パワハラ、しごき。その2

11月22日の朝日新聞オピニオン欄「人を導く力とは」の続きです。

松崎一葉さん(精神科産業医)
・・・企業の研修で、講師が一般的なパワハラ話をしても、管理職は「きれいごとに従っていたら契約は取れない」「今の若者は9時~5時で働くだけでは育たない」と話半分にしか聞いていません。彼らには、利益を上げるためには自分の指導方法は多少きつくても「善」であるという信念があるからです。
彼らが部下を指導する内容自体は無理難題ではなく、事実、若手が頑張ってもとれない契約が、課長がいくとまとまったりする。「こうしたらいい」という彼らの指導内容はおおむね正しいのです・・・

・・・しかも彼らは自分の出世目的というより、「国民にいい車を届けよう」とか「お客さんが満足するサービスを考えよう」と、本心から思っています。その目標がしっかり共有されているとき、私は上司と部下との間に「共感的関係」が成立していると言います。部下は「この人が言うのなら」と我慢して、自分から過重労働に耐えようとするのです。働き方改革が叫ばれても、こうした関係が会社の中に内在する限り、うつ病や過労死の危険がなくなることはないと思います。
昨今のレスリングや体操など競技団体でのパワハラ騒動も、同じように「金メダル」という崇高な目標を共有していた「上司と部下」の信頼関係がくずれた結果、とみることができるでしょう。
上司は結局、自分の成功体験を部下に押しつけ、自分のコピーをつくろうとしている。中にはうまくいき「育てられた」と思う部下も出ます。その部下は次の世代に同じ厳しい指導を課します。我慢して成し遂げた経験が無意味とは言いませんが、会社は次第に劣化するかもしれません。経済成長の鈍化でイノベーションが必要とされている現在、画期的な商品や新たなビジネスモデルは、商品を改良し量産すれば消費が伸び、売り上げが出た高度経済成長やバブル時代の「できる社員」からは生まれないからです・・・