カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第60回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第60回「日本は大転換期―急速に変化した個人の暮らし」が、発行されました。
引き続き、成熟社会になった日本の問題を、議論しています。「成熟社会の生き方は」(連載第51回から第54回まで)で、経済成長の低下、目標の喪失、自由が連れてきた責任と孤独といった社会の問題を取り上げました。続く「成熟社会の生き方は その2」(連載第55回から第59回まで)で、満足したことによる活力の低下とともに、日本の驚異的発展を支えた日本型雇用と教育が問題を抱えたことを取り上げました。経済発展に適合した仕組みは、成熟社会では足を引っ張ることになりました。労働が個人の生き方と社会の形を表し、教育が日本社会を再生産します。この二つは、個人と社会との接点です。

社会の問題、個人と社会との接点に続き、今回からは個人の生活の問題を議論します。個人の暮らしとそれを取り巻く世間が急速に変化し、私たちの意識はそれに適合できていません。これが、日本の活力低下と不安の根底にある原因です。今私たちは、成熟社会での生き方を模索しているのです。それを、次の三つに分けて説明します。家族の形、居場所、信念と道徳です。

今回は、家族の形についてです。家族の人数の減少、結婚しない人の増加などです。結婚や子どもの数は、個人の判断です。国家や社会が介入する話ではありません。しかし、急速な変化はこれまでの慣習で育ってきた人たちを戸惑わせます。そして個人の安心を縮小し、将来の日本の不安要素になる恐れがあります。

連載「公共を創る」第59回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第59回「日本は大転換期―教育に税金を使わない日本」が、発行されました。
成熟社会になった日本の問題のうち、学校教育について議論しています。前回までで、高学歴化が生んだ問題、近代化手法の限界、学校外の子育て機能の低下について指摘しました。今回は、その他の問題について取り上げました。

日本は教育熱心だと思われていますが、教育にかける公費が少ないこと、満足度が低い子ども、制服が象徴する一律平等・個性抑圧・大勢同調の思想などです。

日本の発展を支えた労働慣行と教育。そして達成した「一億総中流」。この中流意識が、次への努力をおろそかにしたと、私は考えています。中流を目指すことはよかったのですが、そこで安住したことが次の発展を止めたのです。

連載「公共を創る」執筆状況

連載「公共を創る 新たな行政の役割」、定例の執筆状況報告です。
苦労の
末、第3章1(2)その3の1を完成させて、編集長に提出しました。毎週連載には、夏休みがないことを思い知りました。反省。

「その3」は、成熟社会の問題のうち、私生活の変化を取り上げます。一気に書き上げることはできず、その3分の1をまず仕上げました。「家族の形の変化」です。単身世帯の増加、結婚しない人の増加、子どもの減少、夫婦の関係の変化など。平成の間に、大きく変わりました。
関係する書物や新聞報道はたくさんあり、毎日目にしていることです。しかし、それを成熟社会の問題として整理しようとすると、苦労しました。毎度のことです。編集長と相談して、4回分に分割しました。これで、10月が乗り切れます。

目次を見たら、「日本は大転換期」が長々と続いています。こんな予定ではなかったんですが。目次の付け方を、まちがったかな。

先日、ある町長から「楽しみに読んでますよ。時代の変化を知らない職員たちに読ませています」と、応援をいただきました。「早く本にしてくださいよ」とも。
ありがとうございます。若い人たちからは、「なに、古いこと言っているの」と言われそうですが。

連載「公共を創る」第58回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第58回「日本は大転換期―学校外の子育て機能の低下」が、発行されました。
高く評価された日本の教育制度が、成熟社会になって機能不全を起こしています。近代化手法の問題の一つは、理想をだけを教えることです。立派な国民を育てるために、理想的な生き方を教えます。これはよいことなのですが、理想から漏れ落ちる子どももいます。それへの対応、つまずいた際の安全網の教育が不十分なのです。かつては、それらは家庭や地域に任されていました。

成熟社会の教育問題の3つめは、学校外での教育機能の低下です。子どもの貧困、児童虐待、不登校、いじめ、非行など、これらの対応を教員に求めるのは無理があります。かつて、家族、地域社会が守り教えてくれたことが、できなくなったのです。

ここから見えることは、子どもを教育の対象としてみるのではなく、子育てとしてみることの必要性です。一人では生きていけない子どもを養育することと、一人前に育てることです。学校教育は、そのごく一部でしかありません。

連載「公共を創る」第57回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第57回「日本は大転換期―成熟社会で見えた教育の問題と限界」が、発行されました。
成熟社会日本の問題。労働の次に、教育について議論します。労働が人の生き方と社会の形を表すものとすれば、教育は子どもや次世代の社会への期待を表しています。それが、日本人と日本社会を再生産します。

日本型雇用慣行と共に日本の教育も、日本の驚異的発展を支えた仕組みとして高い評価を得ていました。しかし雇用と同じように、教育も今やさまざまな問題を抱え、批判にさらされるようになりました。それは、発展途上社会に適合した教育の仕組みが、成熟社会ではうまく機能しなくなったからです。

成熟社会での教育の問題。その1は、高学歴化が生んだ問題を取り上げます。
みんなの憧れだった高等教育。高校進学率は1970年代に9割を超え、大学進学率は平成元年の25%から令和元年には54%と急上昇しました。では、みんなが幸せになったか。そうはなりませんでした。
大卒がエリートではなくなり、かつては高卒の人が就いていた職に、就かざるを得なくなりました。他方で、学歴競争はさらに激化しました。

成熟社会の教育の問題。その2は、近代化手法の問題です。
近代化の過程で効率的だった、集団で一律の教育を行うこと、知識を詰め込むことが、成熟社会では弊害を生むようになりました。