日本はどこへ行くのか・その1

日本では、「失われた10年」、あるいは「失われた20年」といわれ、また最近では、GDPで中国に追い抜かれ世界3位になることが、大きく取り上げられています。いずれも、これから日本がどうなるのか、という心配です。かつての輝きを、どうしたら取り戻せるのか、という悩みでもあります。

戦後半世紀の成功、その後に来た停滞の20年。どうしてこうなったのか、何が変わったのか。国民の疑問は、そこにあると思います。
拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」は、日本国民、産業界、政治、行政は、この間に変わっていない。変わっていないから停滞した、と主張しました。
多くの人が、「改革」を叫びます。しかし、何のために何を変えるのか。そのためには、誰が何をしなければならないのか。そのコストは何か(痛みを伴わない改革はないでしょう)。それぞれに、あいまいなままです。
ここでは、これからの日本がどうなるのか、どこへ行くのか。改革論ではなく、少し掘り下げて、これからの日本を規定する要因を、考えたいと思います。要因は、大きく分けて3つです。「国民」「国際環境」「リーダー」です。
「国際環境」から、解説しましょう。
戦後の日本が驚異的な経済発展を遂げたことの要因に、国際環境が挙げられます。そこには、冷戦の下の平和が続いたこと、西側陣営=自由主義・資本主義世界に属したことなどもありますが、最も大きな要素は、欧米先進国をお手本に、キャッチアップしたことです。その視点で見ると、日本の成功は、明治維新以来の1世紀にわたります。
安い人件費でよりよい製品を作る。こうして、アメリカの繊維や鉄鋼業、ヨーロッパの時計、カメラ、電器製品メーカーをなぎ倒しました。
そして、この20年間、日本が停滞した大きな要因が、この「キャッチアップ型」の経済・社会・思想です。韓国、東南アジア、中国が、日本に遅れてキャッチアップに成功し始めました。すると、良い工業製品を安く作るという、日本の優位は失われました。
マラソンでいうなら、遅れてスタートした日本は、先頭を走っていた欧米集団を追いかけ、あっという間に追いつき、若い力で追い抜いたのです。後ろを振り返っても、追いついてくる国はありませんでした。ところが、1980年代に入り、アジアの国々が追いかけてきました。そして、さらに若い力で追いつき、追い抜きつつあるのです。これが、2000年代です。一時、「国際化」という言葉が流行りましたが、製造業においての国際化は、こういう帰結をもたらしました。
さて、この要因は、大きくは変わらないでしょう。また、避けることはできないでしょう。40年前に、日本は西欧の製造業を倒しました。40年遅れて、今度は日本の製造業が、アジアの国々に負けているのです。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と、あたかも日本が特別とも思える言説もありましたが、こういう長い時間で見ると、製造業において、日本人は優秀であっても、日本人だけが優秀なのではありません。
他方、欧米各国は、安価で大量生産する製造業からは、多くの分野で撤退しました。そして、違った分野で優位性を保ち、活力を持ち続けています。ここに、日本のお手本があります。(この項続く)

情報セキュリティ、便利さとリスク

パソコンとインターネットが便利になった反面、迷惑行為や犯罪も増えています。クレジットカードの番号を盗んだり、迷惑メールを大量に発信するようにされたり。便利さは、リスクを伴います。
私もかつて、USBメモリで感染したことがあります。迷惑メールは、毎日大量に送られてきます。これは、プロバイダなどが振り分けてくれるので、そんなに邪魔にはなっていません。もっとも、自宅のパソコンから送ったメールが、職場のパソコンで迷惑メールに振り分けられることがあります。なぜでしょうね。
総務省の広報誌が、「情報セキュリティ」を特集しています。「ボットウイルス」という言葉の意味を知りました。コンピュータを悪用することを目的に作られたプログラムで、インターネットを通じて、攻撃者が他人のコンピュータを外部から遠隔操作します。そして、迷惑メールの大量配信や特定サイトの攻撃等の迷惑行為、他人のコンピュータ内の情報を盗み出すスパイ活動をするのだそうです。知らないうちに「加害者」にされるのですね。操られる動作が、ロボット(Robot)に似ているところから、ボット(BOT)ウイルスと呼ばれるのだそうです。 無料のボットウイルス駆除ツールもあります。
また、内閣官房には、情報セキュリティセンターも作られています。

政治の課題・社会の対立の統合

行政や政治を考える時には、社会との関係を考えざるをえません。拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」は、日本社会の発展と行政の役割が、一つの視座でした。
これまでの行政は、日本社会の経済発展と行政サービス拡大という大きな課題に、良く答えました。そして、この大きな課題=唯一の課題を達成したが故に、次の課題を探しあぐねているというのが、拙著の問題意識でした。
諸外国が多民族問題や階級問題に悩んだことに比べ、日本では、社会内での分裂が、あまり問題にされませんでした。それは、日本では国民がこぞって、経済発展に打ち込んだからでしょう。経済格差はあったのですが、働けば豊かになるという信仰の下、総中流意識になって、亀裂になりませんでした。それ以外の問題もあったのですが、「豊かになろう」という大きな課題の前に、隠れてしまいました。もっとも、最近では、格差が大きな問題になっています。
しかし、それぞれの社会階層を基盤した政党があって、争うといったような「対立」にならなかったのです。現在の二大政党も、社会集団の対立を反映したものではないというのが、大方の意識でしょう。
ところで、竹沢尚一郎「社会とは何か」(2010年、中公新書)は、次のように書いています。
西欧では、これまで社会を分裂させる主な要因として、貧富の格差や階級対立意識があった。しかし、福祉国家の実現とともに、この課題は社会の背景に退いていき、代わって20世紀の後半以降、文化の違いを理由とした排除の問題が主要な課題として浮上してきた・・
ヨーロッパでは、移民やイスラームが、経済停滞の中で、問題になってきたようです。