政党が政治を制御できなくなった

4月11日の朝日新聞オピニオン欄は、パリ政治学院教授パスカル・ペリノーさんの「前例なき仏大統領選」でした。
・・・今年の仏大統領選は、1958年からの仏第5共和制で前例のない選挙です。一つは、大規模テロの影響を受けて非常事態宣言下で実施されること。従来の関心事だった「失業」に代わって「テロ」が最重要テーマに浮上しました。もう一つは、有権者の投票で候補者を事前に決める「予備選」を右派も左派も導入したことです。政治家の意識や大統領候補のあり方が根本的に変わりました。
これまでの政治では、候補者は政党の中から生まれてきました。閣僚や首相を務め、経験を重ねたうえで、大統領を目指していたのです。そのような構造に対する革命を、予備選は起こしました。政党を破壊し、古い形の政治を葬り去りました・・・
・・・これは、政党が政治をコントロールできなくなっていることを意味しています。予備選は政党をむしばむのです。
同様の現象は、フランス以外にも見られます。イタリアでも、首相候補の予備選を導入したことが、政党の弱体化につながりました。米大統領選では、民主党と共和党で候補者争いが激化しましたが、政党自体が制御する力を失っているからです・・・

・・・今は、戦後に定着した政治的世界が解体され、新しい世界が生まれようとしている時期だと考えられます。ポピュリズムは、その新しい世界の一つの要素です。
フランスの社会学者ギ・エルメ氏は、民主主義に代わる新たな政治制度の中心として、ポピュリズムとガバナンス(統治)を挙げました。ポピュリズムが人々の声を吸い上げる一方で、実際の政治はエリート官僚中心のガバナンスが担う。そこにかかわるのは一部の意識の高い人だけで、一般市民は無縁です。民衆の代表が政府をつくる時代は終わるのです・・・

長い歴史や、大きな視野から見ると、このような見方もできます。立憲民主主義、代議制は、絶対的なものではなく、歴史の中で経験を経てつくられたものです。代議制は、直接民主主義が実務的に困難である代用であるとともに、熟議の機能を期待されています。また、政党も、利害や思想を同じくする国民を代表する機能とともに、熟議の機能も期待されています。もっとも、日本国憲法には、「政党」は出てきません。
現実社会が、この教授の指摘する方向に進むのかどうか。その方向に進めるのも、回避するのも、国民です。
原文をお読みください。

新著の反応8

明るい公務員講座』の3刷りが出ました。結構売れているということですね。ありがとうございます。内容は変わっていませんが、私の経歴に「慶應大学法学部講師」を加えました。

ある人の評価。
・この本の良いところは、「いちばん常識的なところ」が書いてあることです。それは、誰も意識的に説明してくれません。
→それを狙ったのです。

別の人からのお便り
・大病を患い休職した時期があり、落ち込んだ時期がありました。第20講の言葉に、まずはゆっくり養生することが肝要とあり、改めて認識し励まされました。ありがとうございました。
→人生も仕事も、長いですよ。短距離走ではありません。

神戸新聞3月19日書評欄
・・・著者は、県庁の事務員に始まり自治体と国でさまざまなポストを経験、事務次官まで務めた”教え魔”。本書でも、38年の公務員生活で得た仕事の勘所を惜しげもなく伝授している・・・追求するのは、公務員の仕事に欠落しがちなこと、すなわち「徹底した合理性」だ・・・
→「教え魔」。その通りですね(苦笑)。

欧米の大手メディアの日本語版ニュースサイト

4月8日の朝日新聞に「日本語サイト、開設続々」という記事が載っていました。
・・・欧米の大手メディアの日本語版ニュースサイトが次々に誕生している。公共放送、経済紙、通信社。米大統領選など世界中が注目する国際ニュースが近年多いことや、東日本大震災の発生が、日本語読者の海外ニュース需要を高めているとの見方もある・・・

日本のニュースなら日本の報道機関の方が充実しているでしょうし、海外ニュースなら通信社の配信か日本人特派員の記事で良さそうなものです。なぜか。
・・・ロイターの下郡さんと、WSJの西山さんは「日本の読者は日本が世界にどう見られているのかをとても気にする」と口をそろえる。11年の東日本大震災と原発事故が閲覧者増の一因になったとも指摘する。下郡さんは「日本メディアが政府の主張をそのまま伝えているのではないかとの不満もあり、海外から福島に入った記者の記事がよく読まれた」と振り返る・・・
・・・BBCの加藤さんは、日本の報道機関との立ち位置の違いを指摘する。「例えば日本のメディアが米国政治を報じる際には、TPPや安保などで日本にどんな影響があるのかが何よりも大事になる。我々は、日本では報道されない情報に価値を見いだしている」
在英ジャーナリストの小林恭子さんは「海外ニュースが日本語でそのまま読めるのがだいご味。学者やビジネスマンの情報収集にも便利だ。日本メディアも、ニュースに多様性を持たせることが求められているのでは」とみる・・・

日本は島国であることとともに、日本語が一番の「非関税障壁」だと私は考えています。商品はその壁を越えますが、報道、教育、研究などは、日本語の壁に守られ「鎖国」「ガラパゴス」状態でも生きてこれました。高等教育を、英米仏以外の自国語でできる国は少ないのです。多くの国で指導者層は英語でニュースを見ています。日本でも、自然科学研究分野は、日本語の壁を越えて海外へ打って出ています。
新聞社、大学、霞ヶ関が、日本語で守られた代表例です。報道で、日本語の壁をこのような形で乗り越えるとは想像していませんでした。

家庭内事件

読売新聞が、4月2日から「孤絶 家庭内事件」を連載しています。初日の記事には、子供の障害や病気に悩んだ親が、子供を手にかけてしまう殺人・心中事件が相次いでいることを紹介しています。
2010年からこれまでに起きた50件を分析したところ、加害者の7割が65歳以上です。子供(といっても成人、かなりの年齢です)の引きこもりや暴力に悩み、しかし周囲の支援を受けられず、介護疲れや将来を悲観して、親が子供を殺すのです。読んでいて、悲しくなります。そして、もし自分もそのような状況になったら、どうするか。
相談するところがない、どこに相談したらよいかわからないのです。
これまでは、各人の各家庭の問題だと片付けられていました。しかし、社会が考えなければならない新しいリスクです。行政による相談窓口をつくる必要があります。

日本政治の運用の特殊性

日経新聞の連載「日本の政治 ここがフシギ」を紹介しました(4月6日)。第3回(4月7日)は「議員縛る党議拘束 審議空洞化のリスク」、第4回(4月8日)は「「劇的」遠い党首討論 国民巻き込む力なく」でした。
それぞれ原文を読んでいただくとして。明治以来、西欧先進諸国をお手本に、立憲政治、内閣制度、代議制などを導入しました。それは成功したのですが、その後の運用は、いくつかの部分で独自の発展を遂げたようです。制度の輸入で満足したようです。
そして、研究者も「制度の輸入と解説」には熱心でしたが、運用までは研究の視野に入っていなかったようです。それは、研究対象が「書かれたもの」だったことにもよると思います。
すべてを西欧のまねをするべきとは思いませんが、運用のどこが異なり、それはどのような意図で、そしてどのような長所と欠点を持っているのかを、検証すべきだと思います。