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消防大学校のPR
4か月ほど前に書いた拙稿を、インターネットで読むことができることを知りました。消防庁が出している広報誌「消防の動き」2010年3月号の巻頭言、「学生の緊張と感激―教育水準を保つ工夫―」です。消防大学校のPRです。
新聞の使命
鈴木伸元著『新聞消滅大国アメリカ』(2010年、幻冬舎新書)を読みました。先日の、インターネットがジャーナリズムを壊しているという、問題関心からです。本の内容は主に、アメリカの新聞社が次々と消えていっているという報告です。読むと、実態はすさまじいものです。日本とは、広告収入と購読料の割合などが違いますから、そのまま日本には当てはまらないとしても、大変な事態です。
私は、新聞はすべてが正しいとは決して思いませんが、その欠点の分を差し引いても、新聞は民主主義国家において不可欠の公共財だと思います。先日の記事でも書きましたが、インターネットの検索サイトが無料で(広告収入で)もうけ、記事を提供している新聞社が赤字になるという構図は、長続きしません。検索サイトがこれからも儲けようとするなら、「寄生している宿主」である新聞社を、生きながらえさせる必要があります。宿主を殺す寄生虫は、実は弱い寄生虫です。
これは、ビジネスの方法=いわゆるビジネスモデル(これは日本語だそうです)を、考えさせる事態です。情報産業にあってはコンテンツをつくる企業とそれを売る企業、商品にあってはモノをつくる企業と売る企業の、どちらが儲けるかです。インターネット業界では、それぞれの業態をレイヤーと呼ぶそうです。百貨店が場所貸し業になって、自ら商品を売らず、ブランド店が場所を借りて自らの商品を売る仕組みになりました。これで場所貸し業の百貨店は、衰退しました。街の本屋さんは、委託販売で、あずかった本を並べ、売れた分だけ儲けます。この場合は、衰退しながらも生きながらえています。もっとも、専門書は大規模店舗やインターネット販売に負けて、雑誌販売で生き残っているという見方もあります。
また新聞には、ニュースの優先順位をつけてくれる機能があります。たくさんのニュースから、切り取ってくれる今日のニュース一覧は、大きな機能です。どのニュースでも見ることができるは、どれを見たらよいかわからないということです。このような機能は、評価されないのでしょうか。114
世論調査・日本の自画像
11日の朝日新聞が、「いまとこれから」という世論調査を載せていました。
今の日本がおかれた状況を登山にたとえると、「息が切れて、後続の人に追い抜かれていく」が62%、「足を痛めて先に進めない」が18%、「急な坂を懸命に登っている」が15%で、「快調に登っている」は1%です。
「日本に誇りをもっているか」については、75%の人がもっています。誇るものは、技術力が94%、アニメやゲームが68%、経済力は34%、教育水準は33%でしかありません。急速にイメージが変わっているように、思えます。
日本の自画像については、「勤勉である」が46%、「でない」が50%。「礼儀正しい」が45%で、「でない」が52%です。さらに「独創性がない」61%、「国際性がない」70%、「自立心がない」76%です。かなり悲観的ですね。
詳しくは記事を見ていただくとして、佐藤俊樹東大教授は次のように述べておられます。
・・調査結果からまずわかるのは、日本社会の自己像が不明確になったことだ。「顔」を失った日本、という感じだ。経済力や教育水準の高さは、戦後日本の代表的な「プラス面」だ。ところが、いずれも誇れると思わない人のほうが多い・・日本人の特徴についても、器用だが自立心は弱く、国際性にも欠ける、という答え。一言でいえば「ぱっとしない自分」だ。いまの若者によく見る自己像とも似ている・・
ただし、国民が見つめる自画像の多くは、マスコミが伝えた報道によるところも多いのですよね。「記事で誘導しておいて、世論調査で確認する」といったら、言いすぎでしょうか。
短命政権を生み、捨てる社会
11日の日経新聞経済教室、山崎正和さんの「指導者は難題と向き合え」から。
・・何より気がかりなのは、これらの(民主党の)公約が目先の変革にのみ重点を置き、永続的な国益や目標を無視していることである・・素人でもわかる長期的な視点の欠如、国策の連続性への関心の鈍さが異様なのである。そしてこの鈍感さを最大限に露呈したのが、防衛問題であるのはいうまでもない・・この問題の惨めな結末はすでに明らかだから、私にはあらためてこれをあげつらう興味はない。
それよりも注目に値するのは、なぜ民主党が革命にも似た変革を掲げ、国民も雪崩を打ってそれを支持したかという疑問である。国民の変化への要求はこのところ性急さを増し、内閣支持率は激しく上下動を繰り返して、そのたびに短命政権が生まれては消えた。政党を問わず指導者は小粒になったように見え、選挙民はこらえ性がなくなった気がする。これはいったい、文明と社会のどのような問題の反映なのだろうか。
まずいえることは、現代日本の真の課題が深刻なものばかりになり、経済の成熟、少子高齢化、環境破壊、技術開発の停滞など、時間がかかる困難が急増したという点がある。グローバル化の下で政府のできることは小さくなる一方なのに、うすうすそれを感じる国民はいらだちを強め、せめて見かけ上の変革を性急に求める方向に走った。
同時に、長く続いた冷戦が終わったことによって、個人の政治的アイデンティティー、心のよりどころとしての政治的立場が揺らぎ始めた・・
第3に、都市化の進行が人びとから故郷や近隣社会を奪い、よかれあしかれ多数の国民を孤独な群衆にした。とくに日本では、グローバル化が企業の枠組みを弱くして、企業という伝統的な帰属感の対象が動揺したことが大きい。典型的な大衆(マス)社会に投げ出された日本人は、信頼できる顔の見える隣人を失い、流行とか世間の空気といった目に見えない趨勢に流されやすくなった・・
こうした社会状況の下で起こりがちなのはポピュリズム(扇情政治)だが、現代の日本には雄弁な扇動家は現れにくいから、ここに「リーダーなきポピュリズム」とも呼ぶべき珍現象がみられることになる・・
詳しくは、原文をお読みください。