岡本全勝 のすべての投稿

eメールの不具合

先日、自宅のパソコンのメールを開いたら、「未開封」が1万通あるとの表示が出て、とっとこととっとこと次々メールが届きました。「何じゃこれは」とよく見ると、2012年6月以降のメールが、再度届いているのです。素人の悲しさ、何が起こっているのかわかりません。仕事場だと、専門家がすぐに診断してくれるのでしょうが。
プロバイダーのニフティに問い合わせても、「ご連絡いただきました情報から、お客様のメールサーバーでの記録を確認いたしましたところ、ご申告の日時にあらためて大量にメールが受信した記録は、確認できませんでした。
また、現時点ではメールサーバーにて障害やメンテナンスは発生していないことから、ご利用のメールソフトのアカウントが正しい動作で反映ができなかった可能性が考えられます」とのこと。
私のパソコンが、ニフティのサーバーに、再度メールをもらいに行ったのでしょうね。なぜこんなことが起こったのかわからないまま、えっちらおっちら、1万通を削除しました。これは簡単でした。未開封の印のメールをサッサとまとめて削除すればよいのです。現在は、それが「ゴミ箱」に入っているので、それを削除しているところです。
これは少し面倒です。「ゴミ箱」にあるメールも、いくつかは記録のために保存してあるので、それを除いて削除しなければなりません。まあ、懐かしいメールがたくさんあります。「こんなこともあったなあ・・」とです。日記を読み返しているようなものです。
でも、2年間で1万通です。便利になったのやら、これにどれだけの時間をとられているのやら。

高校の同窓会

今日は、高校の同窓会本校での他に、東京でも2年に1度、全学年の同窓会があります。久しぶりに、同級生や先輩後輩と挨拶をしてきました。学年が持ち回りで幹事をする仕組みで、私たち(昭和48年卒と49年卒)は、4年前に幹事をしました。
大先輩では、奈良女子高等師範学校付属の卒業生が、80歳を超えてかくしゃくとして参加されています。今年も、奈良県のマスコット「せんとくん」(の着ぐるみ)が、特別参加。当初はその奇抜なデザインに批判もありましたが、定着したようですね。多くの人が並んで、記念撮影をしていました。

またまた、悲しいカエル

また、悲しいお知らせです。このホームページを長く読んでおられる方は、覚えておられるでしょう。我が家の近所のカエルの話です。最近では、2014年2月28日に、道路で死んでいたことを書きました。
今朝また、1匹が死んでいました。手の平くらいある大きなカエルです。東京が梅雨入りしたので、雨の中をうろついているうちに、車にひかれたのでしょう。どうやら、Kさん宅の庭が住み家のようです。しかしまだ他に、カエルがいるかどうかはわかりません。そこのおうちの庭は、外からは見えないのです。

在宅医療と看取り

朝日新聞6月3日オピニオン欄「在宅医療で見えたもの」、太田秀樹・全国在宅療養支援診療所連絡会事務局長のインタビューから。
・・(日本では)8割が病院で亡くなります。がん患者の場合は9割。日本は病院死の割合がとても高い。米国はともに4割前後、オランダは全体の病院死が35%、がん患者は28%です。昔は日本でも自宅で亡くなるのがふつうでした。1976年に、病院での死亡率が自宅での死亡率を上回ります・・
・・超高齢社会を迎えるにあたって、治せるものは病院で治すが、治せないものは治せないと、患者や家族、医療関係者を含めた社会全体が受け入れることが必要です。そうでないと、いつまでも病院で濃厚な医療をすることになる。必要なのは、1分でも1秒でも長く生きる長寿ではなく、天寿を支える医療です。
たとえば、最期のときに病院に運んで治療するのではなく、家族が休暇を取ってそばにいるという医療です。そのためには「死」を受け止める覚悟が必要です。少しでも長く生かそうと死のそのときまで点滴を続けることがありますが、点滴すればむくんで苦しくなる。しなければ眠るように安らかに旅立ちます。
うちの診療所ではこれまでに約2千人の在宅療養を支援し、約600人を自宅で見送りました。自宅でみとった患者さんの割合は開業した1992年当時は20%でしたが、今は7割近い。昔は「家で死なれたら困る」「世間体が悪い」という人も多かったですが、最近は患者さんや家族の意識も変わってきたと感じます・・
・・質をはかる尺度を「数値改善」に限れば、在宅の方が低いと言う人もいますが、生活の質を考えると、病院より質のいい医療をしています。たとえば、病院で放射線をあててがんの大きさが半分になっても、だるくて苦しくて寝たきりになった末に命を落とすのと、放射線治療をせずに自宅で緩和ケアをし、苦しくないようにして好きなものを食べて、家族と暮らすのとを比べてください。命は短いかもしれないけれど、後者の方が幸せじゃないですか。
もちろん、苦しくても、とにかく病院で治療を受けたいという人は病院に入院すればいい。けれど、天寿を受け入れ、安らかに自宅で死にたいという希望があっても、在宅医療を提供する態勢が整っておらず、その希望がかなえられないという、いまの状況が問題なのです・・
・・人は必ず死にます。それを受け入れなくてはなりません。それが、いまの医療の課題です。最期をどう迎えたいのか、私たち一人一人が考えなくてはいけないと思います・・

新しい社会のリスク、認知症の行方不明者

認知症の高齢者が行方不明になったり、遠くで保護される例が報道されています。今日の読売新聞夕刊によると、警察が把握した認知症の行方不明者は、昨年1年間で1万3千人だそうです。1週間以内に見つかった人は、約1万人。1~2年後に発見されたのは11人、2年過ぎて見つかった人も32人いました。発見時に生きていた人は9千5百人で、約400人は死亡していました。前年分も含めると、所在のわからない人は258人だそうです。これは警察が把握している数ですから、実際にはもっと多いのでしょう。
私は、2003年に『新地方自治入門-行政の現在と未来』を書いたときに、地域の新しい問題群、住民の悩みとして、児童虐待や自殺者、ホームレスなどを上げました(第6章)。その後、自殺者は少し減りました。児童虐待は、さらに大きな問題になっています。そして、認知症の増加と行方不明やいじめが、次の大きな課題となっています。