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社会の変化と行政

住民基本台帳の閲覧制度を、見直すための検討が始まりました。麻生大臣の指示により、閲覧制度そのものを見直すことになりました(26日夕刊各紙、25日朝日新聞社説など)。
住民基本台帳ができた当時(昭和42年)は、みんなが見ることを前提としており、個人を確認するための制度でもありました。その後、他人に知られたくないという要請が高まり、順次、閲覧を制限してきました。しかし、ダイレクトメールに利用されることをいやがる人が増え、さらには、母子家庭や老人家庭を狙った犯罪に利用されるなど、悪用もされるようになりました。そこで、閲覧制度を根本から見直すことにしたのです。
個人情報保護法の施行といい、社会が変わってきているのが、目に見えます。見せるための制度だったのが、他人に知られたくない人が増えてきたのです。代表例は、電話番号簿と職員録だと思います。
かつては、電話を引くのがステイタスであり、電話帳にはみんなが自宅の番号を載せました。今は、多くの人が載せることを拒否します。職員録もそうです。県庁の総務部長だったときに、県立病院の看護婦さんが「住所や電話番号を載せてほしくない」とおっしゃって、「なるほど」と納得し、管理職等以外の職員の住所と電話番号の記載をやめました。時代は変わるものですね。

社会と政治

24日の朝日新聞は、「シリーズ社会保障:選択のとき」で年金を取り上げていました。年金・医療・介護の3つを合わせて考えるべきだという主張です。もっともなことです。わかりやすかったですよ、板垣記者。
25日の日本経済新聞「経済教室」は、日本経済研究センターの社会保障研究報告を載せていました。ここでも、年金・医療・介護の全体像を把握すべきとしています。
そして、世代間の不公平を指摘しています。さらに、2004年の改革で、年金財政は改善されたが、それは「これから年金を受け取る世代が、支払う保険料に比べ受け取る年金額を引き下げる形で」なされたことを明らかにしています。
「今後行われる制度改正については、これまで同様、財政の維持可能性に重きが置かれることは間違いない。しかしながら、同時に世代間の不公平是正にも重点が置かれなくては、社会保障制度を支える世代から支持が得られず、『制度の維持可能性』が危機に直面することになろう」

会社社会の終焉

24日の朝日新聞は、「幸せ大国-未来を選ぶ」第4回「変容する会社社会」を載せていました。戦後日本の多くの企業は、終身雇用・年功序列・企業福利で社員を取り込みました。このほかにも、退職金制度・子会社への天下りなども、会社への取り込みを支えました。これが成り立ったのは、右肩上がりの経済成長と、各業界と国内での「鎖国」です。職員側も、それが居心地良かったのです。もっとも、会社の文化に同調しない人にとっては、苦痛だったでしょうが。
経済成長がなくなったら、そして異業種や諸外国との競争が始まると、これらの制度は成り立ちません。また、職場を変えようとする若者にも、不利な制度です。
「会社人間」が成り立たなくなっている日本社会で、最後に残っている会社人間制度、また最後までしがみついている会社人間が、公務員だという指摘があります。そこには競争がないから、そして過去の栄光にしがみついているからです。

政治の責任

23日の朝日新聞は「失速小泉改革・下」を載せていました。副題は「見えぬ理念ー人々の不安、首相隔たり」です。「改革のエネルギーが年々、弱くなっている。結局、どういう社会をめざすのかがはっきりしないからだ」「首相がこだわるのは各論。全体像やビジョンは関心がない。あるべき理念を共有しないから、お任せ改革になり、最後は数値目標に向けた役所同士のつじつま合わせに終わる」。
正しい指摘でしょう。これに合わせ、今の政治や行政機構、官僚組織も、そのような問題に取り組む仕組みになっていません。総理にも責任がありますが、日本の政治家と官僚にも、大きな責任があると思います。
例えば、そこにも示されているように、国民が悪くなっていると考えている「治安・雇用労働条件・教育・社会風潮」について、取り組む行政組織はありません。
「何かというと財政出動による景気刺激に走った経済無策の振り子を戻した面はある」。私は、これを小泉内閣の主要な功績だと数えています。もっとも、「小さな政府とは裏腹に、この4年間の国債の発行額は歴代内閣でトップ」との指摘もあります。いつもながら鋭い記事ですね、辻陽明記者。

三位一体改革45

17年度の動き
4月3日の毎日新聞は「発言席」で、佐藤栄佐久福島県知事の「地方分権と地方自治の本旨」を、4日は連載「知事たちの闘い・分権は進んだか」の第5回目を載せていました。
4日の朝日新聞社説は、「地方行革・競い合って成果を出せ」を書いていました。「地方自治体は、三位一体改革で、分権社会の担い手としての資質を問われている。ここで行政改革をさぼれば、住民の不信は高まるばかりだ」と主張しています。
同感です。国より進んだ行革の成果を見せて、国より頼りになる行政であること、住民による監視が効果的であることを、示そうではありませんか。(4月4日)
11日の毎日新聞は、連載「知事たちの闘い-地方分権は進んだか」第6回を載せていました。
10日の日本経済新聞は「規制改革推進3か年計画」を解説していました。「規制改革」は「地方分権」と並び、「官僚主導型国家」を変える2つの柱です。
地方分権は、行政分野での改革、地方自治体に対する規制改革であり、官僚主導・中央集権を改革しようとするものです。規制改革が、経済や社会分野において、民に対し、官僚主導・市場統制を改革しようとするものです。
1995年に規制緩和として始まった動きは、経済的規制から社会的規制へと範囲を広げ、規制改革と呼ばれるようになっています。いくつか効果が上がっているのですが、国民からの認知はいまいちのようです。ここでも、地方分権と同様、官僚の抵抗・サボタージュがきついので、国民に目に見えるような改革が進まないのです。
自動車の車検期間の延長と、幼稚園・保育所の一元化が象徴的だと思います。
かつてに比べ、自動車の性能は格段によくなっています。それでも、業界の反対で、車検期間は延長されません。なぜ、自動車会社は「うちの車はそんなに簡単に故障しません」と主張しないのでしょうか。車検制度のない国も多い、と聞いたことがあります。
幼稚園と保育所の統合も、なぜ進まないのですかね。かつて調べたら、幼稚園ばかりの市町村と保育所ばかりの市町村がありました。利用者からすれば、その違いは理解できないと思います。たぶんこんな縄張り争いをしているのは、日本だけだと思います。官僚って、こんな時には「外国では・・」を主張しないんですね。
官僚制は、業界の利益を考える仕組みであって、消費者の利益を考える仕組みになっていません(「新地方自治入門」p290)。(4月11日)
遅くなりましたが、月刊「地方税」17年3月号(地方財務協会)に、小西砂千夫関西学院大学教授が「税源移譲・受益と負担・地方税負担率」という論文を書いておられます。三位一体改革が進んだ先の、地方税財政制度のあり方論です。
「受益と負担の一致は、平均概念でなく限界概念であるはず」「統治という観点からすれば、地域別に受益と負担の一致が望ましいということにはならない」
「地方交付税が必要なのは、国が地方に対して、財政力格差の制約を受けることなしに、権能配分ができるためである」「それをしないならば、地域への権能配分に、経済力に応じて格差をつけることが考えられる」など、これまでにない、しかしなるほどと思う議論が展開されています。
また、「標準的行政を、補助事業であるとか法律に根拠があるといった理由に求めることは無理であり、最適な財政規模は税負担との比較考量で決めるしかない」と述べておられます。
三位一体改革が進み、ようやく「これまでの地方財政のドグマ」「既存のパラダイム」を超えた議論ができるようになった、という思いがします。一部の学者にありがちな「理論倒れ」でなく、説得力ある議論です。ご一読をお勧めします。(4月12日)
18日の毎日新聞は、連載「知事たちの闘い」第7回を載せていました。(4月18日)
18日に、地方6団体代表と麻生総務大臣との会合が持たれました(19日付、日本経済新聞など)。議論の課題は、大きく言って2つです。1つは、三位一体改革の最終年度(平成18年度)の完成。すなわち、残っている義務教育・生活保護・公共事業を決着すること。もう1つは、19年度以降の「三位一体その2」の道筋をつけることでしょう。(4月19日)
三位一体改革のうち、生活保護費についての国と地方の協議が、20日から始まります。今朝の朝日新聞は、詳しく解説していました(4月20日)
21日の日経新聞は、「三位一体改革最終攻防・上」を載せていました。最終局面を迎えているのに、国側の関係者に補助金廃止に切迫感がなく、地方団体が焦りを感じている、という趣旨です。(4月21日)