「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

日本政治で「第三極」に見えるもの

2月13日の朝日新聞オピニオン欄は「「第三極」って?」で、砂原庸介教授の「政党の対立軸、なお不明確」が載っていました。

・・・いまの日本政治で「第三極」に見えるものは、議院内閣制のどの国でも起こりうる、過半数を得た政党がない「ハングパーラメント」と呼ばれる状態です。小選挙区制であっても、2大政党に集約されるのは、非常に限定された条件でしか起きないのです。
衆院で比較第4党の国民民主党が「第三極」とされますが、こういう政党が力をもつのは珍しくありません。議席数の関係と、政策的に自民党に近いのでピボタル(かなめ)政党になりやすい。その位置取りと、対立軸を作るような「極」は少し違う気がします・・・

・・・どちらに転ぶかわからない状態というのは、有権者の政党や政治に対する期待が「制度化」されていないことを意味します。政治のあり方が、政党などの組織ではなく、政治家個人というアクターに依存する状態になっている。これはいいことではないと思います。
いまの日本では、政党の対立軸が明確ではありません。安全保障政策などの伝統的な左か右かの対立軸はありますが、それ以外の対立軸が何なのか、社会的な合意がない。だから、「第三極」といっても、政策的にどう位置づけられるのかがはっきりしない。
求心力を持つ「極」が生まれる背景には、複数の政策の対立軸があると思いますが、日本ではそうでもない。社会が多様化しているのなら、政策や政党も多様化しそうですが、必ずしもそうはなっていません・・・

ただし、この記事は「3」についての議論で、国際的な第3極、二元論と三元論の違いと並べてあります。それぞれに興味深いのですが、焦点が絞りにくくなっているようです。

世界でも珍しい日本の国会

1月22日の朝日新聞オピニオン欄、野中尚人・学習院大学教授の「日本の国会、変われるか」から。

―日本の国会審議は、国際標準とは異なるのですか。
「1955年の保守合同で自民党や55年体制ができて以来、日本の予算案や法案は基本的に政府が与党の事前審査を受けて提出してきました。特に与党議員には賛否を縛る党議拘束もあり、いったん国会に提出するとめったに修正されず、審議が尽くされていなくても半ば自動的に可決されてきました。そうした自国の国会のあり方については知っていても、それが世界の民主主義国と比べてどうなのかは、国会議員や官僚もあまり知らないのではないでしょうか」
「たとえば、国会の本会議は日本では年60時間ぐらいしか開かれませんが、欧州諸国の議会では年1000~1200時間が標準です」

――日本の20倍とは……。
「ほら、そう感じるあなたも、日本の政治にどっぷり漬かってマヒしているんですよ。欧州だけでなく、台湾や韓国などどこに行っても、日本の国会本会議は年60時間だと言うと『それで議会と議員が役割を果たせているのか』と驚かれます」
「国際標準では、議員全員が参加できる本会議での全体討論が重要です。まず本会議で大きな枠組みを討論した上で、委員会で論点整理して議論を精緻にした後、また本会議に戻って十分に全体討論してから採決します。つまり、日本のように委員会に事実上任せるのではなく、全員が意見を言える本会議で全体討論する機会を確保するのが当たり前なんです。委員会はもちろん大変重要ですが、あくまで下準備なんですよ」
「だから審議時間は、重要法案を委員会で30時間やったら、大体そのあと本会議で50時間ぐらいやる感じです。ドイツでは委員会審議が重視されており、ほかの欧州諸国より本会議は短いですが、それでも年600時間と日本の10倍です」

―それだけ時間をかけて議論するということは、予算案が国会で修正されることも海外では当たり前なのですか。日本では28年ぶりでしたが。
「充実した議会審議の仕組みがある場合、政府提出の予算案が全く無傷で通るなんていうことは、ほとんどありません」
「ドイツでは、年によって増減はありますが、予算額全体の5%ぐらいが議決を経て修正されます。英国は、実は政府の主導権が極端に強い例外なのですが、それでも近年は議会の与党から注文がつけば、それに応じて政府が修正するパターンが増えています。欧州だけでなく、かつては政治制度上も日本の影響が強かった同じ東アジアの台湾や韓国でも、国際標準的な予算審議が行われています」

――具体的に、どのように予算案は審議されるのでしょう。
「まず議員への説明は、我が国のように与党の事前審査が先行するのではなく、議会プロセスに入ってから、与野党合同で行われることが多いです。当然、質問や意見交換がありますが、その後が重要です」
「どういう項目にどういう修正を要求するか、個々の会派や議員レベルで、項目ごとに修正案をつくります。昨年、調査に訪れた台湾で聞いたら、毎年700項目ぐらいの予算の項目のうち、相当な数のものについて修正要求が出てくるとのことでした。『これは絶対ダメだから削れ』とか、『この項目は実態を説明するレポートが出るまで凍結だ』といった具合です」
「本会議(台湾)か予算委員会(韓国)で最初に予算全体を議論した後、それぞれの常任委員会で各分野の予算を項目ごとに議論しているわけです。たとえば農林水産予算は、農林水産委員会で『この項目については、こういう修正要求が出ていますが、ほかに意見のある方はいませんか』などと、議会を挙げて1カ月ぐらいかけて項目ごとに議論し、そして項目ごとに議決していきます。もめる場合には『党団協商』(台湾)や予算委員会(韓国)で調整し、最後は本会議で討論のうえ、最終的に投票で決着をつけます」
「台湾の党団協商も与野党間の交渉のチャンネルですが、議会の公式の制度であり、いわば『表』のプロセスです。大事なことは、具体的な予算項目について公の場で議論をして、誰がどんな意見を出して予算案がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかが、公的な記録に残るということです」
「どの議会も、予算案は3カ月ぐらいかけてしっかり審議しています。それから考えると、日本の国会は本当に予算審議をしているといえるでしょうか」

―国会の本来の役割とは。
「国会の本質的な特徴とは、議論をした上で、社会の全構成員を拘束するルール、つまり法をつくれることです。話し合いをする組織自体はほかにもたくさんありますが、それらとは根本的に違うのが、まずそのことです」
「もう一つ、そのために意見や立場の異なる人が公開の場で討論をすることが、私は決定的に重要だと考えています。ところが日本の国会は55年体制が成立して以降、与野党による討論が実質的に行われていません。野党が政府を監視する、という重要な機能を果たしてきたことは忘れてはいけませんが、与野党の討論や熟議の場としては、役割を果たしていないと思います。これらは法律ではなく、戦後の55年体制の中で与野党でつくってきた、政治的慣習によるものです」
「日本の戦後を考えたとき、私は、自民党が与党であり続けてきた国会が本来果たすべき仕事をしてこなかったのに、民間・国民の努力と創意工夫で経済発展を遂げ、豊かさを蓄えてこられたのだと思っています。与党は公共事業や補助金の配分をコントロールすることが権力の源泉とされ、右肩上がりの時代には、それがうまく機能した面もあったでしょう。しかし、この20年以上、その蓄えを様々な分野で食いつぶしているのではないでしょうか。そして与党の政治家は、何か都合が悪くなったり批判を受けたりすると、官僚を悪者にする傾向を強めてきました」

旧態依然、日本の政治カレンダー

1月10日の日経新聞夕刊に「旧態依然、日本の政治カレンダー」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして。一部を紹介します。

・・・政府・与党は臨時国会をこなしながら12月に翌年度の予算案と税制改正大綱を決め1年が終わる。年後半のカレンダーも時代の要請に合っているのか検証の余地がある。
典型は税制改正だ。伝統的に議論を主導してきた自民党税制調査会は12月の大綱の決定に向けて10月ごろから稼働する。10〜12月にしか動かないのは党税調の権威付けとの見方があるものの、いわば季節労働で機動性を欠く。
その年に先送りされた税制項目は事実上、1年間塩漬けになる。23年の骨太の方針に明記した労働移動の円滑化に向けた退職金課税の見直しは2年連続で結論を持ち越した。旧来の終身雇用を前提とした税制が改善されない。
各国は適切なタイミングをみて柔軟に税制を変更する。例えば、シンガポール政府は不動産価格を調整するため、住宅不動産を購入する際の「追加印紙税」を変動させており、23年4月は深夜に発表し、翌日から施行した・・・

増山幹高・政策研究大学院大教授(政治学)に日本の政治サイクルの課題を聞いた。
・・・通常国会の会期を150日に定めているのは悪いことではない。一定期間で会期を終えた後、行政機関を国会審議に縛り付けることなく、国会議員は外交や他の活動に注力できる。通年国会にすべきだとの意見もあるが、会期を定めない国でも年中国会を開いているわけではない。

問題は国会を開いている期間をどう活用するかだ。これまでの国会は野党が与党の揚げ足をとることに注力していた。時間を浪費させることにエネルギーを使っていたといってもいい。
野党が与党に対峙し、どちらの政策がよいかを競う論戦になれば、おのずと議会のあり方は変わってくる。

党首討論のさらなる活用を提案したい。野党は一方的に質問できる予算委員会を選びがちだ。むしろ与野党の取り決めで党首討論の開催を制限している慣行を本来の規則通りに改めるべきだ。
予算委員会で予算と関連ない質疑を繰り返しているよりは、規則に沿って党首討論を開催して討論回数を増やすべきだ。少数野党に5分だけの討論時間を与えても十分な質疑にならない。会期中に党首討論を10回やるなら、その1回分を共産党にあてるなどの措置をとればいい。
石破茂首相は熟議の国会を訴える。日程闘争から距離を置くのが一番いい。少数与党の現状にあって、野党が責任政党に脱皮できる好機だ。予算審議の回数や採決日をあらかじめ決められれば、日本の国会歳時記は大きく変わるはずだ・・・

大局観失う報道機関2

1月14日の朝日新聞ウエッブ、砂原庸介・神戸大学教授の「「正しいこと」が難しい、大局観失うメディア 選挙で一喜一憂しない」の続きです。

―最近の政治や選挙に民主主義の危機を感じることは?

もちろん、あります。
民主主義の基盤として「他者への信頼」のようなものが重要です。他者への信頼を損なうかたちで意思決定が行われていくと、長い目でみれば民主主義を壊す可能性がある。
斎藤氏を支持したとされる立花孝志氏の手法にはその危険性があると思うし、選挙の勝者である知事がその関係についてあいまいなままにしておく判断が望ましいようには思えません。
でも、選挙だけが信頼を壊す原因ではない。マスメディアがやってきたことも含め、社会の基盤が徐々に損なわれていって、それを再構築するのが難しくなっていると感じます。

―「正しいことをする」が難しくなっている?

他の国と比べると、日本社会で少なくとも、ひとりひとりが自分の持ち場で「Right thing」を行おうとすることは、私はまだ維持されているように思います。
でも、他人の正しい行動にただ乗りするような行動が目立つようになると、「正しいことをすると損する」というように思う感覚が強まりかねない。それは望ましいことではありません。みんながそれなりに正しいことをしていることを前提に、自分だけ好きなことをしてメリットを得る人が目立つと、前提の方が揺らいでしまう。
「Do the right thing」は、一般の人よりも、責任と一定の権限を持っている人や集団ほど重要で、なぜそれが正しいのか、説明する責任があります。
その説明は、「唯一の正解」でなくても良いはずです。それぞれが正しいと考えていることを行ったり、説明したりしたうえで、定期的に社会として正しいとされることが行われているかを検証する。その機会が選挙であったり、メディアの相互検証だったりするのです。

難しくなっていると感じるのは、インターネットなどで主張が「言いっぱなし」になる、つまり適切な検証が行われなかったり、検証されてもそれが広く共有されなかったりしやすくなっていることがあります。
同時に、ひとたび検証が必要だとなると、「唯一の正解」が出るまで延々と説明を求めることも問題だと思います。実際そんなものがあるわけではないので、なるべく説明をしないでやり過ごそうと考える人も出てきます。
「正しいこと」には一定の幅があって、人によって異なる判断はありうるわけですが、そういうあいまいさを含む「正しさ」を維持するのが難しくなってきたように感じます。それが、民主主義の基盤を損なうことにつながっているのではないでしょうか。

――選挙結果を報道したり、分析したり、それをどうそれぞれが受け止めるのか。必要なこととは?

メディアの人もそうですが、一部の人が政治を好きすぎる、つまり政治に期待しすぎているのではないでしょうか。もちろん政治は人々の期待に応えて動くべきですが、それは誰か特定の個人の期待に応えるということにはなりにくい。
民主主義は、みなで決めることなので、少しずつしか変わっていかない。なので、一喜一憂するスタンスは、私は良くないと考えています。
トランプ次期米大統領が再選を果たした時、絶望的だと悲嘆する人も少なくなかったようですが、自分が投票した候補が負けたことで全てを失うわけではない。そんな熱量だと、報道のボルテージも上がる。変な盛り上がり方もする。
ポピュリズムの脅威を甘くみるのは良くない、という考え方は分からなくもない。ですが、自分と異なる投票行動を持った人たちはみな一枚岩ではないことを前提に冷静に結果を受け取る。そして日常では、それぞれが「Do the right thing」を心のどこかに留めることが大切なのではないでしょうか。
メディアは、SNS社会を背景とした分断がある時代だからこそ、期間中と結果で盛り上げるばかりではなく、普段からの政治報道こそ、きちんと考えるべきだと思いますし、個人的にはそれに期待したいです。

臣民、顧客、市民

政府と国民の関係を表す際に「被治者、利用者、統治者」と分類して考えるとわかりやすいです。
1 被治者(臣民)は、民主主義でない政府があり(専政政治など)、国民は被治者の立場にあります。
2 利用者(顧客)は、民主政治はできているのですが、国民が十分に政治に参加せず、政府活動の利用者または消費者の立場にあります。
3 統治者(市民)は、国民が主権者としての役割を果たします。

1と2では、政府は「彼ら」であり、3では、政府は「われわれ」です。1と2では、税金は取られるものであり、3では、税金はわれわれにサービスが還元される原資です。