連載「公共を創る」116回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第116回「家族と個人の衝突」が、発行されました。これまで国家の役割と考えられてこなかったのですが、個人が一人で引き受けるのも困難な分野として、幸福感について議論しています。現代社会と国家は、生きる意味や善い生き方、そして死の意味も教えてくれません。
また、これまで家族は個人の城と考えられてきましたが、家庭内虐待など家族が個人の自由と衝突する場合があります。これを国家として放置するのか、介入するのかが問題になります。

さて、第113回からここまで、政府が個人や家庭に介入するのはどのような場合なのかを議論してきました。要約すると、次のようになります。
・引きこもり、若者無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題は、従来の社会保障制度では救えないこと。行政は、まだ効果的な手法を持っていないこと。
・近代憲法は自由権と社会権を「発明」してきましたが、本人の自立を支援する手法や孤立を救うための社会的包摂は、近代憲法が想定する権利・義務の中には位置付けておらず、社会が放っておくと国家が動かない可能性があること。
・自立支援に際しては、プライバシー権(個人の秘密と自己決定権)に対し、本人の了解なしに行政や他人がどこまで関与してよいのかが問題となること。
・個人と家族の利害が対立する場合があること。家庭内での問題は外から発見しにくいこと。
・個人や家族の悩みについて、行政がすべて応えてくれるわけではないこと。他方で宗教や親の教えが希薄になり、心の悩みに答えてくれる人がいないこと。
・個人の悩みと行政の守備範囲の間には「空白地帯」があること。