「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

二大政党制より二大陣営対立へ

1994年の選挙制度改革で、二大政党制と政権交代を目指しました。2009年の自公連立政権から民主党への政権交代で、それは実現したかに見えました。しかし、民主党の下野とその後の分裂で、当面は実現しそうにありません。それどころか、多党化がさらに進みました。比例代表制は多党化を容易にするのですが、小選挙区制は政党数を減らすはずでした。

自民党は議席を減らし「負けた」と言われるのですが、野党第一党も議席を増やして政権を取ったわけではありません。その点では「勝って」いないのです。では、どの党が勝ったのか。勝者はいません。
二大政党または政党数が少ないと、選挙結果で政権党が決まります。しかし、国会に議席を持つ政党の数が増えると、国会での意見集約と政権奪取が課題になります。衆議院で多数を得ないと、首相を任命できません。小選挙区制は選挙で政権党を選ぶ方法であり、比例選挙制は国会で政権党を選ぶ方法です。

次に考えられるのが、たくさんの党が、いくつかの陣営まとまることです。政権を目指すために、主要な政策について協定を結び、首相指名投票に臨みます。多くの党が二つの陣営にまとまれば、二大政党制に近くなります。有権者も、これで政権選択ができます。

ところが、少数政党の多くが政権を目指さないとなると、やっかいなことになります。自らの考えを主張するだけで、他党と妥協や協力をしないのです。有権者に向けて、そして次の選挙に向けて、このような行動もあり得ます。他党との妥協は、支持者から「不純だ」と批判されることもあります。
通常は、政党は政権を取って政策を実現することを目指すと考えられます。そのために政策の束を示します。しかし、政権に入らないで政策を実現する立場を取ると、全体を考えない選択もできます。歳出増加の政策を要求しながら、財源については黙っているといった「いいとこ取り」も起きます。ここには、「責任」という概念が忘れられています。そして、国民は政権選択ができなくなります。

政治とは、異なる意見の妥協でもあります。「いいとこ取り」では、政治は成り立たないのです。政党の政策は、ひとかたまり(パッケージ)で意味があります。バラマキを主張するなら、その財源も書かないと、国民は信用しません。外国人排斥を主張しながら、労働現場では外国人に頼っているようでは、一貫性はありません。

安保法制から10年

9月19日の朝日新聞オピニオン欄は「安保法制、10年たった世界」でした。
・・・集団的自衛権の行使を一部容認し、戦後日本の安全保障政策の大転換となった安全保障関連法(安保法制)の成立から19日で10年。「立憲主義に反する」との批判が続く一方で、安保法制以降、自衛隊の活動は拡大している。いまこの法制をどう評価するのか、識者に聞く・・・

佐々江賢一郎さんの「日米軸に、真の全方位外交への礎」から。
――安保法制の推進派はなぜ法整備が必要だと考えたのですか。
「このままで安全保障環境の変化に対応できるのかという問題意識だと思います。議論の核心は、日本は集団的自衛権の行使が認められるのかという憲法論です。国連憲章で認められているのに、日本独特の憲法的制約があって、軍事力への性悪説に立つ安保観が長く続いてきたのです」
「正論を言うなら、憲法9条の改正で対応すべきでしょう。でも憲法を変えようとすると、イデオロギーや感情的な対立があって、とても難しい状況が政治的に控えている。それによって現実的な対応が遅れることへの危惧もあり、安倍政権は憲法解釈を変更して安保法制を進めました。非常に大きな、勇気ある決定だったと思います」

――妥協の産物だとしても、現実的だと。
「そういうことです。米国に依存するだけでなく、日本も自ら努力し、互いに助け合い、協力していく。集団的自衛権をどう考えるかは安全保障問題への成熟度の一つの指標でした。国際情勢が急速に厳しくなるなかで、解釈変更による法整備はやむを得ざる知恵だったと思っています」

――情勢の変化とは。
「冷戦期の日本にとって最大の脅威は、旧ソ連でした。冷戦後は北朝鮮が核・ミサイル開発を進めた。さらに中国が大国化し、経済発展とともに軍拡を進め、周辺に威圧的な態度を取り始めた。これらの脅威に対する備えが日本にあるのかという問題です」
「ここに来て、ロシアの復活と野心、北朝鮮の脅威の増大、中国の軍事大国化の三つが重なっています。中国との戦争はあってはならないことですが、同時にその誘因を与えない努力は必要です。日本は力の弱い国だとみなされれば、さまざまな対応が難しくなる。日米韓や日米豪印(クアッド)などの地域の枠組みの構築を進めてきましたが、安全保障上の緩やかな連携と言うべきものです」

――ただ、安保法成立から10年が過ぎても、日本がより平和になったようには感じられません。
「それは世界の力学が変わったからです。米国が築いてきた国際秩序を米国が壊そうとしている今、日本は米国との同盟の上に真の意味での全方位外交を進めるべきでしょう。欧州やグローバルサウス(新興・途上国)との関係強化はもとより、中国、ロシア、北朝鮮を過度に敵視せず、力の均衡を図る自主的な努力が重要です。備えを進めながら友好的に話をしなければなりません」

――自身の外交官経験とは違う世界ですか。
「全く違う世界ですよ。これからは、より混沌(こんとん)とした合従連衡のパワーゲームの時代に入るでしょう。だからこそ、トランプ米大統領の動きに振り回されない『ビヨンド・トランプ』の発想が大事になります」

――どういう意味でしょう。
「トランプ氏の存在を超えて、米国の役割を再認識し、そのうえに秩序を形成していく。実際に今、米国を凌駕する力を持つ国はありません。経済、軍事、世界への影響力も、相対的に劣化はしたが基本的には変わっていない。だとすれば、日米関係を基軸としながら、各国に幅広く連携を広げていくべきです」

――こうした連携に安保法制が役に立つと。
「役に立っているし、政府の関係者や安全保障の専門家らが想定していたことです。これを後ろ向きに戻すようなことは、日本の力をそぐことになります」

――日本の平和主義は変わっていきますか。
「航海図のない世界に入りつつあり、国と国との関係は理想論だけでは対応できません。でも一人ひとりの個人が平和を願う気持ちは、やはり大切でしょう。騒々しくなる世の中で日本は極端な方向に進まないことです。平和への希望を失わず、かたや現実的な力を失わず、両方組み合わせて進むことが重要なのです」

経済対策の多義性?

自民党総裁選が告示され、候補者が政策を訴えています。特に目立つのが、「経済対策」です。
・・・自民党総裁選挙は、立候補した5人が記者会見に臨み、いずれも物価高に対応するため速やかな経済対策の策定が必要だという認識を示し、具体策をめぐって主張を展開しました・・・NHK「自民総裁選 5人が共同会見 いずれも“経済対策の策定が必要”

ところで、かつては経済対策と言えば、景気の落ち込みに対し需要を拡大して景気回復を目指す政策(景気変動対策)でした。ところが、今回話題になっているのは、景気は回復しつつあるのですが、物価が上昇しているのでその対策を打つということのようです。物価上昇が急激なときには、景気を冷やす対策(景気引き締め)が打たれました。しかし、今回はそうではありません。物価の上昇に比べ賃金の上昇が低いので、生活に苦しい貧困層に対して対策を打つことのようです。それは福祉政策であって、経済産業省の所管ではないと思われます。

これって、経済対策なのでしょうか。経済に働きかけるのが経済対策で、経済の結果に手当するのは経済対策とは言わないでしょう。経済学の教科書に出てくるのでしょうか。専門家の意見を聞きたいところです。
このホームページでは、先日、経済対策と産業政策の違いを提起しました。「経済対策と産業政策の違い」「経済対策と産業政策の違い2

イギリス民営化、規制が不十分だった

8月20日の日経新聞には「クラーク元英産業戦略相「民営化、規制不十分だった」 放任は否定」も載っていました。先日書いた「イギリス、民営化政策転換」の続きになります。

・・・英国ではサッチャー政権時代に進めた民営化から転換し、産業政策で政府の関与を強めつつある。保守党のグレッグ・クラーク元ビジネス・エネルギー・産業戦略相は日本経済新聞の取材に「様々な方法で産業育成に取り組んだ。完全な自由放任主義ではなかった」と述べた。民営化後の企業に対する規制は不十分だったと指摘した。

――保守党のサッチャー政権が1980年代に進めた民営化の弊害が目立ちます。何が間違っていたのでしょうか。
「忘れられがちだが、民営化以前のインフラ部門は政府の財政制約で設備投資が抑制されていた。民営化で変革がもたらされた。ただ、インフラは独占企業が担うことになる。規制の面で、消費者の利益を擁護する運営が必ずされるとは言いがたかった」
「初期の規制モデルはナイーブだった。企業は規制当局を説得し、楽な条件で事業を進めようとした。民営化自体が間違っていたとは思わないが、規制には誤りがあった」・・・

自民党と官僚の協働の揺らぎ

8月18日の日経新聞経済教室、五百旗頭薫・東京大学教授の「政官の知恵を生かす体制とは」から。

・・・1990年代に自民党は下野し、一連の政治改革が行われた。小選挙区を中心とする選挙制度を衆議院に導入して政権交代の可能性が高まり、また首相・官房長官と官邸官僚のチームによる官邸主導でトップダウンの統治が可能となった。
だがこれまでのところ、自民党または自民党を中心とする政権が長く続いている。選挙制度の影響で野党が分裂しやすいことに加え、自民党の党内ガバナンスが野党よりも相対的に強固で、首相の性格と状況に応じて「与党事前審査制型」と「官邸主導型」の2種類の政官ミックスを使い分けられるからでもある。これを戦前とは形を変えた一国二制度と考えれば、その慣性は実に強いといえる。

ところが今、一国二制度の脈動が停止し、凍りついたかのような感覚がある。一国二制度の前提が揺らいでいるからではないか。
第1に、エリート間の信頼が弱体化している。既成エリートを激しく批判する新しい政党が台頭し、自公は衆参両院で少数与党に転落した。第2に、官僚の統治能力の優位が縮小した。予算と人手が削られ疲弊している上に、急拡大中のデジタル経済ではプラットフォーム企業の持つデータとノウハウにかなわない。
第3に、文明化の内実が変容している。インターネットで情報が大量に生産・拡散され、私たちの深く理解して覚える努力と確実な典拠で確認する意欲とを圧倒しがちだ。文明の理性的側面が空洞化しつつある。

第1の変化に対しては、正確な将来見通しをもとに、世代間で公平な負担を求めることでエリートへの信頼を回復すべきである。
第2の変化に対しては、官邸への忖度と国会対応から官僚を極力解放して中立性を高め、官民人事交流による民間の人材・知識の吸収を促すべきである。既存メディアがこれらの動向を冷静に論評・報道することが、第3の問題への対応となろう。

いずれも即効性はなく、ポピュリズムが一度勝利する時が来るかもしれない。ただ私は、一国二制度がまた本能的に脈打ち始める時も来ると思っている。その時に向けて、ポピュリズムに不安を抱く国民の受け皿として、先述した3つの柱を備えた政治社会を用意しておいたほうが心臓によかろう・・・