カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

構造的権力

谷口智彦『通貨燃ゆ』(日本経済新聞社、2005年)p54以下に、スーザン・ストレンジ(イギリスの経済学者)の考えである「構造的権力と関係的権力」が、引用されています。
・・関係的権力とは、甲が乙をして、無理やり甲の意図通りのことをせしめる力を言う。それに対して構造的権力とは、物事がどんなふうに起きていくべきか、決める力を言う。国家が国家と、人間集団や企業集団と、どんな関係を結ぶかその枠組みを形づくる力を言う
それが露骨な権力の行使であることを意識しないまま、させないまま、ある種の行為へと人を導いていく枠組みというものが世の中にはある。そういう枠組みの中にいったん入れてしまえば、後は当人たちが自発的に求められる行動を取ってくれるから、あえて力を行使する必要すらない。そんな枠組みをつくり、維持する力こそは、構造的権力である。
具体的には、英語メディアが世界を覆う状況、ドルが基軸通貨であることなどです。

宗教と国家

8日の朝日新聞夕刊が「統一協会、2.3億円で示談。献金女性『国の責任も問う』→増額」を伝えていました。記事によると、宗教団体に献金をした女性が、団体を相手取って損害賠償を求めました。団体側の示談の当初提示額に対し、原告である女性は納得せず、誠意ある対応を取らない場合は、文科省にも責任があり、文科省を被告として責任を追及するとしたそうです。それを受けて、宗教法人側が、増額に応じたとのことです。
この訴訟は、国家と宗教との問題を浮き彫りにする事件です。近代立憲国家は、個人の内面には国家はかかわらないとして、線を引きました。まさにそれが、近代国家の主発点だったのです。フランス革命では、キリスト教と国家が分けられました。日本では1945年に、国家神道と国家が分離されました。イタリアでは、ムッソリーニの時代に、バチカンとイタリア国家との間に、分離協定が結ばれました。
しかし、完全に分離はできず、時々、宗教が政治の世界に顔を出します。政治家が靖国神社にお参りする場合、地方団体が神社にお供えをする場合などです。また、今回のように、文科省の責任を問うとされる場合です。宗教法人を認可する権限は、国と県にあります。しかし、一定の条件があれば認可するというのが法律の規定で、裁量の余地はありません。何が問題になるか。それは、宗教法人だと、税金がかからないのです。ここに、政治と宗教が接点を持ちます。
個人の内面は外からうかがい知ることはできませんから、国家が口出しをしない限り、問題にはなりません。しかし、宗教には、外面的な儀式がつきものです。宗教ではなく、宗教団体や宗教法人が問題になります。
違った局面では、アメリカの大統領は、聖書に手を載せて、就任宣誓をします。イスラム教徒や仏教徒が大統領になったら、どうするのでしょうかね。
9日の日経新聞夕刊に、猪木武徳先生の「海外の日本研究が退潮傾向。薄れる存在感、無知招く」が載っています。1970年代から90年代にかけて、外国人研究者による日本人論がよくありました。しかも、日本人の自尊心をくすぐるような内容です。最近は、見かけなくなりました。また、海外の日本研究機関が、縮小されているとのことです。日本に代わって、イスラム、中国、インドへの関心が高まっています。日本の経済的存在感と、比例しているようです。しかし、世界で日本のことを知ってもらうことは、重要なことです。詳しくは原文をお読みください。

教育方法の輸出

4日の朝日新聞が、世界の国々で日本の学校教育が高く評価され、採り入れている国がたくさんあることを伝えていました。教師同士の授業研究、教員指導方法、理数科科目の教育方法などです。小学校の算数の教科書が英訳され、1万冊が輸出されているとのことです。
モノだけでなく、このようなソフトもどんどん輸出したいですね。

社会の信用

21日の朝日新聞は、信用に関する社会意識調査を載せていました。
信用できない企業が多いが60%、信用できない人が多いが64%です。信用しているは、家族が97%、新聞が91%、医者83%、警察63%、教師60%です。政治家と官僚はともに18%です。
そのようなものかと思いつつ、次のようなことを考えました。
多くの人は会社勤めです。自分の会社についても、信用できないと思っているのでしょうか。それだと不幸ですよね。勤めている会社で偽装を見聞きしたら、上司や同僚に相談するが70%に達しています。これが実行されれば、良くなります。
他人を信用できないと思う人が多いということは、その人も信用されていないということです。これが、負の連鎖を招きます。「あいつは俺を信頼していない。では、あいつを信頼してはいけないな」とです。問題は、これをどう好転させるかです。山岸俊男先生は、村社会の中での安心と、不確実性の中での信頼とを区別しておられます。『信頼の構造』(1998年、東京大学出版会)。そして、村内での安心に頼っていた日本の方が、信頼をつくるのが低いと分析しておられます。
家族を結びつけるものは何かとの問いに、若い人ほど、精神的なものという答になっています。歳を取ると、それは減って、血のつながりや一緒に暮らすことが増えます。若い人の「理想主義」、歳を取ると「現実主義」になるのがわかります。心配なのは、若い人の「無い物ねだり」です。精神的なつながりを期待すること、それはよいことですが、必ずしも映画やドラマのようには行きません。それが得られないときには、不満がたまります。
求める人がいるときには、それに答える人が必要です。求めるだけでは成り立ちません。他人に求めるなら、あなたも答える必要があるのです。甘えることができるのは、甘えを受けとめてくれる人がいるからです。子供の時は、一方的に親に甘えれば良かったのですが。結婚すると、それが双方向になります。一人の喜びが二人で倍加するのか、二人で分け合って半分になるのか。一人の苦痛が二人で分け合って半分になるのか、双方になすりつけて倍加するのかは、夫婦二人の振る舞いによります。
夫婦とも生身の人間です。いつも聖人君主というわけには、行きませんわ。その時のかすがいは子供と金、というのが昔からの相場です(身もふたもありませんが)。もっとも、この二つの答は、この調査の回答にはありませんでした。あまりに現実的すぎるからでしょうかね。それとも、設問をつくった人が若い人か、関西人でなかったか。

グローバル化とナショナリズム

17日の朝日新聞「グローバル化の正体」は、小熊英二教授の「均質化が生む不仲の双子」でした。
・・グローバル化とナショナリズムは対立すると言われがちだが、仲の悪い双子のようなものです。両方とも、交通通信技術の発達に基づく均質化と資本主義化の産物です。均質化が国内でなされるとナショナリズムと呼び、国際的になされるとグローバル化と呼ぶ。
ナショナリズムは、中の下くらいの階層が受益層となり、グローバル化の受益層は上層です。
この双子の共通の敵は、ローカリズムでしょう。地域や親族の共同体が衰えているのが、ポピュリズム的なナショナリズムが台頭する一つの要因でしょう。