カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

地域とICT

遅くなりましたが、今川拓郎さんのインターネット・コラムを紹介します。日経新聞のサイトに載っている「官×学の政策回転ドア」で、8月7日号は「平均点は550満点中80点・地域のICT活用の打開策は何か」です。
・・実は、白書が強調したかったのはランキングではない。むしろ、ICT活用度は画一的に評価することは難しく、地域の実情に応じてICT活用のあり方が異なるということだ。・・条件不利地域(過疎、豪雪)や高齢化地域の市区町村では、平均的にはICTの活用は遅れているが、医療、福祉、地場産業・農業、観光、住民交流といった地域に密接な課題の解決にICT活用の比重が置かれていることが伺える。このような地域では、限られた政策資源のなかで、目的意識の高いICT活用に徹する必要があると考えられる。
・・重要なことは、地域におけるICT活用はそれ自体が独立したテーマではなく、医療・福祉・教育・防犯など、地域が抱える課題と直接結びついていることだ。ICTはあくまでツールであって、これを積極的に導入したとしても、地域の課題解決とリンクしていない限り無駄な投資に終わる。
・・ICT利用には、対面による接触を「代替」する側面と「補完」する側面の双方が存在する。出張する代わりにテレビ会議で用件を済ませるのは「代替」だが、面会のアポ取りで電子メールを送ったり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で知り合ってオフラインで会合を始めたりするのは「補完」である。・・お互いの距離が遠くなるほど移動費用が増し、対面による接触が減ってICTによる接触が増える。これが「代替」による効果である。一方、距離が近くなると移動費用が減り、対面による接触が増えてICTによる接触が減るが、近距離内ではICTによる接触も逆に増加に転じている。これが「補完」による効果である・・
今川さんも、総務省のお役人です。詳しくは、原文をお読みください。

難民鎖国・日本

22日の日経新聞経済教室、滝澤三郎・国連難民高等弁務官事務所駐日代表の「難民受け入れへの日本の対応」から。
・・難民保護には、難民を自国で受け入れて保護する直接的方法と、難民を大量に受け入れる発展途上国へ資金援助する間接的方法の二つがある。日本の難民政策の特徴は、間接的難民保護の比重が大きく、難民受け入れが制限的な点にある。
受け入れ数の少なさは、世界的に有名だ。日本は1978年から2006年にかけてインドシナ難民11千人を受け入れたが、1981年に加入した難民条約のもとでは、今日までに451人の難民を受け入れたにすぎない。このため毎年難民を数千人受け入れている欧米諸国をはじめとする世界には、日本が「難民鎖国」をしていると映り、人道問題に対する関心の薄さ、国際的な責任分担姿勢の欠如、日本の「鎖国性」の象徴と考えられてきた。これは日本のイメージを悪化させる高い「機会費用」といえよう・・

日本の売り込み

19日の朝日新聞に、アメリカの編集者であるステーリさんが、「日本の小説、海外に売り込む仕掛け必要。作品には世界に訴える力」を書いていました。日本の小説が英語に翻訳されて海外の書店に並ぶ機会は、とても少ないのだそうです。
・・日本の出版業界に欠けているのは、積極的なプロモーションだ。日本文学の英文情報を充実させ、海外の出版社に売り込めばいい。日本のアニメーションや漫画が欧米で受け入れられた結果、「日本の小説も若者に売れるのではないか」「村上春樹に続く大物を探そう」という考えが海外の出版社に潜在的にある。
・・ソニーやトヨタという工業製品に続き、和食や漫画が国際化した。次は日本文学の番だ。小説という日本の精神文化の世界に、海外の文学ファンを呼び込もうではないか・・
工業製品はモノであって、言葉がいらないから、性能で売れた。ポケモンは、暴力場面がないとともに、「ピカー」としか言わないから(日本語をしゃべらないから)海外で売れた、という説があります。もっとも、ピカチュウ以外の登場人物は、しゃべってますが。アニメや漫画は、絵とストーリーで理解でき、「深い言葉」がいらないので、日本語でも翻訳が簡単なのでしょう。
海外で闘わない「業界」に共通するのは、国内で一定の市場があり経営が成り立つこと、そしてそれに安住していることです。

ミスによる事故の原因究明

6日の朝日新聞「耕論」は、ヒューマンエラーの責任として、業務上の個人のミスと刑事罰について、3人の方の意見を載せていました。
柳田邦男さんは、高裁判決文の「初歩的なミス」「あってはならない誤り」を批判し、ミスに初歩的、専門的の区分はない、ヒューマンエラーを絶対許さないとの前提で安全対策を考えたら、そのシステムは崩壊すると述べておられます。「人間は間違える」ことを前提に、対策を考えるべきと主張しておられます。そして、現場の個人を厳罰に処しても、関係者が萎縮し、事故の背景や構造が分析されない、不利益なことを黙秘すると真相究明ができないことを指摘しておられます。
池田茂穂さんは、検察の限界を述べておられます。その際、「日本の行政はどちらかというと、消費者より製造者の側に立っている場合が多いように思う。国土交通省や航空・鉄道事故調査委員会は事実を解明すると言っているが、実際はこうしたさまざまな力学の中で真実が隠され、核心に迫れていないのではないだろうか」と指摘しています。
佐藤健宗さんは、刑事裁判ではできない事故調査を、第三者機関が行う必要を述べておられます。そして、アメリカに比べ、国交省の役人が調査官になるようでは、中立性に疑問が残ると述べておられます。
詳しくは、原文をお読みください。

車減少社会の到来

日経新聞が19日から、「縮むクルマ経済」を連載していました。主要先進国で初めて、日本の自動車保有台数が減り始めました。当然、予測されたことですが。少子高齢化に、若者の車離れ、ガソリン高が追い打ちをかけました。それは、自動車業界だけでなく、ロードサイド型の小売業・飲食店・娯楽産業に、モデルの転換を迫ります。これについては、連載を読んでください。
さらに、道路建設をはじめとする公共事業や、公共交通とまちづくりの哲学も、これまでの方向を変える必要があります。コンパクトシティーは、その一つの考えです。産業界は市場経済が淘汰してくれますが、公共事業やまちづくりは、政治と国民が考えを変えないと、方向転換できません。