「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

地元の優れた産品

昨日、秋葉原に行ったついでに、「日本百貨店しょくひんかん」をのぞいてきました。「しゃれた容器」を見るためです。パンフレット通りの、しゃれたデザインでした。中身の食品も、工夫してあります。
ところで、この売り場は、JR秋葉原駅北の高架下です。全国各地から選ばれた地元産品が並んでいます。お薦めです。一度見に行ってください。こちら(百貨店)も、面白そうです。
百貨店と言えば、かつては、ヨーロッパからの舶来品を買いに行くところでした。でも、今やあらゆるものが、日本製が最高級になりました。イギリス製やフランス製と言っても、特段珍しくもなくなりました。すると、目利きの人は日本国内の逸品を選ぶのでしょうね。そして、アジアからの観光客です。日本人の知らない観光地、食堂、優れた品物を選んでいるようです。海外からの観光客に教えてもらう、日本の良さですね。
そして、この百貨店は高架下にあるように、立派な建物ではありません。品物で勝負しています。眼や舌が肥えた人たちは、これを選びそうです。このような店は、これから、はやりそうな気がします。他方で、百貨店は、アジアの人が高級品を買いに来る店に特化するのでしょうか。

建物の維持管理費

建物を建てると、その後の維持運営費が必要になります。建設を議論する際や、建物ができた際には、建設費が明示され、予算書やパンフレットに載ります。しかし、毎年の運営費は、パンフレットに載るのはまれで、議会でも余り議論になりません。
ビルを建てた場合の運営管理費を、鹿島建設が分析していることを、教えてもらいました。事務所、学校、ホテル、商業施設ごとに分析しています。単純化すると、建設費の4倍から5倍の経費がかかります。これは、50年間の試算のようです。
ただし、これは建物の維持管理費で、電気代とか修繕費です。役所が作る建物は、建物だけで終わりではありません。例えば、図書館だと、本を買い、司書を置きと、人件費やサービスのためのその後の経費が大きいのです。というより、毎年のサービスが主体で、建物は入れ物でしかありません。私の経験では、文化会館など箱物をつくると、年間の電気代などが1億円かかりました。その他に人件費は1人当たり1千万円ですから、10人置くと1億円が加算されます。そして、これは毎年かかります。
いったん建物を建てると、住民も議員さんもその運営費を忘れてしまいます。維持管理費にマイナスシーリングをかけると、電気代とか雨漏りの補修、さらには新刊書の購入費が、毎年1割ずつ削減されます。5年後の状況を想像してください。余り話題にならないので、財政課長も切りやすいのです。
バブル期に大きな箱物を建てた市で、後任の財政課長が「これなら建物を建てずに、飲んでくれた方がよかった」と言ったという笑い話があります。同じ金額を飲み代に使うと、何も残りませんが、維持費もかかりません。場合によって、建物は負の遺産になるのです。もちろん、飲むことは、お薦めではありません。

新しい世界史の見方

川北稔著『世界システム論講義―ヨーロッパと近代世界』(2016年、ちくま学芸文庫)が、勉強になりました。2001年の放送大学の教科書が、文庫になったものです。学生時代に習った歴史が、古くなっていることを痛感します。ヨーロッパ中心のものの見方、国家を単位とした見方、先進国に向かって後進国が発展していく歴史、これらが否定されます。
アメリカをつくったのは、勤勉なキリスト教徒だけではないこと。そんなきれい事ではないようです。先進国が工業化される過程で、後進国が低開発国にされたこと。同じ植民地でありながら、北アメリカ北部、南部、カリブ海地域が、違った発展をしたのか。ご関心ある方は、お読みください。面白く読みやすいです。

建築様式に見るモダン、2

私は、建築はもちろん門外漢で、この本に出てくる建築家、建物、専門用語は、知らないことばかりです。でも、たくさんの建物の写真がついていて、話の流れはわかったつもりです。もっとも、本文に出てくる建築物で、写真がついていないものもあり、そこはお手上げです。
私は、この本を建築様式の歴史としてでなく、社会と思想の歴史として読みました。すなわち、モダンとポストモダンは、何を基準にどこで分かれるか。ポストモダンとその次の時代は、何を基準でどこで分かれるのか。その際には、ポストモダンは、何と命名されるのか。日本の戦後とその後の時代は、何を基準にどこで分かれるのか。

建築様式に見るモダン

岸和郎著『デッドエンド・モダニズム』(2015年、LIXIL出版)が、興味深かったです。著者は、1950年生まれの建築家です。この本は、20世紀の建築を対象として、モダニズム(近代主義)と、それへの対抗(ポスト・モダン)を分析したものです。モダニズムが、それまでの装飾を取り払い、機能主義のデザインを持ち込みます。王侯貴族というパトロンでなく、市民や資本家が顧客になります。アパートメントや個人住宅がその象徴です。鉄とコンクリートとガラスが、それを支えます。色でいうと、白です。それに対抗するデザインが出てきて、ポスト・モダンが生まれます。しかし、行き詰まります。
近代は、政治、経済、社会など様々な分野で、それまでの時代を変える大きな時代を画しました。建築様式の世界でも、一つの時代です。「ウイキペディアの解説」。
ところで、その後に来たのは「ポストモダン」です。しかし、「ポスト」と名づけられているように、それは新しい哲学を生んでいません。私が思うに、もう一つ先の哲学・思想・様式が生まれたら、「ポスト・モダン」もそれとの比較で何かの名前をもらうのでしょう。日本の現代史でも、いまだに「戦後」と言いますが、次の思想・様式・政治形態が出てこないと、戦後はいつまで経っても、戦後です。御厨先生が「災後」という名称を提唱されましたが、定着していないようです。