カテゴリー別アーカイブ: 体験談

生き様-体験談

追悼、安倍元総理

安倍元総理が襲撃され、お亡くなりになりました。
治安の良い日本で、驚くことが起きました。白昼の公共の場でこのようなことが起きるとは。外国ではあっても、日本では起きないと考えていました。

安倍元総理には、私が麻生総理秘書官を勤めていたときや、安倍内閣で復興に携わっていたとき(復興庁、内閣官房参与・福島復興再生総局)に直接ご指導をいただきました。
東日本大震災復興については、官邸や現地で何度も話を聞いてもらい、方向性について了解をもらって事業を進めることができました。総理執務室に入ると、必ず「ご苦労さん」と言いながら、席に座ることを勧めてくださいました。私は、何が進んでいないか、どのようしたら進むかを説明しました。総理が忙しいことは秘書官を経験していて分かっていたので、できるだけ簡単な資料で説明しました。その度に「わかった、その方向でやってよ」との言葉をもらうことができました。与党の復興加速化本部からの提言を受けてもらい、前例のないことや官僚では決定できないことを、総理指示の形で出してもらいました。「安倍総理在任中の業績、震災復興」「安倍総理からのねぎらい

官僚は、総理にはうまく行っていることを説明するのが「通常」でしょう。私だって良い話をして、総理に喜んでもらいたいのですが。私の役割はうまく進んでいないか所を報告し、それを解決する方法と方向について了解を得て、関係機関を動かすことでした。官僚にとって、うまく行っていないことや嫌な話を聞いてくださる総理は、とてもありがたいものです。

1年に4回(福島2回、岩手、宮城)現地に入ることを、通例としてもらいました。合計43回です。復興が進んでいるか所とともに、進んでいないか所も見ていただきました。総理が現地に入ると、被災者や復興関係者はとても喜び、元気が出ました。
政権復帰直後に福島を視察された際に、政府の原発事故対応が不十分であること、関係機関がばらばらで全体の統一を取る仕組みがないことに気づかれ、「次官級を現地に置く」と指示されました。それが、後に私も勤めることになった福島復興再生総局事務局長の職です。

ある日の岩手県沿岸視察の帰り道、途中休憩の売店で私がソフトクリームを買おうとしていたら、「全勝さん、何買うの?」と声がかかりました。「総理、疲れた帰り道では、ここのソフトクリームおいしいんですわ」と答えると、「じゃあ、僕の分も買ってよ」とのこと。「了解です。しかし総理、この周囲にいるみんなも欲しがってますよ」と申し上げると、笑いながら「分かったよ」と財布を出してくださいました。とたんに、その周辺にいたたくさんの職員たちが、売り場の前に並びました。で、総理と私の分だけでなく、たくさんの人数分の代金を払ってもらいました。みんな「総理にソフトクリームをおごってもらった」と大喜びしました。
ご冥福をお祈りします。

オクラホマミキサー

オクラホマミキサーって、覚えていますか。フォークダンスです。
私は、中学校の体育の時間と、高校の学園祭でやりました。中学では、友人が「女の子と手をつなぐのは嫌だ」と言って、先生に叱られていました。高校では「あの人と踊れるのかな」と胸がどきどきしました。相手の女性は、一人飛ばしでしたよね。

6月5日の日経新聞文化欄、講談師の神田茜さんの「オクラホマミキサー」を読んで思い出したのです。あのメロディーも、そして曲が終わる際の「チャンチャン」も。
神田さんが上手に、若い男女の気持ちを書いておられます。「思春期に初めて手をつないだフォークダンス」と。占領軍が「健全な男女関係」を築くために導入したとも。
オクラホマミキサーとは振り付けの名前で、曲の名前は「藁の中の七面鳥」というのだそうです。

「好きな男の子と手をつなげるかもしれない」と頭がいっぱいになった神田さんは、当日、男女の人数あわせで男子の列に入れられ、好きだったM君とは手をつなげなかったのです。

コロナ禍の結婚式

今日6月5日は、結婚式に行ってきました。コロナ禍での結婚式です。
神前での式では、参加者は新郎新婦を除いて、マスク着用。神主さんも巫女さんもです。巫女さんは、御神酒を注ぐときはビニール手袋をしていました。
披露宴は、双方の家族だけの会食です。大勢の人が参加して出し物がある会に比べ、すっきりしてこれもよい会でした。みんなが緊張せず、和やかな会でした。

岡義達先生の政治学を分析する

4月に出た、前田亮介編『戦後日本の学知と想像力――〈政治学を読み破った〉先に』(2022年、吉田書店)は、東京大学駒場で御厨貴ゼミに参加した若手研究者たちの論文集です。御厨先生の古稀にあわせて出版されました。

そこに、澤井勇海執筆「岡義達 行動論・象徴論から演技論へ」が収録されています。前田亮介さんの「序」には、次のように紹介されています。
・・・澤井勇海「岡義達 行動論・象徴論から演技論へ」は、その難解さと寡作ぶりがしばしば秘教的に語られてきた『政治』の作者(岡義武の歳の離れた弟でもある)の政治学の全体像を提示した、おそらくはじめての論考である・・・

私は大学3年の時に、岡先生の政治学の授業とゼミを取りました。『政治』は、最初に読んだときは歯が立ちませんでしたが、何度かくり返し読むうちに理解できるようになりました。古典から最近の新聞記事まで背景にある知識が広く、さらりと引用されているので、それらを知っていないと理解できなかったのです。それさえ分かれば、そんなに難しい文章ではありません。「思い出の本、その2。岡先生「政治」
惜しむらくは、もう何冊か書いてくだされば、もっと理解しやすかったでしょうに。

1991年生まれの澤井さんは、岡先生に直接指導を受けたことはないでしょう。御厨先生を通じてだと思いますが、どのようにして関心を持たれたのでしょうか。

副知事二人、追加で4人

新副知事二人」の記事に、意見が寄せられました。
「ほかに、同時期に一緒に仕事をした二人が、副知事になっています。滋賀県の江島宏治さんが昨年度から、愛知県の林全宏さんが4月から副知事に就任されています」と。失礼しました。

お二人は平成4年4月から、隣の財政課に出向してきていました。
交付税の算定は、交付税課と財政課の二つの課で行います。私は歳出担当課長補佐として、その二つの課の職員と一緒に、さらに各省関係はもう一つの調整室の職員と一緒に仕事をしていました。
この4人以外にも、県や市から来られた方で、副知事や副市長を務めた人もおられます。東日本大震災の際には、千葉・岩手県副知事、三浦・宮城県副知事に助けてもらいました。
副知事副市長でなくても、出世して活躍した方、活躍している人もたくさんおられます。が、一緒に働いた人が4人も同時期に副知事になられるのは、めでたいことです。