カテゴリー別アーカイブ: 歴史

兼好法師

小川剛生著『兼好法師』(2017年、中公新書)が面白いです。徒然草で有名な吉田兼好ですが、私たちが知っている経歴は間違いなのです。この本は、兼好の実体に迫ります。推理小説みたいです。
吉田という姓も嘘だそうです。後世、吉田家が「箔を付ける」ために、ねつ造したとのこと。なんと。

どのようにして、700年前の人物の実像を明らかにするか。お寺に残っていた古文書(仏教の経典)の裏に、兼好が書いたと思われる手紙が残っていたのです。紙が貴重な時代、裏を再利用して教典を書き写したのです。
この本は、徒然草の解説書ではありません。兼好法師とは誰かの、推理です。
面白いですよ。

近過去を知る「平成の100人」

月刊誌『中央公論』2018年1月号の「平成の100人」が勉強になります。政治、経済、社会・事件、文化、科学、スポーツの6分野で、それぞれ2人ずつの有識者が、平成を人物で表現するのです。科学では、鎌田浩毅・京大教授もでておられます。最後に、猪木武徳先生と北岡伸一先生による、総括的な対談が載っています。
「他にも、こんな事件もあった。このような見方もできる」という思いもありますが、短い紙面では、ないものねだりですね。

平成とは何だったかを問う、あるいはこの30年は何だったかを問う、良い試みです。
元号で時代が変わるわけではありません。昭和という時代が、戦前と戦後で全く違うものでした。平成も、バブル、その余韻、バブル崩壊と金融危機、そこからの脱出の試みと、いろんな経過をたどりました。しかし、平成という時代は、バブル崩壊とそこからの立ち直りの試みという時代に重なります。
その際に、特に、日本の政治と経済は何を目指したのか、そしてどれだけ成功したのか。その視点が重要でしょう。
近過去を知ることは難しいです。毎日のニュースはすぐに忘れます。つい最近のことは、本や教科書では整理されていません。このような雑誌記事や新聞の特集が役に立ちます。

ところで、56ページに、次のような、斎藤環・筑波大教授の発言があります。
・・・震災は様々な迷走を生むばかりでしたね。私が驚いたのは、国の原子力保安検査官が全員、現場から逃げ出したこと。しかも誰も処分されていない。信賞必罰が成立していない日本型組織の典型です。こういう組織に原発は任せられないことが露わになったと思うのです・・・

第三次産業革命

10月17日の日経新聞オピニオン欄、ジェレミー・リフキン氏の「迫り来る第3次産業革命 」から。
・・・19世紀以降、世界は2回の産業革命を経験してきた。1回目は19世紀で、中心的な存在は英国だった。2回目は米国を舞台に20世紀前半に起きた。今はそれに続く3度目の産業革命が生起しつつある。今回の産業革命は、私たち人類が地球温暖化や富の格差といった難問を克服していくうえで、大きな威力を発揮するだろう。

過去の2回を振り返ると、単なる個別の技術革新にとどまらない、イノベーションの連鎖反応が起きていたことが分かる。その結果、3つの非常に重要な分野、すなわちエネルギーとモビリティー(移動手段)、そして情報伝達の領域で同時並行的に飛躍的な変化が起き、社会の姿や生産様式を一変してしまった。
第1次革命では蒸気機関の発明によって、人手や家畜とは比べものにならない、桁違いの動力を人類が使えるようになった。その結果、大量生産に適した近代的な機械化工場が登場し、大量のヒトや物資を遠くまで運べる鉄道や蒸気船も普及した。電信サービスが商用化されたのも19世紀半ばのことだ。
第2次革命のエネルギーは電力が、最初は工場に、続いて家庭に普及した。モビリティーでは自動車が誕生し、コミュニケーション手段としては電話が注目を浴びた。この時現れた新技術は今の私たちにとってもなお身近なものだ・・・

第3次革命がどのようなものか。それは原文をお読みください。私は、情報の革命は同意しますが、エネルギーと移動手段は、「そうかな」とやや疑問です。

「第3次革命の結果、バラ色の社会が到来するのでしょうか」という問に。
・・・私はユートピア主義者ではないので、そうは言わない。逆に人類が明るい未来を手にするには、とにかく第3次革命を成功させなければいけない、と訴えたい。このまま人類が化石燃料への依存を続け、温暖化が進めば、大惨事が起きる。気温がセ氏1度上がれば大気に含まれる水蒸気は7%増え、それだけ大型のハリケーンや豪雨、洪水が増えるだろう。私の住んでいる米東海岸のボストンでも昨年は2.5メートルの積雪があり、異常気象を実感した。「環境の激変で今世紀末までに今地球にいる生物種の半分は死滅する」と予言する生物学者もいる。
もう一つの問題は富の格差だ。14年には世界で最も豊かな上位80人が保有する資産は、世界の全人口の貧しいほうの半分が持つ資産の総和に等しかった。第3次革命により貧しい人にも教育の機会が与えられ、資本力の乏しい小さな企業でも事業のチャンスが広がれば、富の格差が縮小の方向に向かうかもしれない・・・

そうですね。産業革命は技術の革命であるとともに、いえそれ以上に、社会がどのように変わったかで判断されるものです。すると、新しい技術を人類がどのように使うかによって、社会は変わってきます。
第一次革命で、農業社会から産業化社会になりました。農民から工場労働者になったのです。第二次革命では、豊かで便利になりました。勤め人がさらに増え、ホワイトカラーが増えました。大衆社会と民主主義が定着しました。では、第三次革命では、私たちの暮らしはどうなるか。それがまだ見えないのです。

江藤淳著『アメリカと私』

6月17日の朝日新聞オピニオン欄に、山脇岳志アメリカ総局長が「「アメリカと私」そして日本」を書いておられました。山脇さんは、近く4年余りの任期を終え、東京に帰任されるとのこと。前回の勤務とあわせると、アメリカ生活は7年半になるそうです。
・・・江藤氏が、大学での研究生活の苦悩や喜びを描いた「アメリカと私」(文春文庫)は、今読んでも興味深い。
冒頭は、日本から米国に帰国したばかりの米国人の友人が、江藤氏に漏らした言葉の回想から始まる。
「外国暮しの『安全圏』も一年までだね。一年だとすぐもとの生活に戻れるが、二年いると自分のなかのなにかが確実に変ってしまう」
2年の米国暮らしを終えた江藤氏は、自分の内面も変わったと感じる。「どんな親しい友人ともわかち持てない一部分が、自分のなかに出来てしまったような感覚である」と記す・・・

この記事に触発されて、江藤淳著『アメリカと私』(私が読んだのは、1972年、講談社文庫)を読みました。
若き評論家として名をあげた江藤さんは、1962年、29歳の時に、ロックフェラー財団の研究員となり、1年間プリンストン大学に留学します。そして引き続き、もう1年、教員として講義をもちます。その際に感じたこと、考えたことを綴ったのが、この本です。アメリカに住み、彼我の違いとともに、移民国家アメリカの秘密を体験されます。
なるほどと思うところが、たくさんあります。もっとも、「ここまで深く深刻に考えなければならないのか」と思うこともありますが。1962年は昭和37年で、戦争が終わってまだ17年、東京オリンピックの2年前です。敗戦国と戦勝国、圧倒的経済力の差があった当時では、そう考えざるを得なかったのでしょう。

ところで、この本は、1972年発行です。半世紀近く前の本も、インターネットで古本をすぐに探すことができます。便利なものです。

歴史の見方

J・H・エリオット著『歴史ができるまで』(邦訳2017年、岩波書店)が、勉強になりました。著者はイギリスの歴史家で、スペイン近世史が専門です。17世紀のスペイン帝国の没落を研究してこられたようです。

イギリスの学生であった著者が、スペイン近世を研究始めます。スペイン本国でも、凋落時代のことは、研究が進んでいませんでした。また、フランコ独裁政権時代でもあり、スペインの研究者も取り組まないテーマでした。
探していた資料は燃えてなくなっていたことが分かったり、残った資料を探して苦労を重ねます。みんなが取り組んでいないことに取り組む。
そしてその過程で、勃興してくるフランスとの対比、新大陸を含めた大国間の関係という「視角」を定めます。一国の歴史が、国内だけでなく、関係国との関係の中で位置づけられます。「トランスナショナル・ヒストリー」「比較史」です。

そしてその象徴として、ルイ13世のフランスを支えたリシュリュー枢機卿と、フェリーペ4世のスペインを支えたオリバーレス公伯爵とを対比します。その成果は、『リシュリューとオリバーレス―17世紀ヨーロッパの抗争』(邦訳1988年、岩波書店)です。中古本を見つけて、これも読みました。
二人が、それぞれの主君に信頼を得ることに苦労すること、宮廷内での抗争、足を引っ張る国内情勢・・。双方とも、国力の増進、国王の権力確立を目指し、また隣国との争いやそのための改革に取り組みますが、思うように進みません。外交・戦争が、内政の延長にあることがよくわかります。しかし、いくつかの判断の間違いが、スペインの没落を進めます。
伝記という個人に焦点を当てることが、現代の歴史学では「時代遅れ」とされているようですが、何の何の。経済や社会の分析だけでは、歴史は作られない。指導者の判断や役割も大きな要素になることが分かります。

あわせて、著者の『スペイン帝国の興亡』(邦訳1982年、岩波書店)も中古本で手に入れました。が、これはまさに古本の状態になっていて、読むには時間がかかりそうです。