カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

インターネットと文明

8月23日から4回にわたって、日本経済新聞経済教室に連載された「ネットと文明」が勉強になりました。インターネットがいかに文明を変革しつつあるかを、4人の研究家が論じています。25日の吉沢英成甲南大学教授の貨幣についての分析は、私の研究テーマにとっても参考になりました。
これまでは、国王などの権威を前提とした信頼に基づいた「文化貨幣」でした。円は、まさにそれです。近代においては、国家という権威・文化が基盤でした。
これに対し、情報通信ネットワークの発達により、貨幣は電子化されました。巨額の取引が世界中をデジタル通信で駆けめぐり、私の少額の預金やキャッシュカードも電子信号で保存されています。「電子貨幣」です。
そしてこの中間に、ヨーロッパの統一通貨、ユーロがあります。これは一国の権威と文化を超えた、欧州文明と主権国家が主権の一部を譲り渡した「文明通貨」です。そしてアメリカ合衆国の力と富を背景にした「世界通貨」ドルがあります。
ところが、これら国際化・電子化の反対に、「地域通貨」があります。これは文化、それも国家単位の文明でなく、顔の見える範囲の文化に支えられています。そして、電子決済と違い、「遅さ」も特徴です。
拙著「新地方自治入門」では、p213で国家機能の、世界に向けてと地域に向けての、分散を図示しました。地域の公と自治体の関係は、p232で論じました。
3日の日経新聞「衆院選、私の期待」では、佐々木毅学習院大学教授が「小さいが強い政府を」を話しておられました。
「郵政民営化した後の日本の姿がどうなるのか、改革の出口を示してほしい。『小さな政府』でいいのだが、では何が小さいのか、どの辺を小さくするのか。小さいだけではわからない。規制緩和だ市場化テストだと政府から切り離す話だけでは、企業やNPOさんがんばってね、で終わってしまう。何が目的で、どんな課題なのためなのか見えない」「民主党の10兆円歳出削減も、入り口でセールスをやっている点では同じだ。日本人は出口のイメージを失っている。右肩上がりが出口だと思っていたのが、成長が止まった途端に出口がわからなくなってしまった」
「小泉さんは政治が官僚制の枠組みの中で泳いでいた時代を抜け出し、それをたたきながら構造改革の段階に入った。問題はその段階を越えて政府をどう活用するかだ」「・・・後追いばかりでは、国民も官僚も元気が出ない。世界の先頭に立つ目標を掲げなければならない。私なら21世紀のデファクトスタンダードは日本を見よ、と言いたい。日本は少子高齢化を乗り越え・・・」
「政府はこれだけのことをやれるんだということが国民に見えなくなったのは極めて深刻なことだ。・・日本は『大きい小さい』が『強い弱い』とごちゃ混ぜになっていて、それすら整理されていない。米レーガン政権にしても英サッチャー政権にしても小さな政府は必ずしも弱い政府ではなかった。決して市場に丸投げしていない。・・」
いつもながら、鋭いご指摘です。政治家の責任もありますが、日本の将来を考えるために身分保障をしてもらっている「官僚』の責任も重大です。(9月4日)
10日の日経新聞「選択の前に政策論争を解く5」は「地方財政健全化どうする」でした。「郵政民営化と年金が主戦場になった衆院選の政策論争。そのあおりで議論が深まらなかった課題も少なくない。その代表格は地方財政だ・・・」。朝日新聞社説も「総選挙明日投票・忘れてはいけないこと」で、「郵政改革はもちろん、年金改革も子育て支援も重要なことである。しかし、それだけなら、ほかの大切なことが置き忘れられてしまう」と書いていました。
「・・全国一律型の教育を進めるのか。多少の混乱は覚悟してでも、地域に教育をゆだねるのか。ここは2つの党で大きな違いがある」
「国と地方の関係をどうするのか。小泉首相も『三位一体改革』では、分権を掲げている。政府の補助金を減らし、その分、税源を自治体に渡す。交付金を見直す。それが改革の内容だ。だが、具体論になると心もとない。選挙後すぐに決着を迫られるのは、自治体に3兆円の税源を移せるかどうかである。自民、公明両党の重点政策には、そのためにどんな補助金を廃止するかの説明はない。民主党は、補助金18兆円の廃止と5兆5千億円の税源移譲などを唱える。分権への意欲は買えるが、具体的な道筋は描けていない」。
指摘の通りです。今回の選挙は単一争点(シングル・イシュー)のみが取り上げられ、「これからの政治の全体像」が見えなくなってしまいました。政党には施策の束(パッケージ)をまとめ、どの党を選ぶか国民に提示することが期待されています。それぞれの政治家がそれぞれの争点に自由な政策を提示すると、それらを足しあげると整合性がとれない(福祉を増やすと言いつつ、減税も言うとか)ことがおこります。それを集約するのが政党、党の公約の役割です。どこかは我慢しなければならないのです。
小泉総理は「郵政改革は官から民への改革の本丸」とおっしゃっているので、小泉自民党の向かうベクトルははっきりしています。また、マニフェストはかつての公約と違い、「都合の良いことの寄せ集め」ではなくなりました。しかし、その他の争点について、与野党の対立が明確にならないのです。
地方分権については、まず、政党の公約に必ず上位に位置づけられるようになったことを、喜びましょう。また、社説や解説でも必ず上位に取り上げられるようになったことも、喜びましょう。
しかし、各紙が書いているように、全ての党が進めると言いつつ、具体論になると明確ではありません。必要だと言われながら分権が進まないのは、反対勢力が強いからです。これを進めるために、具体論が必要なのです。「マニフェストにもっと具体的に書き込み、政権を取ったら実行する」ことが必要なのです。
その点で、小泉総理がおっしゃる「あなた達は、郵政民営化を主張する私を総理総裁に選んだんでしょ」は名言です。

小泉改革

総選挙後の政権について、新聞が様々な予想をしています。誰が選挙に勝つか、政権につくか、政策はどう変わるかです。共通しているのは、小泉政権でないと、郵政民営化が進まないことと、もう一つは三位一体改革が進まないのではないか、という予想です。
前者(郵政民営化)は「官から民へ」、後者(三位一体改革)は「国から地方へ」の象徴です。共通点は、現在の政治権力(旧来型の自民党族議員と各省)を転換しようとするものです。そして、総理のリーダーシップがなければ進まないのです。
違いは、郵政民営化については、官から民へのシンボルであっても、すべてではないとの評価もあります。また小泉総理一人ががんばっている、との見方もあります。それに対し、三位一体改革は、これこそが中央集権を地方分権に変える骨格であり、また、地方団体全体がエンジンになっているという違いがあります。しかも、郵政は特定分野での改革であり、三位一体は包括的・全分野での改革です。(8月9日)(三位一体改革のページ再掲)
今回の解散総選挙で、日本の政治が盛り上がっています。政治が戦いであり、ドラマであることが再認識できます。
政治学的には、総理のリーダーシップ、争点設定、利益団体・族議員対改革、自民党内の意思決定方法、党総裁対議員、派閥の力、参議院の力、参議院と衆議院の解散など、日本の政治を考える「いい材料」です。これまでにない、争点設定とそれを巡る争いです。もっとも、与党対野党でないところが、政治学の教科書と違っていますが。追い追い、今回の政治ドラマを、私なりに解説したいと思っています。
とりあえず、今回の解散と選挙が「郵政民営化を問う選挙」でないこと、与野党の対決でもなく、「自民党を清算する」ものであることについては、8月16日付け朝日新聞「政態拝見」(曽我豪記者)の「二つの解散劇ー半世紀隔て、自民決算の夏」が参考になります。(8月17日)
日本経済新聞社の世論調査(23日付け、日経新聞)では、消費税率引き上げについて、「現在の財政状況を考えればやむを得ない」が16%、『年金財源などに限定するなら仕方がない」が29%でした。合計では45%です。
衆院選で重視する政策課題は、次の順でした。①社会保障問題、②郵政改革、③景気対策、④税制改革、⑤財政再建、⑥雇用対策、⑦教育改革、⑧環境問題。(8月23日)
(マニフェスト検証)
26日に「新しい日本をつくる国民会議」が「政権公約検証緊急大会」を開き6つの団体が、小泉内閣の実績と前回総選挙の際に与党が掲げた政権公約の採点をしました(27日朝日新聞朝刊など)。「小泉首相の改革に取り組む姿勢を評価する点で一致したが、実績には辛口の評価が多かった。自民、公明、民主各党が今回の総選挙で示した政権公約には、具体化を求める意見が相次いだ」
自民党の公約達成度総合評価は、日本総研70点、経済同友会65点、全国知事会60点、言論NPO43.8点、PHP総研32点、構想日本31点です。全国知事会の小泉内閣の実績評価は「国から地方への税財源以上問題が『三位一体の改革』で動き出したことは評価。しかし04年度の実態は地方案とかなり異なり、義務教育など多くの課題が道半ば」です。
政党が検証の対象となりうる公約を掲げ、国民が実績を評価できる時代になりました。日本の政治は、少しずつ動いています。

8月15日

今日は、8月15日。日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に、出席しました。
第2次世界大戦で亡くなった日本人は、約310万人。うち軍人・軍属が約230万人、民間人が約80万人(うち内地で50万人)です。アジア各国でも、多くの人がなくなりました(約1,900万人)。(これらの数字は、細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』(2015年、新潮社)p214、p267による。なお吉田裕著『アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)からの引用とのこと)。また外地からの引き揚げ者は、軍人と民間人を合わせて約630万人です(厚生白書昭和36年版、第2部第3章第8節)。そして、国の内外で戦時中と戦後、混乱した社会で飢餓や不安に苦しめられました。それは、数字では表すことができません。
武道館での式は厳粛で、終わって出てくると田安門の桜並木は蝉の声がしきりでした。どちらも、8月15日を思わせる雰囲気でした。

中曽根元総理の第2次大戦観

読売新聞8月7日、「中曽根元首相、終戦70年寄稿」から。
・・・第2次世界大戦は、帝国主義的な資源や国家、民族の在り方をめぐる戦いであり、欧米諸国との間の戦争もそのような性格を持ったものであった。
他方、アジア諸国に対しては侵略戦争でもあった。特に中国に対しては、1915年の「対華21か条要求」以降、侵略性が非常に強くなった。軍部による中国国内への事変の拡大は、中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない。資源獲得のための東南アジア諸国への進出も、現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だった・・・
・・・ただ、300万人以上の国民が犠牲になったという厳然たる事実を拭い去ることはできない。本来なら、当時の指導者の戦争責任を他者による東京裁判という形ではなく、日本人自らの責任においてこれを裁き、決着を付けるべきだったが、東西冷戦が始まったことで日本社会としての戦争の総括が中途半端に終わってしまった。それが、その後、長く日本人の意識の中で、晴れぬわだかまりとして残る結果となった。
やはり、先の戦争は、やるべからざる戦争であり、誤った戦争であった。
戦後日本の起点はポツダム宣言受諾に始まると考えるのが国際的通念であり、あの戦争と敗戦から学ぶべき教訓を我々日本人は胸に深く刻む必要がある。歴史を正視し得ない民族に、政治の長期安定性もなく他の民族からの信頼も尊敬もあり得ない。点検と反省により、事故の歴史の否定的な部分から目をそらすことなく、これらを直視する勇気と謙虚さを持つべきであるし、汲み取るべき教訓を心に深く刻み、国民、国家を正しい方向に導くことこそが現代政治家の大きな責務でもある・・・

終戦の決断

戦後70年。各紙が特集を組んでいます。宮内庁が、皇居内の御文庫付属室(地下壕)の写真を公開したので、各紙が載せています。昭和天皇が終戦の聖断をされた場所です(朝日新聞)。また、各紙が、玉音放送の原文と現代語訳を、対比して載せています(朝日新聞の訳)。なるほどと思いますが、文語体は重々しさがありますね。もっとも、ラジオで聞いていて(音声がよかったとしても)、広く国民に意味が通じたかは別です。