カテゴリー別アーカイブ: 再チャレンジ

行政-再チャレンジ

フランス流バカンスの取り方

5月21日の日経新聞、フロランス・ゴドフェルノーさん(フランスの出版社広報部長で駐日大使夫人)の発言から。
・・・もう5月下旬。私が広報部長を務める出版社では、みんな夏休みの取得予定を申告済みです。5月に入るとすぐにオフィスの壁に夏休みの日程表を貼りだし、希望日を全員が記入します。子どもがいる社員は学校の夏休みに合わせて7月や8月に3週間ほど休暇を取ることが多く、独身の人はその間を避け、6月に休む人もいます。早めに調整すれば、各自が長期間、休みを取っても夏の間オフィスが無人になることはありません・・・
・・・こうやってなんとか確保する8月の3週間の長期休み、私はひたすら「何もしない」ことに徹します・・・

原文をお読みください。

社会的孤立状態にある世帯

全国民生委員児童委員連合会が、「社会的孤立状態にある世帯への支援」を調査し、その結果を公表しています。「朝日新聞の記事」。
今日の大きな社会問題の一つが、社会的孤立です。近年顕著になった問題であり、明確な所管がなく、対処方法も確立していません。問題を抱えた家族が、どこに相談してよいかわからない。あなたがそのような状況になったら、そうでしょう。行政としては、それが一番の問題なのです。

今回の調査は、福祉の第一線で苦労しておられる民生委員さん、23万人に対する調査結果です。詳しくは、調査結果をお読みください。
民生委員の4人に1人が、社会的孤立の人に対応した経験があります。年齢は高齢者が多く、40歳台、50歳台も多いです。
認知症、近隣住民とのトラブル、外出が困難、うつ病、知的障害、引きこもり、ゴミ屋敷などのほかに、親の年金頼みで子が無職、働く意思や教育を受けようとする意思がない、アルコール依存症、不登校、家庭内暴力、高齢者虐待、児童虐待などもあります。
民生委員は、このようなケースを見つけたときは、しかるべき所につなぐのですが、これが難しいのです。対象者は様々な事情を抱え、かつ複数の原因があります。

かつての福祉は、生活保護が中心でした。経済的貧困などです。しかし、人とのつながりがうまくできないという、新しい型の困難が見えてきました。
経済的支援は手法としては比較的に簡単です。しかし、社会的孤立は他者との関係がうまくできないことで、支援者・支援組織との関係も難しいのです。「放っておいてくれ」と言われたらどうするか。「公権力は家庭に踏み込まない」という制約もあります。かつては、個人や家庭の問題だったのが、社会の問題になったのです。

私は、市町村役場に「包括的窓口」をつくる、国にも窓口になる専門部署をつくるべきだと考えています。まずは、そこがすべてを受け付けるのです。そこから、それぞれの専門部署につなぎます。
現状では、民生委員さんに、過重な負担をかけているように思えます。

私は今、大学の授業「公共政策論」で、これら「新しく生まれた社会の問題」を取り上げるところです。かつて、それを含め「社会のリスクの変化と行政の役割」として、連載をしました。一冊の本にまとめておけば良かったのですが、途中で東日本大震災対応に駆りだされ、連載も中断しました。今回は、再度考え方を整理する良い機会です。
このテーマは、私の行政論の柱の一つです。このホームページに「再チャレンジ」という分類があります。第一次安倍政権で、再チャレンジが主要政策になり、私が担当になりました。そこで、この新しい社会の問題、それに行政がどのように対応するかを考えることになりました。その際は、「再チャレンジ支援施策に見る行政の変化」月刊『地方財務』2007年8月号に、まとめておきました(もう10年も経つのですね)。

家庭内事件

読売新聞が、4月2日から「孤絶 家庭内事件」を連載しています。初日の記事には、子供の障害や病気に悩んだ親が、子供を手にかけてしまう殺人・心中事件が相次いでいることを紹介しています。
2010年からこれまでに起きた50件を分析したところ、加害者の7割が65歳以上です。子供(といっても成人、かなりの年齢です)の引きこもりや暴力に悩み、しかし周囲の支援を受けられず、介護疲れや将来を悲観して、親が子供を殺すのです。読んでいて、悲しくなります。そして、もし自分もそのような状況になったら、どうするか。
相談するところがない、どこに相談したらよいかわからないのです。
これまでは、各人の各家庭の問題だと片付けられていました。しかし、社会が考えなければならない新しいリスクです。行政による相談窓口をつくる必要があります。

官の役割、民の役割。「支援を必要としている人」への支援2

「ストレーター」という言葉を知っていますか。公式の定義はないようですが、高校を卒業し、大学や専門学校を出て就職し、その後も会社を辞めずに働き続ける人(3年以上)を呼ぶようです。
インターネットに載っている「高校生が100にんいるむら」では、中退、退職などする人を計算すると、「ストレーターは、100人のうち、44人。つまり実際の社会では、ストレーターではない人の方が多い」と述べています。3割以下だという計算もあるとのことです。
世間が想定している「単線的人生」は、半分もいないのです。もちろん、中退して就職する人や退職して転職する人もいますし、フリーターやアルバイトで頑張っている人もいます。
そして、ここでも指摘されているように、学校では、ストレーターを前提にしたキャリア教育が行われています。世間もそれを「常識」としています。すると、ストレーターではない56人は、「自分は標準ではないのだ」と思ってしまうこともあるでしょう。
人生は、これまでの教育や「世間の標準的目標」が想定していたような、順調で単線的なものではないこと。それが現実であり、それを前提とした教育や社会の仕組みをつくらなければなりません。

第一次安倍内閣で、私は再チャレンジを担当しました(残念ながら、政府のホームページからは資料が削除されているようです)。その際に、「支援を必要としている人」に対する行政の対応の欠如を実感しました。刑を終えて刑務所から出てきた人、フリーター、引きこもりの人たち。「落ちこぼれた人」はわかりやすい表現ですが、必ずしも適当でないので「支援を必要としている人」と呼びましょう。
行政はこのような人たちに対し、もっと支援をすべきです。その手始めとして、生活に関する相談についての「行政の窓口」をつくる必要があるのです。そして様々な活動をしている民間団体と連携をして、支援をするのです。
さらに、より大きな視野から、社会の変化が行政の基本に変化を迫っていることを、「行政の変化」として簡単な表にしました。ご覧ください。

官の役割、民の役割。「支援を必要としている人」への支援

先日(1月31日)書いた「官の役割、民の役割。養子縁組」の続きです。
明治以来日本の行政は、国家に有意な人材と健康で優秀な職業人を育てることを、主たる目的としてきました。そして、そこから漏れ落ちた人への対応は、十分とは言えなかったようです。
学校教育を考えてください。東大を頂点とした教育の一方で、高校を中退した若者には、ほぼ何の公的支援もありません。彼らが次に接触する行政窓口が、ハローワークと場合によっては警察では、さみしすぎますよね。挫折した場合のセイフティネットの教育も、十分ではありません。犯罪を犯した場合、誘いに乗って法を犯した場合、どのようにして応援をもらい、立ち直るかは、学校では教えてもらえないのです。「すべてよい子に育てる」という方針の下で、落ちこぼれは置いてきぼりになります。
拙著『新地方自治入門』p175で、スウェーデンの中学の教科書『あなた自身の社会』を紹介しました。そこでは、ちょっとしたいざこざで相手を傷つけ警察に逮捕された少年を例に、その後の手続きを説明しています。同棲や結婚とともに離婚や、失業や病気になった場合の支援も書かれています。
もちろん「よい子」に育てる必要はあります。しかし、みんながみんな優等生にならないのが、現実です。すると、落ちこぼれた場合のことを教えておく必要があるのです。
不本意な妊娠をした場合、それも未成年の場合はどう対処してよいかわからないでしょう。親に言ったら叱られる、どこに相談したらよいかわからないのです。他方で、子供に恵まれない夫婦は、どこに相談したら養子縁組ができるか。あなたは、知っていますか。