雇用者数は増えている

1月8日の日経新聞「雇用 4年で250万人増」が、興味深い分析を載せています。詳しくは記事を読んでいただくとして。
1 日本の雇用者数は、2012年12月からこの4年間で、250万人増えています。人口が減少しているのですが、働く人が増えているのです。それは、女性と60歳台です。
2 増加したうち170万人が女性で、40~59歳の女性が130万人増えています。25~39歳の女性も増えていて、M字カーブは解消しつつあります。記事のグラフをご覧ください。
3 65歳以上の雇用者は男性で100万人近く、女性も60万人増えています。60~64歳男性の労働力率は8割近くで、65~69歳も5割を超えています。60歳台の人も多くは働いているということです。

働きやすくなったという面と、働かざるを得ないという両面があると思います。また、この数字だけでは、正規非正規の問題は見えません。

 

田村太郎さん、移民の受け入れ方

1月8日の朝日新聞オピニオン欄「移民の受け入れ方」に、田村太郎・ダイバーシティ研究所代表理事が出ておられます。
・・・日本はもはやアジアで唯一の経済大国ではなく、外国人からみれば自国の何倍もの賃金をもらえる国でもない。門戸を開けば、人がわっと押し寄せると心配されたのは、もう20年以上前の話です。生活支援政策を充実させなければ、だれも日本には来なくなります。
少子高齢化は中国や韓国でも進んでいます。日本人の介護福祉士が国外へ働きに行くかもしれません。すでにフィリピンにはカナダなどの国々が、専門学校を作ってケア人材の確保に動いています。国際的に人材の奪い合いが起きているなか、アジア全体の少子高齢化を見据えた議論を、日本が呼びかけるべきです・・・

・・・異なる人たちと接することに不安を抱くのは当然です。不安を減らすには、出会っていくしかありません。外国人に偏見があった人でも、○○さんと固有名詞でつながると意識が変わる例を、私は数多く見てきました。治安の悪化を懸念する声もありますが、外国人の犯罪検挙者数は減っています。
愛知県の県民意識調査では、はじめ外国人の存在を否定的に見る人が半数以上いたのが、生活支援や住民との交流を進めたところ、肯定的にとらえる人の方が多くなったという結果があります。
これまで外国人住民が増えても大きな問題が起きなかったのは、地域の人たちやNPO、自治体が熱心に共生に取り組んできたからです。こうした素地も生かしながら、「うちの街でチャンスをつかみたい人は、だれでも来てください」と自治体が競い合えば、地方創生にもつながります・・・

スリッパ

スリッパって、日本の発明品だと知っていましたか。私も西洋のものと思っていたのですが、外国のホテルでは置いてなく、日本産だと知りました。12月24日の日経新聞が、その生い立ちを詳しく紹介していました。
江戸末期に開国した日本。西洋人は人前で靴を脱ぐ習慣がなく、畳に靴を履いたまま上がろうとして混乱が起きました。そこで、靴の上から履く履き物を作ったのだそうです。1900年頃から日本人も使い始めますが、日本人は靴の上からでなく、素足に履いたのです。暮らしが洋風になり、板張りの部屋が増えたことも、スリッパが普及した要因でしょうね。

日本発祥のスリッパは、飛行機の機内サービスとして、世界各国の航空会社に取り入れられています。若い頃に国際線に乗ると、機内用に靴下が支給されて、「貧乏くさいなあ」と思っていました。よく考えれば、欧米にはスリッパがなかったからですね。
日本のホテルにはスリッパは行き渡ったようですが、世界のホテルにも普及しますかね。
西洋風に家の中でも靴というお家(東京)を知っていますが、「どこまで靴のママで行くのですか」とトンチンカンな質問をしたことがあります。「ベッドやお風呂の際には、どこで靴を脱ぐのですか」という質問です。もちろん、「そこまで靴」あるいは「靴を脱いで歩く」が答でした。

ホテルのベッドカバーの足の方に、目立つ色の帯の様なものがかかっています。あれも、長い間疑問でした。「なんのためにあるの。邪魔なだけや」と、取り外していました。あるとき、教えてもらいました。ベッドスローといって、靴を履いたままベッドに横になった際に、掛け布団が汚れないように敷いてあるのだそうです。
トイレの履き物も下駄からスリッパになり、病院などでもスリッパです。記事では、学校で履く「上履き」も紹介されています。この上履きは、病院や介護施設でも利用されているようです。

高齢者は75歳以上

日本老年学会は、「高齢者」の定義を、現在の65歳以上から75歳以上に引き上げるべきだという提言をまとめました。「NHKニュース」。
それによると、65歳以上の人を高齢者と位置づけたのは、昭和31年(私が生まれたのが30年です)。国連の報告書が、当時の欧米の平均寿命などをもとに、65歳以上を「高齢」と表現したことを受けたのだそうです。当時、日本人の平均寿命は、男性が64歳、女性が68歳。
たしかに、私の子どもの頃は、60歳と聞くと「お爺さんとおばあさん」でした。黒っぽい服装で、腰を曲げて歩いておられました。前にも書きましたが、漫画「サザエさん」の波平さんは確か54歳です。今なら、どう見ても60歳以上、65歳くらいに見えますよね。

その後、平均寿命は延び続け、男性が81歳、女性が87歳となっています。今、65歳の人に向かって「おじいさん」と言うと、機嫌を悪くされますよね。
この60年間に平均寿命が15歳以上伸びているのに、高齢者の定義(年齢)がそのままというのは、おかしいですね。もちろん、老化は個人差が大きいです。同じ60歳や65歳の人を見て、こんなに差があるのかと驚きます。
この提言では、65歳から74歳までの人たちは、「准高齢者」と位置づけます。これだと、私はまだ准高齢者にも入りません。

課題は、75歳までの人たちに、活躍の場を提供することです。老化の個人差は、一つには健康状態ですが、もう一つに生きがいを持って活動しているかどうかがあると思います。「若さとは心の持ちようだ」と言いますが、活動の場がないとそれも難しいです。
現在は、定年後は「それぞれに活動の場を探せ」ということになっています。しかし、皆が皆、働く場や趣味の場を持てるわけではありません。特に都会のサラリーマンは、手入れをする庭もなく。しかし、定年を引き上げれば、現役諸君に迷惑がかかります。工夫が必要です。

被災地での企業の社会貢献、社会的役割

河北新報が新年3日から、「被災地と企業」という連載を始めました。
・・・企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ・・・
第1回は、ポケモンGOの河合敬一さん。第2回は、若手漁師らのフィッシャーマン・ジャパン。第3回には、藤沢烈さんが登場しています。詳しくは本文を読んでいただくとして、特徴を次の様に述べています。
・・・以前はボランティアや寄付が中心だったが、本業を通じた支援が活発化し、産業やコミュニティーの再生により深く多様に関わった・・・
・・・地域と長く関わる専任者がいたかどうかが大きい。被災地では顔の分かる人間関係が基本。最初から分厚い提案書を出して、相手に敬遠されたケースもある。地域との関わり合いを勉強するいい機会になった・・・

藤沢さんたちとの共著『東日本大震災 復興が日本を変える』は、副題が「行政・企業・NPOの未来のかたち」です。被災地を復興する際に、行政だけでは限界があること、企業やNPO、コミュニティの役割が大きいことを、実例を挙げて紹介しました。私たちが挑戦したことが、社会に受け入れられつつあります。ありがとうございます。