『総合検証 東日本大震災からの復興』

大震災から10年ということで、出版物も多いです。ひょうご震災記念21世紀研究機構編『総合検証 東日本大震災からの復興』(2021年、岩波書店)が、多方面から復興を検証しています。

五百旗頭真先生の「復興思想の変容」に始まり、次のような分類で、23の論文が並んでいます。
・巨大地震・津波の衝撃
・原子力災害と福島の復興
・地域のくらしと住宅の復興
・産業・雇用と教育の復興
・復興を支える仕組み
・記憶の伝承と教訓
最後は、飯尾潤先生の「東日本大震災の復興から得られた46の政策提言」と、御厨貴先生の「災後の時代とは何か」で締めくくられています。(インターネットで、目次を見ることができないのが残念です。)

このような多面的な角度から検証ができるのも、それだけさまざまな面から復興に取り組んだから、新しい政策に取り組んだからだと思います。

連載「公共を創る」第74回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第74回「社会の課題の変化―新しいリスクにさまざまな対応策」が、発行されました。
前回までで、近年の社会におけるリスクを説明しました。
これら新しいリスクに対し、日本の行政は急速に対応策を講じています。今回は、取られた対策の主なものを説明します。そして、リスクの性質によって対応方法が異なること、特に社会生活問題などには従来の対策では十分に対応できないことを考えます。

東北リーダーズ・カンファレンス2021に登壇しました

3月12日に開かれた「東北リーダーズ・カンファレンス2021」の「復興10年間の総括 Human Legacy」に登壇しました。コロナ下なので、オンラインでの開催です。
三陸と福島の復興リーダーたちと、10年間を総括しました。

東北リーダーズ・カンファレンス」は、東北の産業やまちづくりを担うリーダーと、日本のビジネスリーダーらが1年に1度集い、新しい地域のモデルや、それを推進するリーダーが更に突き抜けた存在になる共創の場とのことです。髙島宏平・オイシックス・ラ・大地社長や宮城治男・NPO法人ETIC.代表理事が中心になって開催してます。

東日本大震災からの復興では、行政も新しい政策を広げましたが、民間(企業や非営利団体)も新しい活動をしてくれました。復興庁も、民間の力をお借りし、連携して仕事をしました。業務の委託でなく、対等に得意な分野で貢献する形ができたと思います。
そして、官民連携に限らず、企業や非営利団体が地域の活性化のために新しいことに挑戦しています。これも、大震災復興の一つの成果だと思います。

課題は、今後もこのような挑戦を続けてもらうことです。これまでは災害という「緊急時」で、新しいことに挑戦する社会風土がありました。平時になると、難しくなる可能性もあります。それを突破するのが、若い力でしょう。
今日の企画の参加者も、若い人たちです。日本の閉塞感を突破するのは、彼らでしょう。期待しています。

原発被災地での農業再開

日経新聞夕刊「人間発見」。今週は、佐藤良一・農業法人紅梅夢ファーム社長の「農で福島取り戻す」です。
・・・東日本大震災から10年。農業法人「紅梅夢ファーム」(福島県南相馬市)社長の佐藤良一さん(67)は、住民や農業者の大半が戻らない同市小高区で、米作りなどの営農再開をけん引してきた。自らも9代続く農家。その取り組みは、かつての古里を取り戻す挑戦にほかならない・・・

・・・避難指示は2016年7月まで続きました。区内2900ヘクタールの農地を避難した住民の助けも受けて徐々に整備し、震災翌年の12年に原発事故の被災自治体で初めて水稲の試験栽培を実現しました。14年には一部を出荷できる実証栽培、そして営農再開へつなげました。
17年に立ち上げた紅梅夢ファームは、避難している地権者から預かった農地も活用し、県のブランド米「天のつぶ」などを作っています。天のつぶはアイリスオーヤマグループを通じ、パックご飯などで全国に販売しています。会社で耕す田んぼは、17年の9ヘクタールから22年に150ヘクタールまで広がる計画です・・・

紅梅夢ファームは、このホームページでも何度か取り上げました。

東日本大震災から10年

あの日2011年3月11日から、10年が経ちました。その9年半を、復興に従事しました。しばしば使う表現ですが、「長かったけど早かった」というのが、私の感慨です。多くの市町村長も、同感してくださいます。

これまでにない災害で、当初は先行きも見えず、走りながら課題を解決してきました。津波被災地では、5年目くらいで先が見えてきました。もっとも、その後も次々と新しい課題が出てきたのですが。原発被災地では、まだ避難指示が解除できていない地域もあります。津波被災地とは違った、難しい問題です。

テレビや新聞も、関連の報道で埋まっていました。10年という一つの区切りを思わせるものでした。
津波被災地では工事が終わり、復興はほぼ完了しました。10年でここまで来ると予想した人はいなかったでしょう。また、産業再開、コミュニティ再生支援に乗り出すと考えた人もいなかったでしょう。その点では、及第点をもらえると思います。にぎわいの回復など、残された問題もありますが、地域の人たちで解決していって欲しいです。
原発被災地では、まだ復興は始まったばかり、まだ着手できないところもあります。しかし、10年でここまで帰還できると想像した人も少なかったでしょう。予想に反して、放射線量の減衰が進んだからです。もっとも、まだまだ長期間にわたる対策が必要です。政府が最後まで責任を持って、復興を成し遂げて欲しいです。

5年目の節目には、次のようなことを書いていました。まだ復興事業の真っ最中でした。「5年目の3月11日」。また「東日本大震災 復興が日本を変える」をまとめました。
さて、次の10年はどのようなことができて、どのように評価されるか。行政の役割は、過去を振り返ること以上に、これから何をするかが重要です(「官僚の仕事は未来との対話」「日経夕刊コラム」)。2031年に、胸を張れるように努力してほしいです。