カテゴリー別アーカイブ: 再チャレンジ

行政-再チャレンジ

理想主義の教え、その欠点

理想主義と現実主義と現実的理想主義」の続きにもなります。

理想主義が厳しくなると、厳格主義になります。道徳や規則の厳守を主張します。聖人君子を目指す、あるいは目指すことを強要します。武士の教育、遡れば中国古典の士大夫の道徳です。我が身を律し、勉学に励みます。
明治維新以来、日本の教育の主流は、厳格主義であり理想主義でした。立派な大人になることです。戦前は男子なら立派な兵隊さん、博士や大臣を目指します。女子は、良妻賢母になることです。「修身」の授業です。
そこには、本人が自らを律するものと、教師や親が生徒や子に厳しく指導する場合とがあります。

理想主義は望ましいのですが、現実はそう簡単ではありません。すると、タテマエの世界では理想主義を掲げつつ、実際の生活では現実主義になります。問題は、理想主義と現実とのズレにうまく適合できない場合です。
個人にあっては、高い理想とそれに追いつかない自分との差を見て、自分を責めます。そして、つらくなります。

社会にあっては、理想主義を掲げるので、そこから落ちこぼれた人が視野に入りません。落ちこぼれはあってはならないので、その人たちを救う仕組みになっていません。
うまくいかない場合にどうすればよいかの教育と、「再チャレンジ」の仕組みが少ないのです。例えば、学校になじめない場合、学校に行きたくなくなった場合、あるいは事故や犯罪を犯した場合です。「そうなってはいけない」という教育とともに、そうなった場合の対応策を教える必要があるのです。
参考「失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書

外国人の受け入れ、地域での共生

1月7日の毎日新聞1面トップは「外国籍の子 修学不明1.6万人」でした。

・・・日本に住民登録し、小中学校の就学年齢にある外国籍の子どもの少なくとも約2割にあたる約1万6000人が、学校に通っているか確認できない「就学不明」になっていることが、全国100自治体を対象にした毎日新聞のアンケート調査で明らかになった。既に帰国している事例もあるとみられるが、外国籍の子は義務教育の対象外とされているため就学状況を確認していない自治体も多く、教育を受けられていない子どもが多数いる可能性がある・・・

入国管理法が改正され、外国人労働者受け入れを拡大することになりました。それ以前に、既に大勢の外国人が、日本で暮らしています。
その人たちを、日本社会にどのように受け入れるか。共生の仕組みが問われています。既に、1980年代に日系ブラジル人を受け入れて、課題はわかっています。
言葉の問題、生活習慣の問題、ゴミ捨てルールから始まって、教育、病気、事故・・・孤立させてはなりません。特に子供がかわいそうです。
地域社会と自治体が、その前線になります。それを、国としてどのように支えるのか、これが課題です。
参考「天皇陛下、お誕生日記者会見

夏目漱石の孤独

10月12日の朝日新聞文化欄「いま読む漱石」、奥泉光さんの発言「人と交われぬ孤独が主題」から。

・・・一見明るい『坊っちゃん』だが、奥泉さんは「暗い」という。相手にけしかけられて2階から飛び降り、ナイフで指を切る。「こういう人は困りますよね。他人とコミュニケーションが全く取れない」。生徒にからかわれて激怒するだけ、彼らと仲良くならない。「もし20年後に同窓会があったなら、当時対立していても同じ土俵でやりあった赤シャツと山嵐が仲良くしゃべっているかもしれない。生卵を投げていた坊っちゃんは、その同窓会に呼ばれてすらいないのではないか」

『吾輩は猫である』も奥泉さんが読めば「あの猫ほど孤独なものはいない」。車屋の黒や三毛子は3章以降に消え、その後は人間しか出てこない。「猫は人間の言葉を理解している。しかし人間は猫が言葉を理解していることに気づかない。このコミュニケーション不全はつらい」

漱石が書いていたのは、「コミュニケーションに失敗する人の孤独」だ。現代人にそのまま重なる。「孤独になりたいわけではない。人と交わりたいのにそれができないがゆえに孤独に陥る。深刻な孤独の位相が繰り返し出てくる」・・・

失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書

8月4日の朝日新聞読書欄に、尾木直樹さんが、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』を紹介しておられました。「教育に感じる若者への信頼

・・・「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚・・・。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる・・・

このスウェーデンの社会の教科書は、拙著『新地方自治入門』でも引用しました。授業でも紹介しています。
特徴的なのは、失敗を犯した子供が立ち直る過程を教えること、社会保障などを教えていることです。
勉強して立派な大人になることを教えることも重要です。しかし、失敗をすることもあり、社会保障のお世話になること(これは権利です)もあります。これまでの日本の教育は前者を教え、後者については触れてこなかったのです。
私の表現では、社会も個人も「坂の上の雲」を目指すことを教え、「坂の下の影」は教えなかったのです。

ところで、この翻訳が出たのが1997年です。その後、スウェーデンでは、どのような改訂が行われているのでしょうか。知りたいですね。基本は変わらないのでしょうが。

孤独という社会問題

7月31日の朝日新聞オピニオン欄「孤独は病か」、岡本純子さん(オジサンの孤独研究家)の発言から。
・・・孤独は老若男女、日本のあらゆる年代に広がっています。誰にでも訪れる短期的な孤独には耐えることも必要でしょう。しかし、人とのつながりがなく、頼る人がいない恒常的・長期的な孤独を放置してはいけません。孤独は多くの人の精神と身体をむしばみ、社会問題にも関わる、深刻な病の一つなのです。

私は、これまでに約1千人の社長や企業幹部のコミュニケーションのコーチングをしてきました。その経験から、日本人、特にコミュニケーションが苦手なオジサンは、孤独に陥りやすいと感じてきました。その理由は、日本独自の文化や価値観にあります。
日本人は一つの会社に長く身を置く傾向があります。会社というムラ社会の内部で重視されるのは、上意下達のタテのコミュニケーション。しかも、内の人との和を大切にしすぎて、望まない人間関係も強いられ、人と関わることに疲れ切ってしまいます。その結果、外の人や異文化とわかり合う努力をしなくなり、フラットなコミュニケーションが苦手になります。

また、日本では、定期的に集まる教会、市民団体などでの活動などがあまり身近にありません。人と人とのつながりや信頼関係を意味する、ソーシャルキャピタルの充実度のランクは149カ国中101位。先進国で最低です。最近の「1人で十分」「つながりはいらない」という、孤独美化の風潮が、日本人の孤独化を悪化させることを危惧しています。
引きこもり、介護、貧困、いじめなどの社会問題は、誰ともつながらず、孤独であると深刻化します。様々な事件でも「周囲からの孤立」が背景にある場合が多いのです・・・

ぜひ、原文をお読みください。