カテゴリー別アーカイブ: 歴史

『人類とイノベーション』

マット・リドレー著『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』(2021年、NewsPicksパブリッシング)を読みました。読みやすく、面白くて勉強になります。お勧めです。

エネルギー(蒸気機関、電球、シェールガス)、公衆衛生(予防接種、水道殺菌、ペニシリン、マラリア抑制の蚊帳)、輸送(機関車、内燃機関、飛行機)、食料(ジャガイモ、アンモニア、小麦)、ローテク(インド数字、ゼロ、下水、ブリキ波板、コンテナ、キャリーバッグ)、通信、コンピュータなどが取り上げられています。その幅広さも、この本の特徴です。あわせて、偽物や失敗例も。ここも面白いです(失礼)。

それらの技術がどのように発展してきたかを解説し、技術発展の要素を分析しています。
技術革新を生むのは、自由な社会での失敗の積み重ねであること。一人の発明家が生み出すのではなく、何人もの人の改良によって進むことが説明されています。
特許が進歩を阻害すること、政府は失敗することも指摘されています。

町、「ちょう」か「まち」か

4月28日の朝日新聞夕刊が「「ちょう」or「まち」、あなたの町は 西日本は「ちょう」優勢、境目は長野・山梨」を解説していました。

・・・地方自治体の「町」の読み方は「ちょう」「まち」どちらなのか。転勤や進学で引っ越しが多いこの時期、戸惑うかもしれない。総務省が公表している読み方を元に調べると、中部地方を境に東西で二分される傾向が見えてきた。地域の歴史や文化が影響しているようだ。

NTT東日本と西日本の営業エリアは、東日本は新潟、長野、山梨、神奈川を含む都道県、それ以外は西日本だ。この分けかたに基づくと、東日本は北海道を除けば「まち」の傾向が強く、西日本は「ちょう」が優勢を占めていた。
北海道を除く東日本は265町のうち、「まち」は222の多数派だ。西日本では349のうち「ちょう」は295あり、圧勝だ。北海道は例外的に、森町(もりまち)以外の128町全てが「ちょう」だった。
両方の読み方が共存する長野と山梨の両県が、読み方の境目になっている。全国では「ちょう」が466町、「まち」は277町で、「ちょう」が優勢だ。

なぜ、読み方が東西で分かれているのか。地名の研究をしている日本地図センターの客員研究員・今尾恵介さんは「推測の域を出ない」と前置きした上で、二つの説を挙げる。
一つ目は、現在の市町村制が施行された1889(明治22)年以降、江戸時代に使われた「まち」と区別をするために、「ちょう」と読む自治体が出てきた可能性だ。その後、何らかの理由で、西日本側で「ちょう」が広がった。東日本は、江戸幕府の直轄領が多かった名残で「まち」を維持する自治体が多かった可能性が考えられる。
二つ目は、各都道府県庁が、「まち」か「ちょう」に統一するように、各自治体と調整した可能性だ。その際、近隣の都道府県での読み方に合わせようとしたという説だ。

現存する「町」の多くは、1950年代の「昭和の大合併」と、2000年代初めにピークを迎えた「平成の大合併」によって生まれた。今尾さんは「新しい町をつくるということで、従来の自治体呼称の『まち』と区別したかったのではないか」と話す・・・

「おっさんビジネス用語」

4月11日の朝日新聞夕刊に「「おっさんビジネス用語」わかる? 鉛筆なめなめ・ポンチ絵・ツーカー」という記事が載っていました。

・・・「ポンチ絵」「ツーカー」「ダマでやる」「ざっくばらん」――。ビジネスの場面で中高年の男性を中心に使われる独特なフレーズを、「おっさんビジネス用語」として紹介したツイッターが話題になった。たくさんの若者が社会人生活のスタートを切る春。あなたはこの言葉がわかりますか?(笹山大志)

「ポテンヒットには気をつけて」。保険会社に勤める30代の男性はある日、会議で上司から声を掛けられて混乱した。
ポテンヒットと言えば、野球で野手の間にボールが落ちるラッキーなヒットのこと。「気をつけてってどういうこと?」。後に、部署や社員の間でお見合いになって仕事をスルーしてしまうことだと知った。
こんなこともあった。「鉛筆なめなめでいいよ」。契約額が確定せず、審査に出す書類に金額を入れられないでいた時、上司にそう声を掛けられた。ネットで調べ、帳尻を合わせて数字を入れるといった意味だと理解した。
こうした体験をもとに、男性は昨年7月、「おっさんビジネス用語ビンゴ」をツイッターに投稿した。「なるはや」「よしなに」「がっちゃんこ」「ガラガラポン」といった24個の言葉を並べて示すと、「いいね」は4・7万、リツイートも2・1万に上った・・・

昭和の官僚である私には、これらは、なじみのある言葉です。というより、このように指摘されるまで、「おっさん言葉」とは思っていませんでした。
三省堂国語辞典から消えたことば辞典』(2023年、三省堂)も、面白そうです。

昭和天皇「反省のお言葉」

4月2日の読売新聞、古川隆久・日大教授の「皇位継承議論 原点は民意 昭和天皇「拝謁記」」から。

・・・拝謁記は49〜53年に計622回に及んだ天皇との拝謁(面会)の記録です。違う風景を見てきた2人が本音をぶつけ合い、象徴のあり方を試行錯誤した日々が刻まれています。5年前の発見により、「戦前と戦後の天皇制の落差はどうやって埋められたのか」という長年の謎が解明されました。大転換期を迎えた天皇制の中心にいた2人の肉声は、現代の議論を見つめ直すヒントを与えています。
昭和天皇と田島の試行錯誤のクライマックスは、日本の独立回復を祝う52年5月の記念式典で、天皇が述べたお言葉を作成する過程にあったことがわかりました。

昭和天皇は戦争への悔恨と反省を盛り込んだお言葉を希望しました。田島もそれに賛同します。しかし、お言葉案を吉田茂首相に諮ると、認められませんでした。
天皇がここで謝ってしまうと、退位や国の指導者も責任を取って引退すべきだという議論を招き、戦後復興の妨げになる、という政治的な判断からでした。
吉田の意見を聞いた田島は態度を一変させ、昭和天皇にお言葉の修正を求めます。国権の最高機関・国会で選ばれた首相の判断が最優先という、民主主義の原則を貫いたのです。昭和天皇は不満ながらも修正を受け入れます。政治の決定に従う象徴天皇の地位は、この時、確定したのです・・・

古代東北太平洋岸地帯の文化

近江俊秀著『海から読み解く日本古代史 太平洋の海上交通』(2020年、朝日選書)を読みました。
石巻市の五松山洞窟から、古墳時代の墓が見つかりました。発掘調査で、北方系と関東系の人骨が一緒に再葬されていました。また、大和政権からと思われる遺物などが見つかりました。北と南の文化が共存していたのです。大和朝廷側の史書では、蝦夷を軍事力で征服したと書かれていますが、そのような簡単なものではなさそうです。

この本は、太平洋岸を関東から三陸まで、どのように交易があり、文化は交流したか。史書には多く書かれていない時代と地域を、発掘調査、神社や古墳などで、推理します。
奈良で育った私には、知らないことが多かったです。東日本大震災復興に従事したので、土地勘が身について、出てくる場所はわかりやすかったです。