カテゴリー別アーカイブ: 歴史

ドイツの自然がつくったドイツ人

池上俊一著『森と山と川でたどるドイツ史』(2015年、岩波ジュニア新書)が、面白いです。内容は、表題のとおりです。先生には、このシリーズに『パスタでたどるイタリア史』、『お菓子でたどるフランス史』があります。ドイツもその延長で、ジャガイモ、ソーセージ、ビールを考えられたようですが、森と山と川を選ばれました。
ジュニア新書なので、子ども向きにやさしく書かれています。しかしそれによって、切れ味良くドイツの特性を描いておられます。高校の教科書や専門書が細かい事実を並べるのに比べ、わかりやすいのです。国家ができなくて民族が先にあったこと、神秘主義が好きだとか、ワンダーフォーゲルが生まれたとか。といっても、カノッサの屈辱やルターの宗教改革なども出てきて、子どもには難しいかもしれません。

感染症の歴史、3

NHKカルチャーラジオ、吉川泰弘先生の「生物の進化の謎と感染症」、テキストp55から。
・・・1997年、世界保健機関は「新しく認識された感染症で、局地的にあるいは国際的に公衆衛生上問題となる感染症」を新興感染症と定義しました。なんでもないことのようですが、定義を決め、それに該当する事柄をまとめると、それまで曖昧としていた、いろいろなものがみえてきます。この定義により過去20年間に30種類以上の新興感染症が出現したことがわかりました・・・

感染症の歴史、2

インフルエンザウイルスの大きさは、10のマイナス7乗(100nm)です。人の子どもの大きさを1mとすると、1,000万倍違います。地球の大きさは直径13,000kmで、子どもの1,300万倍です。インフルエンザウイルスと子どもの大きさの比が、子どもと地球の比とほぼ等しくなります。子どもに感染するウイルスは、人を乗せて地球に接近する宇宙船のようなものです。
くしゃみで、2m先の別の人に感染する場合、ウイルスから見た距離は、2×10の7乗の距離で、人に置き換えると2万kmになり、北極から南極までの距離になります。1回のくしゃみに、10の8乗(1億個)のウイルスが含まれる1mlの唾が飛ぶとすると、1億人が北極から出発し南極を目指すことになります。たどり着くのは、なかなか大変なことです(p158)。でも、風邪がうつりますよね。
海水中のウイルスは、少なくとも1ml中に、深海で100万個、沿岸で1億個と推計され、世界の海全体でウイルスの総量は10の30乗個といわれています。ウイルスの大きさは平均100nmと極めて小さいのですが、海のウイルスをすべてつなぐと、10のマイナス7乗×10の30乗=10の23乗で、1,000万光年(1光年=10の16乗m)になります。銀河系の直径の100倍だそうです! 全人類70億人が手をつなぐと、2m×7×10の19乗=1.4×10の10乗m。光の速度が1秒で30万キロメートルなので、47光秒です。太陽と地球の距離の10分の1です(p39)。ひえ~。

感染症の歴史

NHKカルチャーラジオ、吉川泰弘先生の「生物の進化の謎と感染症」が興味深いです。私はテキストを読んだだけで、放送は聞いていないのですが。うつると怖い伝染病。かつては人から人へ伝染すると教えられましたが、動物由来の感染症も多いのです。テキストを読むと、これでもかこれでもかと、怖い病気が出てきます。エイズ、SARS、エボラ出血熱、デング熱、O157・・・。蚊に刺されたり、食べ物に入っていてそれを食べたり。
私たちは、ウイルスや細菌が人体を攻めてくると考えますが、ウイルスや細菌にとっては、遙か以前から地球で暮らしていたのは彼らの方で、人類はあとから地球にきた新参者です。彼らは30億年、こちらはせいぜい500万年。彼らは、多細胞生物から魚類、両生類、は虫類と次々と乗り物を変えて、生き延びてきました。

大坂落城400年

朝日新聞8月29日オピニオン欄「戦後400年!」、堺屋太一さんの発言から。
・・・400年前に大阪はいわば焦土となりました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぼされ、大坂城が落城した。そんな場所はそのまま衰退してしまうのが歴史の常識でしょうが、大阪は違いました。
「八百八橋」をはじめとして様々な異名がありますが、江戸期の大阪を表す最も的確な言葉は「天下の台所」でしょう。諸大名がコメや特産物を売るための蔵屋敷が軒を並べ、西国を中心に全国で生産されたコメが大阪に持ち込まれ、金や銀などの通貨と交換されました・・・
・・・大坂の陣の後、淀川の中州を開発し、現在の中之島を整備したのが、豪商・淀屋常安(じょうあん)でした。そこに諸藩の蔵屋敷が集まります。淀屋が架けたのが、今もビジネス街の中心を結ぶ「淀屋橋」です。
息子の个庵(こあん)は天才的なイノベーターでした。大名の蔵米販売を引き受け、店前にコメの市を立てました。これが堂島米会所へと発展し、全国の米相場の中心地になります。
大阪の米相場から生まれたのが先物取引です。やがて8代将軍徳川吉宗の時代、世界最初の公認先物市場となり、今や世界に広まる商品先物取引に発展するのです。
この他、繁華街の宗右衛門町や街々を結ぶ多くの橋も、町人たちによって開発されたのが江戸時代の大阪です。
官需なしに住民自ら興した都市は、日本広しといっても大阪ぐらいでしょう。政府の財政赤字が膨大になった今こそ、注目されるべきです・・・