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9連休

皆さん、連休をいかがお過ごしでしょうか。私も、5月1日2日は国会が「開店休業」なので、自宅勤務にしてもらっています。実は、連休明け8日の国会の質問通告が出そろっていないので、総務課はそれを待って、該当する課に割り振らなければなりません。職員は出勤していますが、私は電子メールを利用して、自宅でその結果を見ることで済ませてもらっているのです。職員のみんな、ありがとう。

2006.04.27

今日は、一橋大学政策大学院での第3回目の講義でした。講演会と違いじっくりと解説できるので、予定より進み方が遅くなってます。でも、その方が、受講生に理解してもらえると思います。さらに、あっちこっち脱線するので、よけいです。話しているうちに、あれも話したい、こんなエピソードもあるしと、どんどん話は発展するのです。
その代わりといっては何ですが、宿題として22ページにわたる新聞切り抜きを配りました。連休中に読んでもらうためです。小泉政権評価・水俣病50年・司法改革・会社法改革・国家戦略・・・。多岐にわたりますが、現在日本の行政と政治を考える重要な教材です。受講生諸君、よい連休を!

三位一体改革69

28日の読売新聞「時代の証言者」石原信雄さん「国と地方」は、「功罪あったふるさと創生」でした。
「たしかに、ふるさと創生事業には功と罪があります。補助金中心でやってきた自治体には、自分の発想で地域づくりをする習慣に乏しかったが、この政策が、地域の問題を自分たちで考えるきっかけになりました。しかし、この財源で金塊を買ったり温泉を掘るだけになったりしたところもあります。地方に希望を与えたと同時に、やりすぎてしまったのです。結局、その後、地方交付税に依存して無駄遣いを助長したと批判されることになりました」
ふるさと創生については、当時「地方交付税-仕組と機能」p235~に方法と意義を解説しました。また、「新地方自治入門」p58にも、少し評価を書きました。私の考えは、日を改めて書きましょう。(3月28日)
30日の日経新聞経済教室は、神野直彦教授の「分権時代の交付税、地方共有税への刷新急げ」でした。
「・・・地方財政にとっての固有財源であり、間接課徴形態の地方税ともいわれてきた交付税は、地方自治体が相互協力のもとに財政力の地域間格差を是正する地方自治体の『共有』財源として明確に位置づけられなければならない。つまり、交付税は『地方共有税』に改め、地方『共有』財源を管理するために新設する『地方共有税特別会計』に直入すべきである。さらに、地方共有税をそれぞれの自治体に配分するにあたっても、地方自治体の参加のもとに決定される必要がある」
詳しくは、原文をお読みください。
29日の経済財政諮問会議に、竹中大臣が資料を提出されました。30日の朝日新聞で、松田京平記者が解説していました。
「竹中総務相は・・・地方交付税の削減目標として、2011年度までに最大6兆円程度の削減が可能との試算を示した。06年度に交付される地方交付税の総額は15兆9千億円で、最大4割近いカットとなる。地方の意見を代弁してきた総務相が厳しい数字を示したことで、大幅削減の方向で論議が進む可能性が出てきた。・・・地方自治体や総務省は反発しているが、竹中氏の提示をきっかけに、財務省が削減を強く主張することは確実だ」(3月30日)
3月29日の経済財政諮問会議の議事要旨が、HPに載っています。竹中大臣の資料についての説明は、p10からです。(4月5日)
30日に、地方6団体の第5回新地方分権構想検討委員会が開かれました。「分権型社会の実現に向けた具体的手」が議論されました。項目は、次の通り。詳しくは、原文をご覧ください。
1地方税の充実強化 、2地方交付税の改革、3国庫補助負担金の見直し、4財政規律を促す規制の強化、5(仮)地方行財政会議の設置、6国・地方を通じた行財政改革の推進、7(仮)新・地方分権推進法の制定
(3月31日)
 
3日の日経新聞で中西晴史編集員が、「分権改革第2ラウンド」「交付税議論ヤマ場へ。地方苦戦、政治の場に活路」を書いておられれました。「竹中資料に騒然」「及び腰の自治体」「世論喚起が課題」という中見出しです。(4月3日)
紹介が遅くなりましたが、東京大学社会科学研究所編「失われた10年を超えてⅡ:小泉改革への時代」(東京大学出版会、2006年2月)が出版されました。第6章に、北村亘先生の「三位一体改革による中央地方関係の変容-3すくみの対立、2段階の進展、1つの帰結」が載っています。
三位一体改革のプロセスについての、政治学からの分析です。ポイントは、
1 今回の改革が、従来の日本政治や行政から見て極めて異質であること。
2 「地方6団体と総務省が反対する地方交付税改革・削減」「族議員と事業省庁が反対する国庫補助金削減」「財務省が反対する税源移譲」という三すくみの構図が打破された。
3 それは、交付税改革・削減については経済財政諮問会議を利用することで、国庫補助金削減と税源移譲については地方団体を協議の場に引き入れることで進んだ。
4 それらの前提として、与党議員に対する首相の優位が選挙制度改革で進んでいたことなどを、指摘しています。
ご関心ある方は、是非ご一読ください。小生も資料提供者として、名前を挙げていただきました。先生、ありがとうございました。(4月5日)
8日の毎日新聞社説は、今松英悦論説委員の「不健全な財源で地域の自立はできない」でした。
「三位一体改革などで税源移譲は進められてはいるが、大半の自治体の財政力は十分ではない。04年度決算では地方交付税不交付団体が全体の約4%に過ぎない。地方の自立性を高める改革が魅力的なのは当然だ。国が徴収する基幹的な税目から、ある割合を財源が不足している自治体に分配する仕組みを、財政調整という。地方財政改革はこの財政調整の必要性を低下させることに狙いがある。では、一連の改革で将来的に自治体が補助金や地方交付税に頼らないですむだろうか。それは不可能だろう」
「そこで、まず、やらなければならないことは、三位一体改革の核心である地方に権限を移譲した事務にかかわる財源移譲である。憲法が保障している社会サービスや行政サービスの財源保障も、財政力の弱い自治体には不可欠だ。ただ、その調整の手法は国から地方という流れである必要はない。「地方にできることは地方に」という以上、広範な税源の移譲を行い、広域地域ごとに地方共同税として徴収、留保し、自治体の財政状況に基づき、配分する方が分権の実を上げられる・・・」(4月10日)
11日の日経新聞連載「財政、見えてきた争点」中は、「すくみあう国と地方。財源争奪、制度論置き去り」でした。(4月11日)
13日の日経新聞は、「交付税配分巡り対立。地方、共有税化を提言。政府、総額圧縮に重点」を解説していました。(4月13日)
日本地方財政学会の今年度の大会は、5月27、28日に東洋大学で開かれます。そのプログラムが発表になりました。会員でなくても参加できます。今もっとも熱い学問分野の一つでしょう。どうぞご参加ください。(4月7日)
地方6団体の「新地方分権構想検討委員会」は、17日に「分権型社会のビジョン」の中間報告素案を議論しました。
18日の朝日新聞では、松田京平記者が、「問われる国の仕送り。地方交付税改革、分権論議の柱に」を大きく解説していました。「全国均一サービスのための格差調整」「色濃い第二補助金の役割」「改革のカギ握る税源移譲」など、現在議論になっている点を、明確に分析していました。小規模町村の状況、大都市の状況、交付税の必要性・機能などをわかりやすく説明しています。
これだけの紙面があれば、正しくまたわかりやすく、実例を入れて記事が書けますね。もっとも、これだけを一人で書くのは、大変だと思います。ありがとうございます。記者クラブにいて、省庁の出す資料をもとに、「ご用記事」を書くのとは大違いです。
ただし、一か所、間違いがあります。最後の部分で「・・交付税の財源について、自治体間の格差が開きやすい法人関係税から消費税に重点を移す・・」とあるのは、「地方税について、自治体間の格差が開きやすい法人関係税から消費税に重点を移す」、あるいは「交付税の財源について、消費税から自治体間の格差が開きやすい法人関係税に重点を移す」の間違いでしょう。(4月18日)
「地方財政の資料」
平成18年度版「地方交付税のあらまし」(地方財務協会、税込み800円)ができました。地方交付税と地方財政について、最新の数字を入れて解説した図表・資料集です。三位一体改革など最近の議論も、盛り込んであります。(4月23日)
小泉政権5年を迎え、各紙がその評価をしています。26日の朝日新聞では、星浩編集委員が「まわした歯車、成果と誤算」を書いておられました。「確かに、時代の歯車を回した。が、進路が定まらずに軌道を外れた歯車もある-小泉政権の5年間を、こう評することができる」
「・・・地方分権の三位一体改革は悲惨な結末だった。中央官庁の抵抗で、税財源の移譲は大きな進展がなかった。増田寛也岩手県知事はこう分析する。『首相は分権という総論を唱えたが、各論は丸投げだった。官僚たちは各論で小競り合いに持ち込めば、改革を骨抜きにできるという手法を覚えた。地方自治体には疲労感が漂っている』」(4月26日)

分権へのあしたへ

朝日新聞夕刊のニッポン人脈記、「分権のあしたへ」が完結しました。
分権推進法ができてから10年、第一次分権改革に引き続き、三位一体改革を成し遂げました。もちろんまだまだ不十分ですし、10年かかってここまでしか進んでいないのか、という批判もあります。しかし、戦後50年間に、強固に作り上げられた「この国の仕組み」を変えるには、大変なエネルギーがいるのです。そして、それは現在の政治権力への挑戦なのですから。
この連載に登場された政治家・学者・地方団体関係者や、ここに登場しなかった人々の努力のおかげです。もちろん、首相・総務大臣らのレーダーシップや、時代の背景も重要な要素でした。マスコミの支援もありました。
さて、次なる改革には、理論・戦略・エネルギー、世論の後押しなどなど、いろんな要素が必要です。そして、まだ十分登場していない「住民の力」が必要でしょう。私たちは、それを組み立てなければなりません。放っておいては、この改革は進みません。
欧米先進国に追いついた日本、その過程で中央集権システムにとことん染まってしまった日本。この延長線上には、発展と幸せはありません。地方分権は、この国のかたちを変えることであり、日本の新たな発展のための仕組みを作ることなのです。数年前には、このような連載は考えられなかったでしょう。「地方分権」「税源移譲」はスローガンや理論であっても、現実ではなく実績もなかったのです。近い将来の実現可能性も、関係者のほとんどは信じていなかったでしょう。坪井ゆづる論説委員、ありがとうございました。

私の嫌いな言葉

参考文献
このページには、少し「毛色の変わった」本が並んでいます。
【生き方】
桑子敏雄著「理想と決断」2003年、日本放送出版協会(今を生きる哲学、自己と他者との配置、もう1枚の名刺)
ミヒャエル・エンデ著「モモ」邦訳1976年、岩波書店(豊かさを求めて時間を節約すると、人間らしさを失うこと)

【環境と人間】
桑子敏雄著「環境の哲学」1999年、講談社学術文庫(環境の豊かさ、空間の履歴)
西垣通著「基礎情報学-生命から社会へ」2004年、NTT出版(情報の意味と価値、生命と環境、実体ではなく関係)

【リーダー】
黒野耐著「参謀本部と陸軍大学校」2004年、講談社現代新書(リーダーとマネジャーの違い、指揮官と参謀の育成、指揮官育成をしていない日本の組織、指導者に要求されること)
奥村宏「判断力」2004年、岩波新書(判断をしないから責任が問われない、判断を先送りにする責任者)

【社会】
佐藤俊樹著「ノイマンの夢・近代の欲望」1996年、講談社選書メチエ(技術は人間や社会の仕組みを変えない、近代産業社会の2つの装置=産業資本主義という経済制度と民主主義による社会制御という政治制度)

(私の嫌いな言葉)
総務課長は文書課長としての仕事もあるので、総務省の法令をはじめ、大臣の挨拶文や国会答弁など、いろんな文章に目を通します。時々、いやになることがあります。いわゆる役人言葉です。最近、私が職場で「征伐する」と宣言している言葉をいくつか紹介します。

「適切に対処する」:何をするのかだけでなく、進めるのか、やらないのか方向すらわからない。多くは、何もしないで様子を見る場合に使われるようです。
「所要の措置」:究極の役人言葉です。中身は不明。
「図る」「講じる」:たいがいの文章では、この言葉はなくても通じます。図らなくても、実行すればいいのです。
「体制整備」:便利な言葉です。でも、具体的に何をするのか不明です。消防の体制整備と、不祥事防止の体制整備では、かなり内容が違うと思います。
「高度化」:これも内容が不明です。

これについては、「明るい係長講座」初級編p48にも書きました。
これらの言葉の特徴は2つあります。まず、日常会話では使いません。よって、私が起案者につける注文は、「あんた、こんな言葉使って、あんたの夫(妻)が分かるか。あんたのお父さんに通じるか?」です。
もう一つ、これらの言葉は、内容が不明確なのです。こんな言葉を使うのは、自分でもよく分かっていないか、あるいは真実を隠そうとしてでしょう。少なくとも、相手に分かってもらおうとはしていませんね。いずれにしても、ずるいです。私は時々、起案者に「これって、英語ではどう言うんや?」と質問します。
だから、このような表現は、新聞などでも使われません。新聞が使っている場合は、記者が不勉強で、役所の文章をそのまま使った場合です。そんな記事は、内容も要注意です。(2006年4月22日)

前回に引き続き、私の嫌いな言葉です。今回は、カタカナ英語です。ここで「カタカナ英語」というのは、一見英語に見えるカタカナ日本語です。実際は、発音も意味も元の言葉からは、ずれているのが多いようです。
役人って、本当にカタカナ英語が好きですね。インセンティブ、グローバリゼーション、スキーム、バリアフリー、フォロー、リーズナブル、××センター・・・。
根底には、その方がハイカラに聞こえるから、すなわち舶来信仰があると思います。自分は知っているぞという、エリート意識があるのでしょう。説明相手である国民のことは、考えていません。また、自分は分かったつもりになり、十分に理解できてないこともあります。
国立国語研究所が、「外来語」言い換え提案-分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫-を発表しています。新聞でご覧になった方も多いでしょう。住民に分かってもらうためには、気をつけなければなりませんね。私も、ついつい使ってしまいます(反省)。
かつて、ロシアに出張したとき、同行した職員がロシアの友人への土産に「外来語辞典」を持って行きました。彼はロシアで暮らしたことがあり、日本語を勉強している友人への土産だというのです。私は、最初その意味が分かりませんでした。
「何で、そんなの持って行くんや」
彼曰く、「ロシア人にとって、日本語を勉強するとき、カタカナ英語は分かりにくいものなのです」。
そうなんです、英語圏以外の人にとって、英語は通じません。もちろん、怪しい発音のカタカナ英語が、英語圏の人に通じるか怪しいですが。ロシア人・韓国人・中国人らにとって、カタカナ英語は国語辞典にも載っておらず、日本語を学ぶ際の障害なのです。英語をしゃべれば国際人と思うことが、間違いですよね。(2006年4月26日)

昨日に書き忘れた言葉がありました。「ベース」です。例えば「18年度予算ベース」とかって、使いますよね。この言葉の意味もよく分かりません。ほとんどの場合、なくても通じるようです。(2006年4月27日)