11日に紹介した「みやぎ復興 官民連携フォーラム」に続き、11月20日に開催される「ふくしまプラクティス2020― 実践者が語る10年の経験とこれからの挑戦 ―」を紹介します。
趣旨は次の通り。
東日本大震災から10年間、福島では様々な活動が行われてきました。
活動の実践者たちは、課題に直面したとき、何を考えてきたのか。
これからも続く福島の復興、将来について今、何を想うのか。
語られる言葉から、現在の福島を知り、地域や日本を考えてみませんか。
11日に紹介した「みやぎ復興 官民連携フォーラム」に続き、11月20日に開催される「ふくしまプラクティス2020― 実践者が語る10年の経験とこれからの挑戦 ―」を紹介します。
趣旨は次の通り。
東日本大震災から10年間、福島では様々な活動が行われてきました。
活動の実践者たちは、課題に直面したとき、何を考えてきたのか。
これからも続く福島の復興、将来について今、何を想うのか。
語られる言葉から、現在の福島を知り、地域や日本を考えてみませんか。
11月11日、12日の朝日新聞に、大月規義・編集委員による「飯舘村長の選択」が載りました。
11日「除染にこだわるよりも」は、今年、住民が帰還する見込みのない地域で放射線量の低い地域について、除染をせず避難指示解除をする方針を決めたことについてです。
12日「村を取り戻すために」は、発災直後、全村避難をする際に、自ら近くの場所を探したこと、養護老人ホームは避難させなかったことなどです。
記事の視点は、国の方針をそのまま受け入れるのではなく、村と村民の立場を優先して、国にもの申したこと。そして国との調整によって、村の意向を実現したことです。その際には、国との交渉とともに、反対する村民や、意見が異なる周辺町村長もいます。
よい角度からの記事なのですが、2回連載では短かったです。菅野村長、飯舘村の10年については、さらに詳しい記事が書かれることを期待しています。
11月11日の読売新聞、大震災再生の歩みは「市街地再建 まち集約 山田を守る」でした。2011年3月12日、津波が木造家屋を壊し、その後出火した火で燃えている町の航空写真が載っています。そして、同じ角度で撮った最近の写真も載っています。
津波と大火ですべてがなくなった町。がれきを片付け、かさ上げをして、町を再建しました。9年の年月がかかりました。その変化を知っている者として、感慨無量のものがあります。この間、苦労された佐藤信逸町長も、同じ思いでしょう。
がれきを片付けて、何もなくなったときの写真が載っていると、よりその変化がわかったのですが。そのような写真は、復興庁のホームページで見ることができます。「発災直後から現在までの航空写真」
11月18日に「みやぎ復興 官民連携フォーラム~東日本大震災10年目の今、復興をきっかけに生まれた『連携』の姿とその将来像を考える~」が開催されます。詳しくは、案内をご覧ください。
趣旨は、次の通り。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災。
被災3県を中心とした復興に向けた取組の中で、多様な方が互いの強みや経験を活かして、地域の課題解決を目指す動きが生まれてきました。
現在までに取り組まれてきた活動の成果や、得られた教訓・ノウハウ、そして地域内外とのつながりは、 かけがえのないものとなっています。
そしてこれらは、日本全国の地域課題の解決、また今後起こりうる災害対応に活かすことができる資産であると考えています。
東日本大震災から10年目の節目にあたる今、 3県で開催するイベントを通じて皆さんとともに振り返り、東北そして日本の未来を考えていきたいです。
11月4日の日経新聞「挑戦者たち」に、「空き家で自分らしい生き方を 被災地と都市つなぐ」として、合同会社巻組代表の渡辺享子さんの記事が、1面を使って載っていました。
・・・宮城県石巻市。中心部から外れた砂利の駐車場の裏手に木造の平屋建てがある。築年数は推定70年。草が生い茂り、斜面の上にあるため通りかかっただけでは目につかない建物の中で、2人の職人がそれぞれ合板と洋裁による創作活動に打ち込む。
合同会社の巻組(石巻市)は、資産価値がほとんどなくなった空き家を改修し、住居やアトリエとして再生させる事業を手がける。収入が不安定だったり、活動場所に悩んだりしている芸術家や起業家に貸し出し、生活の足がかりを提供する。代表を務める渡辺享子(33)は「空き家を使って新しいライフスタイルをつくり出す」と語る・・・
既に35軒の家を改修し、100人以上に貸し出したそうです。このような発想があるのですね。