カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

批判もする友人の意見を聞く

1月10日の朝日新聞オピニオン欄、藤田早苗さんの「「人権のレンズ」持てる教育を」の続きです。

―日本の人権状況について、国連の人権機関や専門家から繰り返し、懸念が表明されたり、勧告が出されたりしてきました。
「驚くのは、日本政府は勧告にまったく耳を傾けようとしないことです。2021年に国会提出を断念した出入国管理法(入管法)改正案に対し、国連人権理事会の3人の特別報告者などが国際人権基準に照らした問題点を指摘したところ、当時の上川陽子法相が『一方的な見解で、抗議せざるを得ない』と反発しました。『クリティカル・フレンド』(批判もする友人)である特別報告者の勧告を無視して、国際社会で信頼と評価を得るのは難しいでしょう」

―「クリティカル・フレンド」とは何でしょう。
「相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人という意味です。国連人権勧告は友人による建設的な忠告と受け止めるべきなのに日本政府はそれができない。部活動の先輩やコーチから的を射た忠告を受けたとき反論や無視をしますか。多くの国連加盟国は勧告に真摯に向き合い、建設的に対話を重ねています」

もっとも、まったく意見を聞かない国や人もいて、ひんしゅくを買っています。日本がそうなってはいけませんよね。

閣僚会議2割廃止

12月27日の朝日新聞に「閣僚会議2割廃止を発表」が載っていました。

・・・河野太郎行政改革担当相は26日の閣議後会見で、政府が内閣官房と内閣府に設置している85の閣僚会議のうち、2割にあたる17会議を廃止すると発表した。「官邸主導」のもとに乱立した会議を整理した。
廃止するのは、日仏友好160周年記念事業を検討する「ジャポニスム2018総合推進会議」や、神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件を受けて設置された会議など。河野氏は「(議論が)終わったものは、本来なら廃止措置をしっかりすべきだった」と説明した・・・

会議をつくるときに、終期を定めておけばよいと思います。

『解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』

解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』(2023年、吉田書店)を読みました。
宣伝文には「公共サーヴィスの解体と民衆による抵抗運動…自由化・市場化改革の歴史を新たに描き直す」とあります。巻末についている、訳者である中山洋平教授による解説がわかりやすいです。

フランスにおける、この40年間の経済の自由化・市場化・国際化を解説したものです。第二次世界大戦後のフランスは、「ディリジウム」(国家指導経済)という言葉で表された、経済に対する強力な国家介入で知られていました。鉄道、通信、電力と行った社会インフラだけでなく大きな企業(金融、自動車、製鉄)といった企業も、国有でした。そして、政府とともにそれら企業の幹部を、特定の有名大学出身者(高級官僚)が占めていました。日本より、自由化は強烈な打撃だったのです。

本書では、第Ⅰ部(1945年~1992年)で、介入型国家が成立した過程を描きます。それは政府が一方的に主導したのではなく、人民戦線やレジスタンスの民衆動員(デモ)に基礎をおいていて、平等を求める国民の支持があったのです。これを、社会国家と表現しています。フランスは私たちの思い込みとは異なり、労働組合が弱く、デモがその代わりを務めます。フランス革命以来、民衆が街に出るのです。
しかし介入型国家が行き詰まりを見せ、官僚主導による自由化が徐々に進められます。その過程では1968年の五月事件も起きます。ドゴール政権に対して左翼が蜂起するのですが、総選挙でドゴール派が勝って、逆の結果になったのです。ミッテラン左派政権も、社会主義的な政策を掲げていたのですが、自由化へ転換します。

第Ⅱ部(1993年~)は、自由化、国際化の過程が描かれます。国家の後退、改革する国家から改革される国家へ、規制国家から戦略国家へなどという言葉が使われます。地方分権も含まれます。
この本のもう一つの軸は、民衆動員です。フランスの伝統でしょう。五月事件もその代表例ですが、政府は民衆動員を抑えようとします。規制国家は、秩序維持国家に変身します。それは、大量の移民の増加、社会の治安の悪化も理由として進みます。

サッチャー、レーガン、中曽根首相による新自由主義的改革、1980年以降先進国で進められたニュー・パブリック・マネジメントは、日本でも採用されました。
私は、フランスでどのようなことが起こっていたか、不勉強で知りませんでした。戦前の日本並みの中央集権国家(知事が官選)だったフランスが、ミッテラン政権で大胆な分権に踏み出したことは知っていたのですが、上記のような文脈にあったのですね。勉強になりました。

政治の話はタブーではなくなっている

12月8日の朝日新聞オピニオン欄「政治って遠い存在?」、横山智哉・学習院大学教授の発言から。

・・・「政治の話はタブー」という通説がありますが、政治の話は案外避けられていないことがわかっています。私の研究では、家族や友人などの身近な人と政治の話を交わすことへの抵抗感は、「ほとんど感じない」と「あまり感じない」の間に平均値がありました。スポーツや芸能など他の話題とほとんど差はありません。
また国際調査によれば、友人と政治の話を交わす割合が、日本は約40年間の平均値が約57%で、諸外国の平均値は約66%です。

ある話題をタブーと感じる理由は、意見の相違から対人的な感情摩擦や対立が起きるのを懸念するからです。それは政治の話題に限らず、好きな野球チームが違う場合の会話などでも同じです。一方で、親しい間柄だからこそ政治の話を安心して交わすことができるといった側面もあります。
どのような会話の内容を「政治」の話題と捉えているのか。回答してもらった内容を集約すると、主に政党や外交、税金などの6項目でした。たとえば「消費税やガソリン税などの日常生活に関わる税金の話」「物価の動向」という内容です。人々の政治の話には多様な話題が含まれるのです。人々は、政治をどこか遠い世界の話だと、疎遠に思う一方で、身近な話題を通じて、自分と政治のつながりを認識してもいます・・・

政治家が政策議論を戦わせない、安倍首相の責任

12月22日の朝日新聞「政治とカネを問う」に、御厨貴先生の発言「カネでなく、言葉で政治取り戻せ」が載っていました。この記事は自民党の派閥による裏金疑惑に関してですが、少し異なった視点からの発言部分を紹介します。

・・・政治家が政策について意見を戦わせる、本当の意味での議論をやらなくなって久しい。こうした状況を招いた背景として、私は安倍晋三元首相の責任が大きいと思います。後継者を育てず、長期政権の間にスキャンダルが起きても、選挙に勝つことでチャラにしました。野党やメディアが追及しても明確な答えを与えない。その結果、国会審議も空洞化していきました。

カネではなく、言葉によって政治の力を取り戻さなければなりません。右肩上がりの経済が終わり、人口が減っていく中で、10年、20年先のこの国をどうするのか。そういう議論を政治がもっとすべきです・・・

そういえば、国会での党首討論(国家基本政策委員会)も、最近は開かれていません。