カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

ふくしま復興とSDGsを考える県民シンポジウム

今日3月5日は、「ふくしま復興とSDGsを考える県民シンポジウム」に出席するため、福島県いわき市まで行ってきました。会場は、参加者で満員でした。「福島中央テレビニュース

今年は、復興とSDGsの両方が主題になっています。「ふくしまSDGsアワード」に応募した29団体から、3団体を表彰しました。私も審査に参画したのですが、それぞれに、熱意と工夫の入った取り組みです。
福島中央テレビの取り組みは、地元ニュース番組内の「ブンケン歩いてごみ拾いの旅」で、県出身の俳優が住民と一緒にごみを拾う姿を放送しています。約3年間、毎週放送されています。地域の問題を取り上げ、住民もその活動がテレビに映る、そして社会に貢献するという、素晴らしい企画です。

SDGsの取り組みは、役所が提供するサービスではなく、住民が取り組まなければなりません。住民は客体から、主体になるのです。「行政は何かしてくれるもの」という意識に慣れた戦後日本社会では、大きな転換です。そこに、難しさがあります。
ふくしまSDGs推進プラットフォーム ポータルサイト

福島県川内村

11月20日朝8時からのNHK小さな旅は、福島県川内村でした。
・・・阿武隈山地の森が蓄えた水が流れる福島県川内村。原発事故からもうすぐ12年、一時は全村避難を余儀なくされたが、暮らしを取り戻しつつある・・・

私も何度も訪れましたが、阿武隈高地にある静かできれいな山村です。原発事故による全村避難から帰還して、元の暮らしを取り戻しつつあります。現在行くと、被害があったことはまったく分かりません。このような番組で取り上げてもらうと、よい広報になります。
見逃し配信や再放送(11月24日11:05から)もあります。ご関心ある方はぜひご覧ください。

福島県双葉町避難指示、一部解除

8月30日に、福島県双葉町で避難指示が一部解除されました。避難指示が出た12市町村で、順次避難指示が解除されているのですが、双葉町の解除は大きな意味があります。
双葉町は、これまで全く帰還できなかったのです。

政府(経産省)による避難指示は、放射線量に応じて3つに分けて出されました。すぐに帰ることができる区域(解除準備区域、緑色)、しばらくして除染してから帰る区域(居住制限区域、黄色)、当分帰ることができない区域(帰還困難区域、赤色)の3つです。
他の11市町村は解除準備区域と居住制限区域があり、すでに全部または一部で帰還できています。しかし、双葉町は町の多くが帰還困難区域となって、帰ることができなかったのです。

帰還困難区の住民は帰ることができないことから、東京電力が土地建物や財産などを全額賠償し、さらに慰謝料や故郷損失賠償も払いました。多くの方は戻れないことを前提に、他の町で新しい住宅を建て、生活を始めておられます。
帰還困難区域は、当初の設定は帰ることができない区域でした。放射線量が高かったからです。ところが、当初の想定より放射線量の減衰が早く、双葉町の中心(駅前)も除染をすれば住むことができる目処が立ちました。そこで方針を転換して、町の一部を「復興拠点」として除染して、戻ることができるようにしたのです。
ここには、政府与党の政治決断がありました。戻ることができないと一度決めた場所を、除染します。東電は既に全額賠償をしているので、負担する理由はありません。そこで、国費(税金)で除染をすることにしたのです。

復興拠点は他の町にもありますが、双葉町の復興拠点は意義が異なるのです。他の町では住民は自宅には戻れなくても、町内には戻ることができました。しかし双葉町は、復興拠点をつくらないと、町には戻ることができないのです。
町長や住民の強い希望、自宅でなくてもふるさとに戻りたいという希望を叶えたいとして、この制度を考えました。私としても、双葉町の帰還困難区域一部解除は、感慨深いものがあります。
役場も、いわき市の仮庁舎から、駅前に移ります(かつての庁舎は使うことができないのです)。公営住宅も造られて、自宅に戻れない人も、町には戻ることができます。
もっとも、多くの住民は先に書いたように、新しい土地で生活を始めておられるので、直ちに戻ることは難しいでしょう。復興拠点を核に、どのような町をつくっていくか。これからの課題です。

サントリーみらいチャレンジプログラム

サントリーが東日本大震災復興支援をしてくださっている「サントリーみらいチャレンジプログラム」、今年度の助成先が決まりました。30日の福島民報紙でも発表されました。

発表資料の審査員意見にも書いたのですが、今年も、意欲ある応募がたくさんあり、選考に悩みました。地域の社会課題に取り組もうとしている人や団体が、たくさんおられます。多くの人がこれらの企画に関心を持って、参加してくださることを期待します。
行政や社会がまだまだこれらの問題に、十分取り組めていないことを痛感します。

朝日新聞、大月記者の大活躍

最近、朝日新聞紙面に、大月規義記者の記事が立て続けに、しかも大きく載っています。

6月27日の朝刊には、記者解説「原発事故、被害者賠償は 早期の救済へ国の指針見直し必須」で、夕刊には「時の止まった帰還困難区域、「帰りたい」へ変わった心」といずれも大きな記事でした。24日にはインタビュー「山本竜也さん 気象庁職員 核のごみ処分場、反対の訳は」、20日は「「国策」の責任 原発訴訟:下 負担は国民、議論なく 賠償、電気代に上乗せ」。ここには私も登場しました。

大月記者は、東日本大震災の発災以来、現地と東京とで復興の取材を続けています。中央紙の記者で引き続き大震災を追いかけているのは、大月さんだけになったのではないでしょうか。当時を知っている強みが、記事に表れています。現在は、編集委員兼南相馬支局長です。現地からの発信を続けています。