サントリーみらいチャレンジプログラム2021

サントリーが、東日本大震災復興支援を続けてくださっています。10年を経過して、新しく「みらいチャレンジプログラム2021」を始めました。このホームページでも紹介し、応募を呼びかけました。おかげで、3県で300件を超える応募がありました。

私も福島県分の審査員に指名され、100件余りの提案の中から10件を選ぶ作業をしました。数が多いのと、それぞれに「なるほど」と思い、応援したい企画ばかりです。この中から10に絞り込むのは、難儀な作業でした。
6月には、福島に審査員が集まって議論をしました。pcr検査をして出席しました。最終的には福島では14件を採択し、8月10日に発表しました。
福島県庁で記者会見して発表する予定だったのですが、コロナ感染拡大でそれは中止になりました。
今日15日の福島民報新聞に、大きく掲載されています。それぞれに社会問題や地域の課題に挑戦する企画で、簡単な事業ではありません。関係者と周囲の皆さんの理解で、うまく進むことを期待しています。行政も理解をしてほしいです。

私の感想を、再掲しておきます。
「社会や地域を良くしようと頑張っている人が、これだけたくさんおられることに驚きました。その分野の広さにも、驚くばかりです。 長く行政にいて、また東日本大震災で住民の困りごとに応え、地域の復興に携わりましたが、まだまだ行政の目が届いていないことを実感しました。残念ながら枠の関係で、拾えなかった企画が多いです。それらも含め試みが社会に認知され、場合によっては行政の施策に取り込まれることを期待しています。」

大雨に長雨、冷夏

各地で大雨が続き、被害も生じています。早く収まり、復旧することを願っています。
東京も、今日も雨でした。最低気温が19度で、最高気温が21度。これが8月の気温?
先日までの猛暑が、嘘のようです。先日から、服装を変え、布団も変えました。

コロナ外出自粛で、子どもたちは遊びに連れて行ってもらえず、大人も夏休みの旅行が思うようになりません。その上に、この雨です。
外出が減ることにはつながるのでしょうが。家の中に閉じこもっていると、大人も子どもも気が滅入ります。
甲子園の高校野球も、順延が続いています。農作物への影響も出るでしょう。困ったものです。

歴史家は長生きしなければならない。

西村貞二著『マイネッケ』(1981年、清水書院)に、次のような話が書かれています。

大歴史家に、長命な人が多い。必然性はないが、次のように言えるのではないか。芸術家は早死にしても、よい作品を残せばよい。しかし歴史家は、世のこと、国のことについて、さまざまな体験を積む必要がある。歴史家として成熟するには、どうしてもある程度、長生きしなければならない。

さまざまな体験には、3つのものがある。個人的、社会的、時代的の3つである。まず個人的な体験をする。幼い時期に家庭や身の回りに起きる出来事である。成人して社会に出ると、社会的経験を積む。自分で運命を切り拓かなければならない場合もでてくる。そうした社会的経験は、大局から見れば。時代的体験の一部だろう。戦争や歴史の転換といった大きな変動に会うと、個人は木の葉のように翻弄される。

歴史家も一般人も、この体験は異ならない。違うのは、歴史家がこれらすべての体験に基づいて歴史を書くということである。すると、20歳くらいの若さでは、社会的体験や時代的体験を積むことはできない。世の有為転変を知るには、ある程度長生きしなければならない。

 

ゲーム依存で壊れる生活、家族

8月5日から読売新聞くらし面で「依存社会 ゲーム」の連載を始めました。子どもがインターネットゲームにのめり込み、親が悩むだけでなく、暴力をふるわれる実態が報告されています。

・・・「なんで回線切んねん!」
中部地方の高校に通う聡さん=仮名=が、血相を変えて2階から下りて来た。2019年9月。1日15時間もゲーム漬けの日が半年も続いていた。たまりかねた母の美雪さん(48)=仮名=がネットの回線契約を解除したのだ。
聡さんは台所から包丁を取り出した。「刺される」。しかし、聡さんは刃先を自分の首元に突きつけ、声を震わせた。「ゲームがないと、俺、死ぬ」。何かにとりつかれたような苦しそうな息子の表情に、美雪さんは胸をつかれた。「ゲームをやめないのは、ただ楽しいからではないのでは」・・・
・・・ 筑波大教授(臨床心理学)の原田隆之さんによると、依存症は脳の病気だ。依存物の摂取や行動の反復により脳の機能が変化しコントロールが利かなくなった状態をいう。「意志や心がけで対処できるほど、依存症は生やさしいものではない」と指摘する。
旭山病院(札幌市)精神科医長の中山秀紀さんは「依存症は、快楽と不快が同時進行する」と話す。快楽を求めてゲームをするが、様々な要因から依存症になると今度はゲームをしないと不快になる。不快を解消するためにまたゲームをする。「人は快楽の消失は諦められても、不快を我慢し続けることは難しい」・・・

インターネットなし、スマートフォンなしの生活は考えられません。自己管理のできない、自己管理を勉強中の子どもには、スマホは便利であるとともに、危険な道具です。
どのように与え、教育するか。多くの親が悩んでいることでしょう。学校の先生も、悩んでいることと思います。まだ、これだという教育方針はないのでしょう。技術の進歩は、さまざまな悩みを生みます。

異なる価値観を統合する場

8月5日の朝日新聞オピニオン欄「夫婦別姓、国会か司法か」が、国民の間の異なる価値観を、どのように統合するかです。予算査定のように「足して二で割ることができない」ことも多いです。どれか一つに決めなければならない場合もあります。

・・・夫婦の姓を同じにしなければ結婚できない今の制度について、最高裁大法廷は2015年に続いて再び、憲法に違反しないと判断した。決定は「制度のあり方を考えるのは国会だ」としてボールを国会側に投げた。決めるのは国会か、それとも司法か。ボールはどこにあるのか・・・

価値観の違い、どうあるべきかの判断は、それぞれの利害得失をあげることはできますが、それを秤にかけることはできません。そして、理論では決まりません。
ここで問われているのは、その決定を国会がするのか、裁判所がするのかということです。国民の代表であり、唯一の立法機関である国会が、国内の異論の決着をつける場所です。国会が決めない、それが憲法に違反するなら、裁判所の出番でしょう。アメリカでは、しばしば最高裁が判断を下すことがあるようです。

子どもの臓器移植の家族同意について、2009年法改正を総理秘書官として官邸から見ていました。行政府の長として総理はどのような立場に置かれるかを考えていたのです。自民党も党議拘束をかけず、議員個人の判断に任せたと記憶しています。「生命倫理をどう議論するか