避難者との意見交換会

今日は、復興大臣のお供をして、東京都江東区の東雲(しののめ)住宅へ、福島県から避難しておられる方の話を聞きに行ってきました。この住宅は、国家公務員住宅を東京都が借りて、避難者に提供しています。平屋の仮設住宅と違い、高層アパートです。約1,200人の方が、福島県から避難しておられます。代表の方8人に話を聞きました。
原発避難区域からの避難者は、帰る見込みが立たない人も多く、不安な状態におられます。帰ることが可能になった区域、例えば南相馬市小高区も、まだ上下水道が復旧していないので、片付けに帰るのも難しいです。水道とトイレが使えないのです。
1年半の間放置してあるので、雑草が生え、またネズミも繁殖しているとのことです。いろいろとご不満や心配を聞きました。これに、どうお答えするか。頭をひねります。

社会保障を含めた生活保障を進めるために、宮本太郎教授、その2

「日本型の生活保障とは」という問に対しては。
・・雇用を軸にした生活保障です。歴史をひもとくと、岸内閣の下、世界で4番目に皆保険・皆年金の導入が図られ、1961年に実現しました。画期的でしたが、みんなが働いて支え合わねば、維持できません。
池田内閣から田中内閣にかけて日本的経営や土建国家が形成され、男性稼ぎ主が働き、年金・保険制度を支えるシステムができあがりました。
このシステムのポイントは、行政が業界や企業を保護する点にありました。護送船団方式はその象徴です。企業は一家の男性稼ぎ主の雇用を守り、稼ぎ主は家計を支えて家族を守りました。この保護の連鎖が機能している限り、社会保障の役割は限定され、退職した高齢世代の年金に集中できました。

「そのバージョンアップが必要だとは、どういうことですか」
・・雇用を軸にした生活保障の方向は悪くなかったが、経済のグローバル化が進み、行政が業界や企業を守るのは今や無理です。非正規雇用が増えて、男性稼ぎ主の雇用で家族が暮らせるという前提も消えました。
業界や企業を守るのではなく、個人と家族を直接支援することによって、雇用を軸にした生活保障を発展させる。市場重視のアメリカ流でも、スウェーデン型福祉国家でもない、日本型の刷新です・・
この項続く。

彼岸になると秋らしく

先週、「9月17日になっても、気温は30度」と書きました(9月17日の記事)。そして、「『暑さ寒さも彼岸まで』という言葉を、信じましょう」とも。
たいしたものですね。先人のおっしゃるとおり。昨日22日から急に気温が下がり、今日23日の最高気温は22度くらいです。最近まで最低気温が25度だったのが、急に最高気温22度ですから、涼しいはずです。それに、朝から雨で、余計に寒く感じます。朝晩も涼しくなり、寝る前に窓を閉め、パジャマも長袖にしました。
福島に出張する際の車窓から見える田んぼは、稲がまさに黄金色に実っています。我がふるさとの明日香村は、秋の観光シーズン曼珠沙華(彼岸花)が咲き始めたようです。
子どもの頃は、田んぼの土手に咲いた花を、竹や棒で作った「刀」でなぎ倒すのが楽しみでした。今思うと、無粋なことをしました。すみません。

社会保障を含めた生活保障を進めるために、宮本太郎教授

古くなりましたが、9月8日付の朝日新聞オピニオン欄、宮本太郎北海道大学教授の「社会保障、踏み出せぬ政治」から。

「社会保障と税の一体改革をうたった消費増税法が、民自公3党の合意を経て成立しました」との問いかけに対し。
・・社会保障改革の多くは、新設する国民会議の議論に先送りされました。一体改革とは名ばかりで、消費増税だけが決まったかたちです。菅内閣のもと、私が座長を務めた「社会保障改革に関する有識者検討会」は、2010年12月、一体改革の素案とも言うべき報告書を出し、財政再建と社会保障の機能強化は同時に進めなければ双方とも実現しない、と強調しました。そこから随分と離れてしまった印象です・・
・・自公連立だった福田内閣の「社会保障国民会議」や麻生内閣の「安心社会実現会議」の議論から、私たち「有識者検討会」の報告書まで、基調は同じです。もはや選択肢はそれほど多くないのです。ところが二大政党制のパラドックスで、政策が接近するほど、有権者へのアピールを狙って些細な違いや相手の能力をあげつらい、結局ほとんどが棚上げになりました。日本型の生活保障のかたちをバージョンアップするという方向で、一致できると思ったのですが・・
この項続く。

長期避難者の生活拠点検討協議会

今日、福島県郡山市で、長期避難者の生活拠点検討協議会を開きました。参加者の都合で、18:00~20:00という時間帯でした。土曜日の夜にお集まりいただき、ありがとうございます。
この会議は、県と復興庁が主催し、避難区域となった12市町村と、避難者をたくさん受け入れている県内の5市との会議です。当分帰還できない住民のために、住宅を建てます。その課題を検討する会です。資料を載せました。

借り上げ住宅は生活条件が良いのですが、仮設住宅は条件が悪いです。通常は2年で出て行くことを想定しています。しかし、原発事故では、5年以上帰ることができない地域もあります。
避難者の中には、(賠償金をもらって)自ら家を買って出ていく人のほかに、帰還できる日まで待つ人、しばらく待って考える人、もう帰らずに定住する人がいます。この人たちのために、住宅を建てます。
当然、住まいだけでなく、教育や病院、介護といったサービス、さらには働く場所も必要です。受け入れ自治体のまちづくり計画や都市計画などとの整合性を取る必要があります。「仮の町」とか「町外コミュニティ」と呼ばれていますが、受け入れ側の自治体にとっては、市内に突然「よその人の町」ができたら困ります。

今日の協議会は、受け入れ側の自治体に、住宅を作ることをお願いする会です。市長さんたちからは、避難者が閉鎖的にまとまって住むのではなく、地元住民と溶け込んで暮らすよう、分散型の住宅を作ってほしいとの要望が出ました。今後、個別の市ごとに、実務的な詰めを行います。
どこに、どれくらいの数の、どのような形の住宅を作るか。公共サービスはどう提供するかなどなど。検討課題はたくさんあります。「何人が、いつまで住むか」ということをとっても、予測が難しいのです。