放棄しました(反省)。
山下課長は、2001年に実施された省庁改革の際に、私と一緒に苦労した仲間です。今年の3月19日に、私が被災者支援チームの立ち上げを命じられた時に、真っ先に彼を呼び出し(3連休の初日のお昼でした)、その日の午後に組織づくりと必要な職員集めを開始してもらいました(2011年4月2日の記事参照)。初期の被災者支援本部(下段の写真、左の2枚)を、作ってくれました。この写真に、彼も写っています。本人は自分の机と椅子がなく、立ったままで部下に指示を出しています(今となっては苦笑)。
さらに翌日、施策を企画管理してもらうために、もう一人の課長を、内閣府から呼び寄せました。彼も、省庁改革本部で私の部下だった職員です。2人を、組織人事課長と政策企画課長とし、急ごしらえの組織を動かしてもらいました。
2人とも、休日に呼び出され、3時間後には私の前で、作業を開始していました。私からの指図はごく簡単なもので、というか私も何をして良いかわからない状態でした。そして彼らは、私が1を言えば10わかる関係です。彼らは私に「こんな方向でよいですよね」と確認して作業をし、あとで「全勝さんの名前で、こうしておきましたから。相手が聞いてきたら『その通りや』と言ってください」と報告してくれます。私の方は、その他の課題や次の仕事の企画で、彼らをかまってやる時間がありません。「よっしゃ、よっしゃ」か「ちょっと待て、もういっぺん言って見て」くらいしか、返事ができません。
別件ですが、現地に入っていた職員(旧知の後輩)から後に、「困って全勝さんに電話で相談したけれど、『忙しい』といって相談に乗ってくれない全勝さんを、初めて体験した」と、苦情を言われました(反省)。それくらいの忙しさだったということですね。
なお、本部では、時間と共に仕事の内容が変化し、それにあわせて事務分担もどんどん変えました。さらに2か月後には、呼び寄せた職員たち(多い時には100人を超えました)を順次、派遣元省にお返ししました。優秀な職員を、長い期間お借りするわけにはいきません。また、次の機会に優秀な職員を派遣してもらうためには、なるべく早く返す必要があります(笑い)。撤退を考えること、これも管理者の重要な仕事です。これらも、2人がしてくれました。
先を読んで仕事をする。この2人なくして、支援本部の仕事は回らなかったでしょう。感謝しています。2人を出してくださった、送り出し元組織にも感謝します。私がしたことは、2人を呼び出し、仕事を任せたことです(ちょっと、格好良い台詞ですね)。
先日、復興本部に訪ねてきてくださった民間企業の大先輩が、「全勝君の仕事場には、高度成長期の時のような雰囲気があるね」と誉めてくださいました。単に忙しくドタバタしているだけかもしれませんが、ありがたい評価と受け取りました。
被災者の孤立防止会議
今日27日に、「被災者の孤立防止と心のケアに関する有識者会議」を開きました。6月に「被災者の孤立防止会議」を開きました。今回はその2回目に当たります。テーマを広げ、委員も一部入れ替えて、開きました。
避難所に多くの方がおられた当時と違い、現在はほとんどの人が、仮設住宅か借り上げ住宅におられます。すると、大部屋で一緒に暮らしていた時より、孤立するのです。各省もいろんな対策を打っています。しかし、道路や建物を造るのとは勝手が違い、お金をかければ目に見える形でできるものではありません。マンパワーと手間ひまと継続が必要です。また、縦割りでいくつもの施策を作っているのですが、現場で相手にするのは一人の人間です。
かつて私は、「再チャレンジ支援」に携わり、モノをつくる行政と人を相手にするサービス行政との違いを勉強しました(例えば、「行政の変化」)。まさに、その時に考えたことが、当てはまります。
今日は、たくさん参考になる実例や意見をいただきました。追って、復興本部のホームページに載せます。しばらくお待ちください。