ブラックマンデーの意味

19日の日経新聞は、「ブラックマンデーから20年」を特集していました。1987年10月19日、ニューヨーク株式市場が、これまで最大の2割も暴落しました。1929年の大恐慌の時(10月24日、ブラックサーズデイ)が13%の下落ですから、いかに大きかったかがわかります。しかし、アメリカ経済も世界経済も、この時は大恐慌に陥ることなく、復活します。
だから、ブラックマンデーそのものは、経済史に大きく扱われていないと思います。意味を持つのは、なぜ起きたか、そしてアメリカはそれにどう対処したかです。さらに重要なのは、その後、世界経済はどう変わったかです。
暴落の背景となった経済条件はありますが、犯人の一人は、コンピュータのプログラム取引=株価が下がると自動的に売りを出す仕組みでした。
1980年代に日本は、1人当たりGDPでアメリカを抜きます。財政と経常収支の大幅な赤字に悩んでいたアメリカは、市場の信認を取り戻すため、財政再建に取り組みます。それに成功したグリーンスパンFRB議長は、高い評価を得ました。
一方、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンとおごり、バブル経済に入ります。2万円台だった平均株価は、4万円近くまで上がりました。しかし、バブルが崩壊し、株価は8千円を割り込むところまで落ちました。もっとも、1991年にバブルが崩壊したのに、最安値をつけたのは2003年です。これが、失われた10年といわれるゆえんです。現在でも1万7千円前後です。そして、実物経済を含めて、勝者と敗者が逆転しました。
また、金融のグローバル化が進み、金融工学が進み、市場が政府を振り回すようになりと、いろんなことが進みました。経済学、経済財政策にとっても、進歩の20年だったのではないでしょうか。実態が大きく変化することで、学問と行政が後を追ったのです。
20年というのは、結構長い年月です。しかし、同時代を経験した私には、この間のことは、つい最近の出来事と感じられます。でも、学生にとっては、生まれた頃の話ですね。新聞を読んで勉強してください。