「歴史」カテゴリーアーカイブ

万葉集のアサガオは桔梗?

山上憶良が「秋の七草」について、二首詠みました。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」
「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」

そして、この朝顔を桔梗だという説を聞いたことがあります。
私は、この説に疑問を持っていました。桔梗の花は朝だけではありませんよね。数日咲いていたと記憶しています(不確かです)。朝顔と名付けられるくらいですから、朝に開くそして昼には閉じるくらいでないと、そんな名前はつかないでしょう。
朝顔が夏に咲くので、秋の七草にはふさわしくないと考えたのかもわかりませんが、我が家の朝顔は10月になっても咲いています。「温暖化の影響だ」「当時の朝顔とは異なる品種だろう」という批判もあるでしょうが。

インターネットで調べたら、「朝顔、桔梗、槿、昼顔、のあさがお説の検討」に次のように書かれていました。
・・・古代のアサガホはカホガハナのうちの、朝に咲くことが特徴である花である。このアサガオには、現在の朝顔、桔梗、槿、昼顔、のあさがおなどの説がある。朝顔は十月十一月に咲くこともある。源氏物語のアサガホは、長月に咲いている例もあるが、つる性の植物で、現代と同じ朝顔と考えてよい。桔梗説について。源氏物語にも枕草子にもキキヤウとアサガホとが出てくるので、この時代には別の植物をさしていたことは明らかである・・・

チャーチル著『第二次世界大戦2』

ウィンストン・チャーチル著『第二次世界大戦2―彼らの最良のとき』(みすず書房)が出版されました。
いよいよチャーチルが首相になって、劣勢で困難なイギリスを率います。

昨年8月に『第二次世界大戦1―湧き起こる戦雲』が出版され、今年が第2巻です。それぞれに約900ページの分厚さです。チャーチルは、よくこれだけのものを、しかも晩年に書けたものですね。

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』

小野寺拓也・田野大輔著『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(2023年、岩波ブックレット)を、積ん読の山に見つけて読みました。
宣伝文には、次のように書かれています。
「「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える」

本書では、それらの「俗説」を取り上げ、「その政策がナチスのオリジナルな政策だったのか」「その政策がナチ体制においてどのような目的を持っていたのが」「その政策が「肯定的な」結果を生んだのか」という3つの視点から検討します。
どの政策も、ナチス独自で考えたものではなく、既にドイツや他国で試みられていたものであること。各政策が、それぞれに適切な目的を持っていたこともあるが、次第に戦争へと利用されること。フォルクスワーゲンも、国民には1台もわたらなかったように、かけ声倒れが多かったことを、説明します。

ヒットラーと側近も、国民の支持を獲得するために、様々な国民向けの政策を、大胆に実施します。もっとも、それが持続し、成果を出すところまで行っていないのです。
誤解を恐れずに言うと、その目的や結果を別にして「既にドイツや他国で試みられていたものを、ナチスが大々的に実行した」ことは、評価されてもよいと思います。それができないのが、通常の政治ですから。「だから独裁政治が良い」とは言いません。

ブックレットなので、100ページあまりで、読みやすく、お勧めします。

ラジオ放送100年

8月11日の日経新聞別刷りNIKKEI The STYLE「文化時評」に「ラジオ放送100年 試練を受けた先端メディアの盛衰」が載っていました。

・・・来年は、日本でラジオ放送が始まってから1世紀の節目である。「まだ?」と思われるか、「そんなものか」と感じるか。人により、受け止めは、さまざまだろう。少し早いが、これを機に、新しいメディアの誕生や、その役割の変化について考えを巡らせてみたい・・・

1925年3月22日に、日本放送協会の前身である東京放送局が初めてのラジオ放送を開始したのだそうです。世界初のアメリカに遅れること4年です。
1933年に政権を握ったドイツのヒットラーがラジオを活用し、対するアメリカのルーズベルト大統領も「炉辺談話」で有名です。

でも、まだ100年なのですね。私は1955年生まれで来年で70歳。ラジオは30歳しか年上ではありません。私の父は1921年、母は1926年生まれですから、同世代なのですね。
日本でのテレビ放送開始は1953年。私と同世代でした。インターネットが普及したのは2000年以降です。私の子ども(より下)の世代です。

記事では、この間のラジオの盛衰と、社会での役割変化を考察しています。お読みください。

キリスト教はどのようにして広まったか

ロドニー・スターク著『キリスト教とローマ帝国』(2014年、新教出版社)を読みました。新聞の書評欄で見かけたので。その通りに、勉強になる内容でした。

古代ローマ帝国のはずれで起こったよくわからない小さな宗教運動が、どのようにしてそれまで支配的だった多神教を駆逐し、西洋の支配的信仰になったのか。この本は、「キリストの偉大さ」ではなく、数学的、社会科学的に分析します。

キリストが磔にあった数ヶ月後、キリスト教徒の数は120人ほどでした。著者は紀元40年に1,000人と見積もり、そこから推計します。そして、1年で3.42%、10年間で40%という増加率を導きます。すると、紀元100年には7,530人、200年には217,795人、300年には6,299,832人になります。

キリスト教は、初期にはユダヤ人に広まります。既存のユダヤ教に反発する人、エルサレムを追放されたり流れたりして異邦で暮らす人に受け入れられます。
集団改宗が起きたこと、奴隷たちから広がったことも否定されます。改宗は、宗教者による説得より、家族や知り合いからの勧誘の方が効果が高いのです。
子どもの間引きが横行した時代に、キリスト教はそれを禁止します。そして、病気が流行した際も、助け合うことを勧めます。これもまた、キリスト教人口の増加を進めます。
ローマ帝国支配者層とキリスト教徒が対立し、残虐な死刑が行われたという通説も、否定されます。確かにキリスト教指導者は死刑にあったのですが、多くの信徒はそんな目に遭っていません。
これ以外にも、興味深い事実が明らかにされます。お勧めです。