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内閣府の紹介

「内閣府アイ」という、内閣府の広報誌があります。最新号に「骨太の方針6年を振り返る」と「歳出・歳入一体改革の5つのポイント」という、わかりやすい記事が載っています。
また、2006年冬号本文2のp11以降に、内閣府組織5年間の歩みと年表が載っています。内閣府を理解するのに、役立つ資料です。(8月23日)
25日の日経新聞経済教室は、五百旗頭真防大校長の「今こそ小さく強い政府を」「民充実が国家目標、国際的役割の拡充も追求」でした。
25日の読売新聞は、6月から始まった駐車違反取り締まりの民間委託を検証していました。取り締まりという業務を民間に委託したこととともに、違反しても見逃される=法律が無力になることを防止すること(拙著「新地方自治入門」240)に、私は関心を持って見ています。(8月26日)
27日の朝日新聞「新戦略を求めて、グローバル化と日本」は、大きく自由貿易を取り上げていました。日本の通商戦略として自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)を広げるべきだという意見と、安い農産物が入ってくることに反対する農林関係者との対立で、前に進まない構図が解説されています。自由貿易にもっとも恩恵を受けているのは日本です。また、戦略的に進めないと、置いてきぼりを食らうだけでなく、各国からの日本政治への信頼を失うでしょう。対立する利害を調整すること、これが政治の仕事なのです。官僚機構に任せても、結論は出ません。(8月27日)
29日の読売新聞「ポスト小泉を考える」は、政策決定システムについてで、御厨貴教授と大田弘子教授が書いておられました。
御厨氏は「この政権は、改革という名の下に、日本社会を大きく変えた。20世紀の遺産を破壊し尽くした感さえある。道路公団民営化だの、金融改革だの、郵政民営化だの、個々の政策の成果について議論してみても始まらない。小泉政権は、そもそもの政治や外交や経済の土台になっている社会を明らかに変えたからだ」
「それは政治や経済の改革そのものではなく、改革の手段において小泉政権が破壊的だったことを意味する。これで20世紀の日本の特質だったネマワシ談合社会は回復不可能のダメージを負った。それは政府・与党の政策決定システムの枠を越え、大衆を巻き込んだ意思決定でもあった」
「だが、小泉流意思決定が社会の質を劣化させた側面を見逃すわけにはいかない・・ビジョンとか中長期計画とか、将来を見据えた思考が置き去りにされてしまった」
大田教授は、経済財政諮問会議を取り上げ、政策決定システムの透明度が高まったこと、内閣の方針が明確に示されるようになったことなどを指摘しておられます。(8月29日)
2日の朝日新聞が、環境省の水俣病懇談会提言(1日発表)のいきさつを解説していました。
「草案作りが始まって2か月。『基準に触れた提言は受け取れない』とする環境省に対し、『玉砕』を唱える委員も出るなど、両者の対立は先鋭化していた」
「環境省は『補償、救済についての提言は求めていない』と過去の政府の対応についてのみ提言するように繰り返し求めた。言うことをきかない委員には『環境相の要請を引き受けたのだから、省の指示に従う義務がある』と言い放った。同省幹部は言う。『懇談会は、行政のやりたいことを推進するためのガソリンだ。我々と違う方向へ進もうとするなら、ブロックするしかない」
この懇談会は、法令に定められた審議会でなく、いわゆる行政運営上の懇談会です。審議会であっても懇談会であっても、省に置かれた組織ですから、省の意向に沿うべきであるという発言は、間違っていません。
一方、審議会など外部の人を集めるのは、広く専門家や有識者の意見を聞くためです。省の意向を表明するだけなら、外部の人の意見を聞く必要はありません。それは、「隠れ蓑」と批判されていました。
審議会とは、第三者が入って、省とは離れて「中立公平な結論が出る」と誤解しておられる方が多いので、このような事例は実態をあからさまにする良い事例だと思って紹介します。正確には、懇談会設置要項に「これ以上は提言するな」と委託した趣旨が明確になっているか、また新聞に書かれたような委員と省側の意見の相違が、議事録にどう残っているかです。まだそこまでは、調べていません。(9月2日)
5日の日本経済新聞「春秋」は、国の訴訟敗訴についてでした。
「このところ公害や薬害の裁判で国が負け続けている。肝炎、基地騒音、原爆症、水俣病、じん肺。政策判断を誤り、無策のまま放置して被害を広げ、被害の認定基準は合理性を欠く。こんな行政の責任を司法が厳密に判断すれば、当然、国に勝ち目はない」
「『役所は絶対間違わない』などという今どき誰も信じない官僚の無謬神話を守るために、これまでどれほどムダな訴訟費用を費やしてきたことか。国が被告になる裁判が増え、そこで国が負け続ける本当の理由を、お役人に考えさせるのが、政治家の大事な仕事なのだろう」(9月5日)
6日の日経新聞「総裁選私の注文、経済財政」は、香西泰さんの「堅実成長へ具体策競え」でした。
「問題はどういう考え方で、具体的にどうやって成長するかだ・・・過度な金融緩和や財政出動で操作した成長ではなく、技術進歩に支えられた堅実な成長力をどのように高めるか、しっかりと詰めた知恵を競い合ってほしい」
「世界市場の中で日本の堅実な成長力を示さないと尊敬されないし、信頼もされない。先進諸国を見渡しても、日本やドイツ、イタリアなど重厚長大な19世紀型の産業国家はいまひとつぱっとしない。先例を追いかけるキャッチアップ型ではないので難しいが、新しい産業政策が求められる」(9月6日)
貸金業制度の見直し案が、議論になっています。出資法の上限金利と利息制限法の間のグレーゾーン金利をなくす方向ですが、どの程度の移行期間を設けるかが議論になっているようです。私は詳しくは承知しないのですが、政と官の観点からは次の点が課題になります。
早く低い金利にそろえようというのが消費者保護、逆が業界保護と割り切れば、官庁(金融庁)がどちらの立場に立つ存在なのかという問題です。これまでは、官庁は業界保護が仕事でした。私は、金融庁は銀行保険会社保護の大蔵省銀行局から衣替えし、預金者保護の立場になったと解説しています。もっとも、今回はそう簡単ではないようです。
もう一つは、この案を金融庁が作り、自民党との調整で難航しているという過程です。官庁・大臣・党の関係の中で、誰が責任を持つかということです。(9月8日)
ここまで進んだ小泉改革」(2006年8月)の最新版が、官邸のHPに載っています。(9月12日)
15日の朝日新聞「検証・構造改革」は、斉藤惇・産業再生機構社長の「再生に公必要だった」です。金融機関から不良債権を買い取ったり、行き詰まった会社の再生に、政府が手を出したのです。官と民、政府と市場を考える際に、これまでにない手法でした。もちろん、金融危機という非常時のことですが。
私の「日本の行政」講義の中で、どう位置づけようかと、勉強中です。(9月16日)
17日の日経新聞「内外時評」は、塩谷喜雄論説委員の「官が使い捨てる有識者」でした。「近ごろ都にはやるのは、知者・賢者が集う『有識者懇談会』。審議会ほど枠組みがかっちりしていない代わりに、自由闊達、踏み込んだ議論が交わされるはず。が、近ごろ様子がおかしい。水俣病もグレーゾーン金利も、懇談会の議論はほぼ棚上げされた。反射的・断片的な言辞が飛び交う浅慮の時代に、見識は軽んじられるのか」
「有識者会議や有識者懇談会には、審議会と違う二つの際だった特徴がある。第一は、政府が手をつけかねて、長年にわたって積み残してきた難問中の難問をテーマとすること。第二は、その議論や報告の中身が、行政や政治の都合によって、時には見事なまでに軽視、無視、棚上げ、骨抜きにされることだ」
「自殺防止、公務員給与、水俣病の患者認定基準、皇室典範の改正・・。難題は軒並み有識者の議論に委ねるのが、霞ヶ関かいわいの流れになっている」「失点をきらう官僚にとっては始末に困る、リスクの大きい難題を、まずは有識者懇という場で粗ごなし。審議会と違って、大臣の諮問に答える答申でないから、役所はその結論に拘束されない。役所に不都合な結論に至らないようにしっかり誘導し、それでもだめなら無視。行政の思惑と一致する結論なら、官僚が政策の詳細を設計する。有識者の学問や見識を尊重するというより、官の独走というイメージをやわらげるために、識者の肩書きを持つ権威を活用する」
官僚の責任逃れ、隠れ蓑の実態を、鋭く指摘しておられます。(9月18日)
27日の読売新聞では、笹森春樹記者が「官邸主導、見えぬ実像」「内閣と与党、二元体制残る」を解説しておられました。
「小泉前首相は、郵政民営化などの改革課題に首相主導、官邸主導で取り組んだ・・・これに対し安倍首相は、チームとしての官邸主導を意識しているように映る。官邸機能の強化として、首相補佐官を定員いっぱいの5人に増やし、このうち4人を国会議員から起用した。首相補佐官の下で実務に当たる官僚も、参事官(課長級)以上は政治任用にするという。官邸主導をシステム化する試みと言える。そこから見えてくるのは、官僚主導の政策決定を否定し、政治の側が政策を主導していこうという姿勢だ」
「ただ、政と官の関係の中で政治主導への意思が明確な割には、与党との関係、すなわち政と政の関係の中で官邸主導が意識されているのかというと、必ずしも明らかでない」
詳しくは、原文をお読み下さい。(9月27日)
3日の日経新聞経済教室「政治の統治改革考」は、上山信一教授の「官業、民間に大政奉還を」でした。
「小泉改革は日本を経済危機から脱却させ、同時に官邸主導による政府のガバナンス再構築に先べんをつけた。新政権の課題は成熟期に入ったこの国のかたちを設計することだ。これまでの構造改革は企業再生が主眼だった。今後は、第一に官の構造改革、特に事業と資産の民間移譲、第二にこれから官に代わって地域の安全・安心・元気を支える受け皿となる非営利組織の育成、そして第三に今後はますます社会運営の一翼を担う企業の社会性の強化が、重要になる」
詳しくは原文をどうぞ。(10月3日)
4日の日経新聞経済教室は、鶴光太郎さんの「官の意欲高める工夫必要」「国民の信頼回復を、省庁再々編視野に入れよ」でした。
「バブル崩壊以降、失われた15年と称される大調整期を経て、日本の経済システムは大きく変容した。55年体制の崩壊、小選挙区制導入による族議員、派閥の弱体化など政治も大転換した」
「一方、90年代以降、不良債権、BSE、薬害エイズなどの問題に象徴される政府の失敗や責任回避の先送り策が白日の下にさらされ、霞ヶ関の中央官僚に対する国民の信頼が大きく損なわれ、官僚バッシングが強まった。したがって、官の改革の最重要テーマは、失われた国民との信頼関係をいかに取り戻すかになるはずだった・・・小泉政権を振り返ると・・・政府の失敗との反省に立ち、信頼回復を直接目指した改革だったかどうか疑問が残る」(10月4日)

2006.09.16

このHPに時々登場する(例えば三位一体改革8月1日の項)、朝日新聞編集委員の辻陽明記者は、土曜の別冊「be on Saturday」3ページ左下に、「新市民伝」を連載しておられます。NPO、ボランティア活動などの、活動家の紹介です。市民運動というと、かつては、はちまき締めてシュプレヒコールといったイメージでしたが、ここで取り上げられている新しいタイプは、静かで地道なイメージですね。しかし、声の大きい政治活動より、このような地域の継続的な活動が、日本社会を変えるのでしょう。目立たないだけに、そのような活動家を拾い上げるのは大変なことと思います。

高校と大学の機能

15日の日本経済新聞連載「大学激動」「受験で合格、今や少数派」から。
「今春の私大入学者の44.8%が推薦入試組。AO入試を加えれば、今や一般入試組の方が少数派だ。40.4%の私大が定員割れになる中、全員合格状態の一般入試も増える」「家庭で全く勉強しない高校生が4割という調査もある・・日本の教育をゆがめた元凶と批判されてきた大学入試。少子化と大学過剰の環境で、勉強しなくてはというプレッシャーが急低下する中、入試に変わる学習の動機づけを何に求めるのか。皮肉な課題が浮上してきた」。
学歴だけが基準だという問題を解消する方向に向かっていると、私はよいことと考えています。
社会の条件が変わると、高校や大学の意味・機能が変わるということですよね。少数のエリートが行く時代は、高校と大学は学問を教えるところでした。しかし、全入になると、変わってきます。
社会や本人たちの立場から考えると、行きたくない学生を無理に行かせている、その後の職業人や社会人に必要な教育をおろそかにして学問的教育ばかり教えている、といった問題点が浮かび上がります。今の学校は、供給側の論理が優先されているのです。一方で、学生たちはしたたかで、おもしろくない授業は出ない、アルバイトに精を出し、大学と高校の多くは、若年失業者収容所になっています。(8月16日)
31日の日経新聞経済教室は、スイスにある経営開発国際研究所の「世界競争力ランキング」が紹介されていました。ここでは、大きく4つの分野、マクロ経済・政府の効率性・ビジネスの効率性・インフラに分けて、各国の競争力を比較しています。もちろんその4つの分野には、いくつもの指標が含まれています。政府の効率性には、政策決定の実施、政策の方向、適応性、中央銀行の政策などなど。
私は「新地方自治入門」で、地方行政の成果として、道路、下水道、学校、医療、介護の数字を50年前と比較して示しました(p9)。また、地域の財産として、新国民生活指標(p187)や、自然環境、公共施設、制度資本、関係資本、文化資本を提示しました(p190)。
地方自治体が地域の実力を考える場合には、私が提示したような項目を考える必要があるでしょう。もっとも、まだまだそうなっていないことを指摘したのです。公共事業に重点を置きすぎて、自治体の首長や企画部門は、そこまで考えていないのではないかという批判です。
一方、中央政府が、世界の中の日本を考える場合には、このような外国との競争力比較も必要なのでしょう。この研究所以外にも、このようなランクを発表している所があります。もちろん、それぞれの指標の取り方には、異論もあるでしょうが。私の関心は、その順位よりも、どのような項目が要素として拾い上げられているかです。国政レベルでは、誰とどのような部門が、このようなことを考えているのでしょうか。(8月31日)
8日の朝日新聞は、「経済法制、改正ラッシュ」と題して、近年の民事・経済法制の大改正を解説していました。確かに、明治、戦後改革以来の大型改正が続いています。会社法改正、民事再生法、中間法人制度、公益法人制度改正、金融商品取引法などなど。このHPでも会社法改正などについて書きましたが、経済社会が大きく転換していることの反映でしょう。このような経済の変化に対する政治と法律の対応を、政治の仕事という観点から、どなたか簡単に解説してもらえませんか。(9月8日)
OECDの調査で、高等教育への公的支出のGDP比は、日本が最低とのことです(日経新聞他)。また、13日の読売新聞「ポスト小泉を考える、医療改革」では、二木立教授が、日本の医療費のDGP比が、先進7か国中最下位であることを指摘しておられました。
医療費が少ないことは、国民が健康だからという言い訳もできますが・・。蚊のいる島といない島では、蚊のいる島の方がGDPが大きくなるとは、私が学生の時に知った、都留重人先生の説でした。蚊取り線香とか殺虫剤がいるからです。もちろん、蚊がいなくてGDPの小さい島の方が、住みやすいのです。
しかし、私は「小さい政府」というスローガンに、疑問を持っています。別の所でも書きましたが、かつては、税金はお代官様に召し上げられるお金でした。少ない方が良かったのです。しかし今はそれだけでなく、福祉やその他のサービスとして、みんなに還元されるのです。政府への預け金でもあります(もちろん、事務費やムダな経費は、少ない方が良いです)。
とすると、貧しい人は、「大きな政府」を求める方が、もうかります。だって、その経費をたくさん負担するのは金持ちですから。この観点からは、小さい政府は、金持ちが得をする主張です。
納税者番号もそうです。反対される人が多いです。それぞれ、少しは「節税」をしておられるからでしょう。でも、小金持ちが節税したところで、しれてます。金持ちが脱税できる金と、庶民が節税する金とでは、ケタが違うのです。納税者番号を導入し、消費税にインボイスを導入すれば、庶民の税金は少なくてすむと思います。庶民の味方を称している政党が、もっと主張して欲しいです。
納税額に応じて、将来の年金給付額を増やす国があると聞きました。すると、税金の申告を大きくなる方に、訂正する人が出たそうです(うろ覚えで済みません)。(9月13日)
また、同紙「分裂にっぽん」は、「規制緩和、会社共同体崩れた」でした。ここ数年、正社員が減り、非正社員が増えました。景気の悪い時期だけでなく、良くなってもその傾向が続いています。会社とすると「低いコストでクビの切りやすい非正社員」が都合良いのでしょう。
年功序列・終身雇用という会社共同体が、崩れつつあります。もっとも、このような会社共同体は、必ずしも日本に古くあるものではなく、またそうでない職場も多かったのです。しかし、それが理想型とされていて、国民の多くも信じていました。ところで、「正規社員、非正規社員」という言葉に当たる英語はないとのことです。それだけ、会社共同体は日本に適合したのでしょう。
かつては、家族・親族(血縁)と農村共同体(地縁)が、個人の帰属先・共同体でした。助け合いという福祉機能、いろんなことを教えてくれ相談に乗ってくれる情報・教育機能、安心感を与えてくれる機能など。今風に言えば、セイフティネットでした。その後、工業社会になって、帰属先は家族と会社などの職場になりました(拙著「新地方自治入門」p211~)。経済構造の変化で、それが崩れつつありますが、まだ私たちは新しい共同体を作り切れていないのです。それが、不安を生んでいます。

行政の失敗と再発防止

プールの吸水口に小学生が吸い込まれ、死亡する事故がありました。痛ましい事故です。子供を持つ親としても、やりきれません。このような事故は、数年前にもありました。なのに、なぜ防げなかったのでしょうか。素人が考えても、事前に確認する、網戸のようなふたを二重にしておけば、防げたはずです。避けられない事故とは思えません。
先日から、NHK教育テレビ「知るを楽しむ」8~9月の月曜日番組、畑村洋太郎先生の「だから失敗は起こる」を読んでいました。放送は、7日からですが、テキストは既に発売されています。先生は「失敗学」の創始者です。読んでいて、なるほどと思うことが多いです。
私も、行政管理の分野では失敗学の「泰斗」である、正確には「失敗が起きたときのお詫びの王者」であると、自負しています。自分が起こした失敗の他に、管理職になってからのお詫びは数えきれません。鹿児島県税務課長時代の課税額間違い(もちろん過大課税でしかられました)、富山県総務部長時代の談合、カラ出張、調査ミスなどなど。この時は、1年間に4回お詫びの記者会見をしました。記録保持者と思います。こんなこと、自慢になりませんが。
大きく新聞やテレビで取り上げられ、頭を下げた写真と記事を大切に保管してあります。自分が下げているはげ頭を見るのは、楽しいことではありません。でも、だからこそ、いつも思い出しては、教訓にしています。それぞれの事案が、私を育ててくれました。幸いなことに、人身事故ではなかったので、こんなことを言えるのですが。
再発防止のために、処分・制度改正のほかに、記録として残したりしました(「富山県庁の挑戦-私の行政改革論」1998年、富山県職員研修所)。部下が起こした失敗は、受動的な責任です。でも、同じことを2度起こしたら、管理者である私の責任です。
先輩の成功事例よりも、失敗事例の方が、よい教材になります。そう思って、できる限り明らかにし、記録しました。役所の失敗は、パターンが限られています。職員が起こすことですから、そんなに珍しいことは起きません。大半は、「組織の病気」です。もたれ合い、無責任、引き継ぎの失敗などなど。本当に些細なことで起きます。
当時の教訓は、「隠すことは、もっともいけない」です。人間、できれば都合の悪いことは隠したいものです。でも、そんなことに限って、必ずばれます。天網恢々、疎にして漏らさず。また、上司がそんな気でいると、職員の間にも「隠しておこう」という意識が生まれます。それが一番怖いのです。
また、「二度とこのようなことがないように・・」と皆さんおっしゃいますが、私はそれではだめだと思います。もちろん人身事故などは、二度と起こしてはいけません。また、そのような心構えも必要です。が、小さなミスはしょっちゅう起こります。例えば、印刷ミスとかです。それらすべてについて、本当に二度と再発しないようにするには、すごい費用と労力が必要です。それは、費用対効果の面で、不可能です。職員が何人残業しても、足りません。「人間は失敗を犯すもの」なのです。再発防止策をとったあと、もし起こったらどうするか、その前提の下に、対策を考えるべきです。
機会があれば、後輩のために、「行政での失敗学」を書きたいと思っています。畑村先生には、このほかにも失敗学の本がいくつもあります。管理職の方は、ぜひお読みください。(8月2日)
これに関して、プロ野球・野村監督の言葉を思い出しました。「野球に、ふしぎな勝ちはあるけど、ふしぎな負けはない」という趣旨の言葉です。行政の失敗にも、ふしぎな失敗ってないのですよね。原因を調べると、必ず「なーんだ、こんなことか」というのがあります。

今日は、「田村交付税課長を囲む会」に行ってきました。平成4年、田村課長、岡本補佐と一緒に仕事をした、交付税課メンバーの集まりです。今から思うと、とんでもない過酷な職場でした。夜の12時頃に職員が「今日は早く帰らせてもらいます」と言ったとか(誇張ですが)。交付税の算定が終わって、夜に富士山に登って途中道に迷ったのも、この時です。
その原因は、ただでさえ忙しいのに、ふるさと創生、公共投資基本計画、シルバープランなど、次々と交付税措置が増えたのです。もっとも、それに輪を掛けたのは、国会議員からたくさん質問をもらってきたり、次々と仕事を引き受けた岡本補佐にあります。でも、田村課長の人徳で、毎回大勢の人が集まります。話題は、当時の課長補佐が、いかにむちゃくちゃだったかです(反省)。なぜか、この話で盛り上がるんですよね。
土曜の午後に指示を出し、月曜日の朝宿題ができていない職員に対し、「昨日休んだだろう」と詰問し、午後には、「まだか~、さっき昼飯を食っただろ」と聞き、火曜日には「昨日寝ただろう」と攻めた話は有名です。「忙しいから、返事は短く。ただし、全勝は民主的だから、決めつけはしない。次のどちらかを選んで良いから。一つはもちろん『はい』。もう一つの選択肢は『わかりました』だ」と、言ったこともありました。うーん、ひどい話ですねえ。
ある職員は、「はいはいはい、わかりましたよ~」と反抗していました。その彼も、今は某県の総務部長です。私のマスコット人形を夜のうちに壊しておいて、「どうして壊れたのですかね」ととぼけていた職員も、某県総務部長。いろんな指示に、「え~、本当ですかあ~」と、はぐらかしていた職員は、一人は総務省の室長、もう一人は課長補佐、もう一人は某市の財政部長です。きっと、私を反面教師にして、よい管理職になっているでしょう。
でも、一人も事故者を出すことなく、今もみんなで、楽しくあのころのことを話題にできます。小さな「プロジェクトX」だと思っています。

12日の日経新聞夕刊「人間発見」は、草刈隆郎日本郵船会長の若き日です。ロンドン駐在時代に、大きな失敗をされたそうです。「当時としてはかなりの大金で、『これでクビかな』と青ざめました。結局、罰則はなかったのですが、今も郵船の業務失敗の事例集に『カラジョージス事件』として載っています」。
先輩の成功談や武勇伝も良いのですが、失敗事例集はもっと後輩に役立ちますよね。役所には、失敗事例集を持っている所って、あるのでしょうか。普通は、失敗は隠すこととされ、記録に残らないのです。失敗を書いて残す組織は強いでしょう。私の個人的な失敗は、「明るい係長講座」に書きました。

2006.09.10

今日は、シリーズ『地方税財政の構造改革』(ぎょうせい)に載せる「三位一体改革の意義」と「今後の課題と展望」を書き終わりました。8月に書いた「地方財政の将来」(学陽書房)があるので、これを基に加筆しました。その後、汗だくになって、実家から届いた本を5箱整理し、充実した1日でした。