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新地方自治入門 補足2

まちをつくっていない市役所p179について
季刊『国際文化研修』2003年秋号(全国市町村国際文化研修所)に劇作家の平田オリザさんが「対話の時代に向けて」の中で、次のようなことを書いておられます。全く同感です。少し長くなりますが、一部を紹介します。(2003年12月3日)
「・・・ここ数年で日本の都市の風景が画一化してきました。バイパス沿いに大きなショッピングセンターができて、中心市街地の商店街はどんどん寂れていくという現象が、どの自治体でも起こっています。・・しかし、私たちは利便性を追求するあまり、失ってきたものがあるのではないでしょうか。
いちばん失ったものは、商店街、旧市街地が持っていたコミュニティスペースとしてのノウハウです。商店街が寂れていくと、まずお風呂屋さんがなくなり、そして散髪屋さんがなくなります。これは、・・かつてはまさにコミュニティスペースだった場所です。ここに集まってくる人たちが、ある種社会の安全弁になり、また若者の教育係にもなって、コミュニティが保たれていたわけですが、今はそういうコミュニティスペースがどんどん減ってしまっています。あるいは、原っぱでは子どもたちの学年を超えた交流が保障されていましたが、そういうスペースも減っています。
たとえば渋谷は30年ほど前には小さな街でしたが、この30年間で東急と西武という二つの資本によって拡大され、今や若者の街になっています。センター街ではチーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたに座り込み、怖いので大人たちは近づかなくなりました。要するに、スラム化が始まっているのです。
・・・渋谷という街は資本の論理だけで街を拡張し、ヨーロッパの街なら必ずあるような噴水のある広場や公園などをつくってきませんでした。唯一渋谷にある宮下公園も、ホームレスのたまり場になっていて若者が寄りつくような場所ではありません。
・・・この象徴的な例は、おととし東村山で起きた、中学生がホームレスを殺害したという事件です。彼らは図書館で出会っています、冬の寒い時期で、おそらく居場所のない中学生もホームレスも図書館に行ったのです。そこで中学生が騒ぎ、それをたしなめたホームレスが逆恨みを受けて殺されてしまいました。これは明らかに中学生が悪いのですが、その背景には弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるのだろうと思います。
・・・私たちは人工的な出会いの広場をつくっていくべきだと思います。美術館や音楽ホールなどの公共文化施設は、本来そういう出会いの場になるべき空間なのです。逆に言うと、もしそれが出会いの場になれば、非常に大きな役割を共同体の中で果たせるでしょう。
・・・ただ、かつてのように地域に住んでいるという理由だけで町内会に入り、春はお祭り、夏は盆踊り、秋はおみこし、冬はもちつきと全部の行事に参加することは、特に若者は息苦しくてできません。
そこで、これからの自治体の責務は、文化施設をつくって、そこにさまざまなメニューを用意し、そこにいろいろな人々が参加し、何らかの形で緩やかにつながっていくネットワークを築くことです。これは大変なように見えますが、いったん街がスラム化すれば、その治安を回復するためには大変な税金を使わなくてはいけなくなります。
しかし、このことはまだ日本の市民社会のなかでは必ずしもコンセンサスを得ていることではありません。そして、日本の行政は、今まで基本的にはタックスペイヤーに対するサービスの提供に徹してきて、明日の住民、社会的弱者に対しては福祉行政という形でしか対応してきませんでした。その人たちにどうにかして社会参加をしてもらい、社会を活性化する積極的な役割を果たしてもらおうという考え方は、まだ日本の地方行政では主流にはなっていません。」
以上が平田さんの主張です。

慶應大学八木教授

今日は、慶應義塾大学総合政策学部の八木欣之介教授の授業に出講してきました(2日間で早慶戦制覇です)。100人を超える学生が、熱心に聞いてくれました。意識不明の学生は、2~3人でした。「三位一体」が毎日新聞に載るので、学生の関心も高いということでしょう。今日お話しできなかったことは、拙著をご覧ください。また、随時、私の考えを追加しています。「三位一体改革」と「新地方自治入門」補足・追加のページをご覧ください。

早稲田大学牛丸ゼミ

今日は、早稲田大学政経学部の牛丸聡教授と学生13人が、役所に質問に来られました。ゼミで分権の討論をするための、勉強だそうです。全員、服装といい振る舞いといい、立派でした。これがふだん見るあの学生さん達か、と見違えました(失礼しました。でも、私は早稲田の近くに住んでいるので・・・)。質問も本格的で、2時間もかかりました。当方の都合で、夕方に来ていただき、申し訳ありませんでした。

新地方自治入門 補足4

 

公と政治の関係(p303)について
朝日新聞2003年11月25日夕刊論壇時評で、藤原帰一東大教授が「男性・女性」と題して書いておられます。
その中で、「論壇雑誌は男性向けに書かれているといっていい」
「最近刊行された『日本の論点2004』(文藝春秋)では・・・今の論壇では誰がどんなことを議論しているのか、早わかりになる便利な本だ。だが、議論の焦点は国際情勢、国家、憲法問題などに集中し、男女関係、結婚、家族などににかかわる話題は少ない。そんな領域は「少子社会」とか「高齢化と社会保障」など後半になって登場し・・・結婚と家族の現在などは「日本の論点」にならないらしい」
「性とか家族とかいった問題は、少子化のような天下国家の大事と認められた時にしか議論されていない。天下国家にかかわる「おおやけ」を論じる場では、男女にかかわる「わたしくごと」が考察から外されてしまうのである」
「出生率の低下は、高齢化などと併せ、将来の労働市場や国家財政を揺るがすだけに、これも天下国家の課題として扱われている」
教授は、少子化議論がツボを外しているという主張の中で述べておられます。
文脈は違いますが、拙著の主張からは、「公」の範囲、それと政治との関係としてとらえることができます。これまでは、家庭の問題は、人口が減って労働力が減ること、高齢化で社会保障が増えること、家族での介護が十分でなくなり介護保険が必要なこと、といった視点から政治の課題となりました。
経済や公的サービス、財政の収入と負担、という観点からしか、政治に入力されないのです。私の言うように私たちが暮らしていくのに必要な「関係資本」「文化資本」「公」「公共空間」に対し、これまでの政治は極めて範囲が狭いのです。そして、従来型の発想では、これらの問題は解決しないでしょう。(2003.11.30)
【注】
p337第2章注1
松本英昭著「要説地方自治法」は、第2次改訂版が出ました。
p341第8章注5
神野先生の3つのサブシステム論は、神野直彦著「財政学」(2002年、東京大学出版会)に「第二章 財政と三つのサブシステム」として整理されています。
p342第9章注9
塩野七生著「ローマ人の物語」は「ローマ人の物語Ⅴ ユリウス・カエサル-ルビコン以後」p372以下です。

東大授業へのゲスト

昨日は、ゲストとして、NHK政治部の土井デスクに来ていただき、ジャーナリズムから見た「政治と行政」、特に今回の総選挙について、画面では聞けないお話を聞きました。学生には大好評で、場所を移した後も、徹底討論になりました。土井副部長ありがとうございました。