カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

山は登るものでなくつくるもの

8月25日の日経新聞、石井裕・米MIT教授の「山は登るものではなくつくるもの」から。

・・・石井裕・米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ副所長(教授)が米国計算機学会(ACM)のコンピューター・ヒューマン・インターフェース(CHI)会議で最も著名な「生涯研究賞」を受賞した。ヒトとコンピューターの接し方について従来にないビジョンを提示しまったく新しい研究領域を創出したことが高く評価された。「100年後にも廃れないビジョンこそ大事だ」と石井さんは力説する。

生涯研究賞は、単一の発明や研究成果を対象に贈られるものではない。多くの研究者を魅了し研究に駆り立てるような新しいビジョンを示し長きにわたって先駆者として活躍してきた研究者に与えられる。過去にはマウスやグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)の先駆けとなる技術を発明したダグラス・エンゲルバートら時代を画する研究者が受賞している。石井さんは日本を含むアジアから初めての受賞だ・・・

・・・「MITに来たとき、これから頂上の見えない高い山に登るものだと思っていた。しかしそれは間違いだった。山に登るのではなく、山をつくるのが仕事だと気がついた」と石井さんは述懐する。だれも気がつかない領域を見いだし後進の研究者が挑戦し続ける大きな研究分野をつくりあげる。エンゲルバートら、石井さんが尊敬するコンピューター科学の先達たちが歩んできた道を自分もまた歩まねばならないことを自覚したそうだ・・・

豊かな余暇を楽しむ

日曜日の日経新聞には、別刷りのカラーページが折り込まれています。「こんな日曜日が待ち遠しい。The STYLE」です。
新しい生活スタイル、少々お金を持っている企業人向けのようです。値の張る料理やお酒、服装などが紹介されています。活躍中の企業人の趣味なども。
仕事に没頭している社会人に、仕事を離れた生活の情報を提供しているのです。

私は、月曜の朝、福島に向かう新幹線の中で読むことにしています。
若いときは、仕事一筋で時間の余裕もなく、お金はもっと余裕がありませんでした。
最近ようやく、キョーコさんのお供で旅行することができるようになりました。食事とお酒も(このあと楽しめる回数も多くないと思い)、少しはましなものを選ぶようになりました。もっとも、そんな高価なものは無理ですが。

8月18日の紙面は、瀬戸内海クルーズの「ガンツウ」を紹介していました。2泊3日で、40万円から100万円だそうです。
船の形からして、日本らしいです。エーゲ海のクルーズをうらやましがるのではなく、日本でも、このような船旅ができる、そして乗る人がいるようになったのですね。

偉人たち、人生の快楽

島地勝彦著『そして怪物たちは旅立った』(2019年、CCCメディアハウス)を本屋で見つけて、読みました。島地さんは1941年生まれ、『週刊プレイボーイ』編集者として有名です。近年は、バーテンダー、エッセイストとして活躍しておられます。

この本は、雑誌に連載された文章を、一冊の本にまとめたものです。作者が興味のある歴史上の人物100人を選んで、その人の葬式に出席して読む弔辞という形を取っています。「寝る前に2、3人ずつ読むと良い」と書かれています。

もちろん、歴史上の偉人を、公式の活躍ぶり、正面からは取り上げません。島地さんの物差しで、切り込みます。酒と女とたばこ、とおっしゃいます。
人生の楽しみは、このほかに、名誉とお金、美食でしょうか。へえ、と思うことがたくさん載っています。かなりの読書をなさったのでしょうね。また、それを覚えておられる。すごいことです。
短いコラム、本の形にしても一人3ページの短いものです。できればこの2倍の分量があれば、さらに面白いものになったと思うのですが。
近年は、英雄の伝記ははやらなくなったのですが、人生の道しるべとしては、意義があります。凡人は、そのようなまねはできないと思いつつ、夢を持ったり、少しまねてみたり・・・。

官僚という職業を選んだので、私は、そんな面白いことを楽しめませんでした。キョーコさんからは、「お酒を飲んだじゃないの、飲み過ぎ」とおしかりをうけていますが。
「仕事で楽しんだじゃないか」と、ヤジが飛んできそうです。

よき死に方、よき生き方。佐伯啓思先生

7月6日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「死すべき者の生き方」が、勉強になりました。取り上げられているのは安楽死です。これも寿命が延びると重要なテーマですが、先生は、どのような死に方をするかは、その最後までいかに生きるかの問題だと提起されます。

近代社会では、「よき生」は問わずに、生きることが至上の価値とされ、生命の尊重が最高の価値となったこと。20世紀には経済成長と福祉が求められ、21世紀には医療技術と生命科学の進歩によって、あらゆる病気を克服して寿命を延ばすことが目標になったことを指摘します。

近代市民社会そして憲法は、各人の生き方については本人に任せ、国家が立ち入らないこととしました。そして、どのような死に方をするかもです。それは、宗教の世界であり、本人の信念とされました。
しかし現代では、宗教がかつてほど人の信仰を引きつけず、他方でどのように生きるかも教えてもらえません。道徳は、社会での行動の決まりは教えてくれますが、生きることの意味は避けます。

私たちが生きる意味を、そして死ぬ意味を、一人で悩むのはつらいことです。
近代市民社会は、宗教や迷信、親や社会の束縛から、自由になることを目指しました。しかし、それらが簡単になくなったわけではありません。西欧で革命が起きても、日本国憲法が施行されても、宗教などは根強く残っていました。それが、近代化が進むことで希薄になりました。市民社会の完成は、何にも束縛されない、そしてよりどころのない、「自由だけれど、孤立した不安な個人」を生みました。
ぜひ、原文をお読みください。

「公共を創る」を執筆する中で、この問題をどう取り上げるか、悩んでいます。宇野重規著『『私』時代のデモクラシー』を読み返しています。

老人とは

5月26日の日経新聞文化欄、久間十義さんの「令和の新老人」から。

・・・ぼうっとしているうちに平成が終わり令和が始まった。昭和(戦後)生まれの私は現在満65歳になる。恥ずかしながら、うかうかと時を過ごしてきた感は否めない。
20年前、まだ40代半ばだったとき、65歳は充分年寄りに見えた。というか、当時の私は65歳の方々を一仕事終えた老人と思いなしていた。あとは余生を過ごすだけの「一丁あがり」の人たちだ、と。
しかし自分がその歳になって、大変な間違いだと気づいた。まず「あがり」も何も、一仕事やった覚えが私にはない。気がつけば定年を過ぎたけれど、まだ老いて死ぬ間際という意識もない。身体はそれなりにくたびれてきても、頑張ってメンテナンスすれば後十年や二十年は図々しくやっていけそうな気配なのである。要はエセな新老人が一人、しゃあしゃあと生きているのだ・・・

・・・米国の「失われた世代」を代表する批評家マルコム・カウリーが『八十路から眺めれば』で、老化の目安を「美しい女性と街ですれ違っても振り返らなくなったとき」と断じていたが、まあ、すべてにそんな按配だ。
カウリーは他にも「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」とか「笑い話に耳を傾けていて、他のことはなんでもわかるのに話の落ちだけがわからないとき」とか、色々挙げていて、ぐさぐさくるボディーブローにうなだれる・・・