「著作」カテゴリーアーカイブ

著作

時事ドットコムに転載「管理職研修の盲点」

3月1日にコメントライナーとiJAMPに載った拙稿「管理職の必須知識」が、時事通信のニュースサイト「時事ドットコム」に転載されました。
企業も役所も大変!今どきの管理職研修に大きな盲点」です。無料閲覧可能なので、ご覧ください。なお、3月7日の『地方行政』にも載せてもらいました。

表題が、分かりやすいものに変わっています。なるほど、専門家は違いますね。
一般ニュースに取り上げられるとは、私の指摘が良い点をついていたということでしょうか。
「明るい公務員講座」3部作を書いたときに考えましたが、職員養成の重要性が叫ばれる割には、官民とも力を入れてこなかったように思います。「職員研修は充実している」と、関係者からは反論がおきるでしょうが。
1 職員養成とそのための手法(研修だけでなく)の、全体像や系統的な教科書がないこと。
2 職員養成の専門家が、企業や役所にいないこと。各分野の専門家はおられるのですが、全体を分かる人です。

今、勉強中です。この1と2について、良い教科書と専門家がおられれば、教えてください。お教えを乞いに行きます。

共同通信配信「東日本大震災11年 復興の課題」

共同通信社「識者評論」に「東日本大震災11年 復興の課題」を寄稿しました。「計画策定 人口減を前提に」という表題で、いくつかの地方紙に掲載されています。

社からの依頼は、復興の反省点、特にインフラ復旧が課題になったのではないか、今後同じ轍を踏まないためにどうすればよいかです。
そこで、批判を受けた事業を取り上げました。過大な防潮堤、新しい町での空き地、新設住宅が空き家になる恐れの三つです。
関係者は誰も、無駄なものを作ろうとしたのではありません。この三つに共通するのは、人口が減少する地域では元に戻すと過大になるということです。今後の大災害で町を復旧する際には、この点を念頭に置いておく必要があります。

連載「公共を創る」111回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第111回「「世間の目」と学歴・職業観」が、発行されました。前回に引き続き、住みよい社会をつくる際に障害となる社会意識を取り上げました。

個人の自由を制約する集団主義の一つが「世間の目」です。我が国の治安がよいことの背景には、この世間の目もあると考えられます。しかし、過度に個人の行動を規制し、同調を強要する場合は問題です。今回のコロナ拡大でも、「自粛警察」と呼ばれる現象が起きました。自粛を要請した行動制限に従わなかった人を批判するのです。自粛は、あくまでその人の判断で従います。もし強要するなら、法令で行うべきです。

「社会」と「世間」という言葉は、同じように人が集まっている空間を指すのですが、少し意味が違います。社会は構成員とあなたとの間に直接の関係があってもなくても成り立っていますが、世間の方はお互いに意識する相手からなっています。
世間の目が困るのは、その主語が誰だか分からないことです。「・・・といわれている」という文章で、主語がないのです。さんざん説教しておきながら、末尾は「らしいわ。知らんけどな」です。これは関西だけでしょうか。

集団主義の次に取り上げたのは、学歴社会と会社員への安住です。そしてそれは、低い満足度につながっています。経済成長期での人生の目標が、成長を達成した後も続いています。目標の転換ができていないのです。

福島民友新聞社編集局編『東日本大震災10年 証言あの時』

福島民友新聞社編集局編『東日本大震災10年 証言あの時』(2022年、福島民友新聞社)が発行されました。紹介文には、次のように書かれています。
「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年。今だからこそ語られる「あの時」の決断。福島県の被災市町村長らのインタビューで明かされる震災ドキュメント。 福島民友新聞社で連載した「震災10年 証言あの時」のうち2020年9月11日から21年3月1日までに掲載した25編、21年6月7日から10日まで掲載した「番外編」の3編を書籍化した」
貴重な証言集になっています。

私も、出ています。昨年2月18日と19日に掲載されたインタビューです。「2月18日福島民友インタビュー記事「政府の力が試された」
今読み返すと、えらくくだけた語調で語っています。インタビューの際に、聞き役の菅野篤司記者に、気を許しすぎたようです。また、私の発言をそのまま活字にしてあるので、関西弁のままです。
菅野記者は非常に厳しい記者ですが、私たちの立場も理解してくれました。10年間を振り返って、いわば「戦友」のような気持ちになって、気軽にしゃべったようです。

連載「公共を創る」110回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第110回「社会意識の変化」が、発行されました。
政府による社会への介入のうち「この国のかたち」の設定として、倫理と慣習について議論してきました。今回は、社会意識を取り上げます。ここでは、私たちの行動に表れるものを慣習とし、行動に表れないものを社会意識とします。

戦後70年、特にこの半世紀で、日本社会での寛容度は大きく広がりました。かつてはミニスカートや男性の長髪は批判される身なりでしたが、現在では許容されています。これは、国民が豊かになったこと、女性が社会に進出したこと、宗教や地域での制約が弱くなったことが背景にあります。
社会意識は政府が関与しなくても、つくられ変化するものです。しかし、政府の関与が行われる場合もあります。男女共同参画や働き方改革は、夫は仕事に出かけ妻は家庭を守るという社会意識を変えようとするものです。ボランティア活動は、政府が主導したものではありませんが、阪神・淡路大震災から若者が積極的に参加するようになりました。

課題は、社会をよくする際に問題となる社会意識を、どのように変えていくかです。
その一つが、集団主義と画一的教育です。日本人の特徴と指摘される集団主義、実は受動的なものであって、能動的には参加していません。自分を大切にして世間の目を気にする、個人主義なのです。