カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

衆議院選挙区割り違憲判決

3月31日の朝日新聞オピニオン欄は、衆議院選挙区の格差が2倍以上になっていて、最高裁判所が違憲状態にあるとの判決を出したこと、しかし国会は対応していないことを取り上げていました。長谷部恭男東大教授の発言から。
・・現状のまま衆議院の解散・総選挙があれば、最高裁が「違憲」と判断することも十分ありえます。
過去にも区割り規定が「違憲」とされたことはありましたが、「事情判決の法理」を用い、選挙は「有効」とされました。しかし、次はこの法理が使われると決めてかからないほうがいいと思います・・
事情判決とは行政処分が裁判で違法とされた場合、その処分を取り消すと著しく公益を損ねるとして、取り消し請求を棄却する判決のこと。これを選挙制度の訴訟にも「法理」という形で応用しました・・
注意してほしいのは、当時、衆議院は中選挙区だったという点。選挙区に多ければ5人の政治家がいて、複数の選挙区で選挙無効になれば、相当数の議員が失職し国政が滞る。それでは公益を損ねるという判断がありました。
いまの衆議院は小選挙区制。5、6か所の選挙区で選挙が無効になり、国会議員が失われても、国会の運営に大きな支障はない。事情判決の法理を使う理由はありません・・

なるほど、そのような立論、推論もあるのですね。詳しくは原文をお読みください。

社会活動家の見た政治の中

社会活動家の湯浅誠さんが、内閣府参与を辞任され、その経験を語っておられます。「ブラックボックスの内部は『調整の現場』だった」毎日新聞3月30日夕刊

・・90年代にホームレス問題に関わっていたころ、社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。
こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。「政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない」と思い込み、結論を批判しました。
しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです。

(ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。)
・・以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは「やる気」の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした。
・・政府の中にいようが外にいようが自分は調整の当事者であり、「政府やマスコミが悪い」と批判するだけでは済まない。調整の一環として相手に働きかけたが結果が出ない--それは相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、工夫が足りなかったということです。そういうふうに反省しながら積み上げていかないと、政策も世論も社会運動も、結局進歩がないと思う。
・・物事を解決していくには、複雑なことの一つ一つに対応していく必要があります・・

日本のこれまで100年間の外交政策

フォーリン・アフェアーズ・リポート』3月号、ジェラルド・カーチス教授執筆「岐路にさしかかった日本の外交・安保政策」から。
・・・こと自国の外交政策に限っては、日本は19世紀後半から現在にいたるまで、非常に似たとらえ方をしてきた。 1868年の明治維新後に権力を掌握した指導者たちは、欧米列強が突きつける国の存亡に関わる脅威から国を守ろうと大戦略の構築に着手した。明治の指導者たちは、アメリカの指導者たちのように、自国の「明白な運命」を信じていたわけでもなければ、フランス人のように、自国の文化の美徳を世界に広めようとも考えてはいなかった。日本が直面し克服した課題は、「よりパワフルな大国が構築し、支配している国際システムでいかに生き残るか」にあった。
国際社会で生き残ることへの渇望が、いまも日本の外交政策を規定している。アメリカやその他の大国とは違って、日本が、国際アジェンダを規定し、特定のイデオロギーを標榜することで国益を模索することはない。この国は、外部の国際環境を所与のものとみなすことで、日本人が「時流」とよぶ国際的な流れに乗るために、現実的な調整を試みる。
第二次世界大戦以降、日本はそうしたプラグマティズムに導かれてアメリカと同盟関係を結び、これによって軍事的役割を防衛に限定できるようになった。しかしいまや中国が強大化し、北朝鮮は核開発を続け、しかも、アメリカは経済的苦境に陥っている。・・・
詳しくは、本文をお読みください。

政治と経済

AIJ投資顧問が預かっていた、2,000億円もの年金資産の大半が消失していたことが、大きなニュースになっています。3月2日の日経新聞が、アメリカでも同様な事件が起きていることと、投資家を保護するための動きを伝えています。
一つは官による規制の強化です。米商品先物取引委員会が、先物業者が顧客資金で海外の国債に投資することを規制する方針を決定しました。また、議会では銀行預金を一定額保護する「預金保険」に似た制度の創設を検討しているとのことです。
もう一つが民間主導の動きです。シカゴ・マーカンタイル取引所グループが約5億5000万ドルの資金を破産管財人に拠出し、同様の事件の被害に備え1億ドル規模の基金設立を決めました。
また、証券取引委員会は、2003年に投資信託会社の情報開示強化などを進め、今回は不正の内部告発に多額の報奨金を支払う制度の導入を決めました。
不正な行為が起きないように予防策を打つこと、また起きた場合には取り締まること、被害が生じたときの救済策を準備しておくことが、対策でしょう。それを、民間の同業者で行うか、政府が行うか。政治と経済の関係を分析する良い事例です。

国民の政府への信頼

今日、あるところで、復興の課題について、お話をする機会がありました。質疑応答の際に、政府に対する国民の信頼についての、質問がありました。今回の大震災、特に原発事故対応のまずさから、国民の政府への信頼が大きく損なわれたのではないか、という趣旨の指摘です。
御指摘の通りだと思います。発災以来、そのことを考えていたのですが、あまりに大きな課題であることと、胸に思うところがあって、今日はうまくお答えすることができませんでした。

会社が商品やサービスを売る際に、その会社や商品の信頼は、価格や品質とともに、いえそれ以上に重要な要素です。中味がわからないときに、私たちは発売元の会社を信用して選択します。
行政サービスはほとんどの場合、選択の余地がありませんが、国民の地方自治体や国への信頼は、日常の行政執行の際に現れると思います。 住民に信頼されない政府は、政策実行に大きなコストがかかります。この点については、拙著『新地方自治入門』p269で、述べました。

信頼を築くには長年の積み重ねが必要ですが、それを失うのはあっという間です。明治以来、先人たちが積み重ねてきた日本政府への信頼、官僚や行政機構への信頼を、この20年で私たちは大きく損なってしまいました。
政府への信頼については、いくつもの研究が出ています。今回失われた信頼を取り戻すには、多大な努力と時間が必要でしょう。情報を公開すること、良いこともまずいことも。そして、一つ一つ課題を解決して、国民の信頼を回復するしかありません。