カテゴリーアーカイブ:著作

『地方公務員月報』3月号に寄稿しました

2026年4月3日   岡本全勝

地方公務員月報』3月号に、拙稿「働き方が変える「この国のかたち」」が載りました。この雑誌は、総務省公務員部公務員課が編集していています。省庁が関与している出版物としては珍しいでしょう。

時事通信社の専門誌『地方行政』に、「公共を創るー新たな行政の役割」を連載しています。私の問題意識は、私が採用された頃「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本経済がこの30年の間に地位を落としたこと、また世界一とも評された官僚組織の評価が低下したことです。
なぜ、そうなったか。それは、日本の経済や暮らしが大きく変化したのに、社会の仕組みと国民の意識が追いついていないこと、そして何より官僚と行政がそれに先回りして対処できていないということです。経済発展期にできあがった社会の仕組みが、成熟社会になった現在の日本には適合しなくなり、「この国のかたち」を、成熟期のものに転換している途中なのです。
その象徴的な場面が、働き方です。そこで、私が国家公務員になってから約半世紀、働き方がどのように変わったかを、体験に基づいて整理してみました。職員研修で述べていることなども、盛り込みました。若い人が読むと、理解できなかったり、笑うかもしれません。

見出し(目次)を並べておきます。
長時間労働を自慢した。偏った生活。「男女共同参画」がやってきた。少子化の原因。不満な従業員。職場管理をしてこなかった。人事政策がなかった。管理職を育ててこなかった。管理職は別に育てる。日本的雇用慣行の終わり。やる気と努力が責任と処遇に反映される仕組みへ。

この間の変化とともに、人事政策関係者に苦言を呈しました。拙著『明るい公務員講座』3部作が、結構売れています。それはうれしいのですが、そもそも人事の専門家でない私が書いた本が売れること、そして人事課にそのような本を書く人がいないことが問題なのでしょう。また、管理職研修の講師に呼ばれることが増えたのですが、主催者が一様に言う悩みは、「管理職研修の定番がない。講師もいない」です。

地方公務員の環境の変化と在り方に関しては、過去に次のような文章も書きました。今回はそれらの総集編でもあります。
「不思議な公務員の世界ーガラパゴスゾウガメは生き残れるか」『地方自治』2008年5月号(ぎょうせい)
「安心国家での地方公務員の役割」『地方公務員月報』2011年4月号(総務省自治行政局公務員課)

連載「公共を創る」第254回

2026年4月2日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第254回「これまでの議論ー大震災の復興から見えた論点と方向性」が発行されました。今回から、「第5章 社会は創るもの」に入ります。

2019年4月から250回あまり続けてきたこの連載ですが、一通りのことを述べたので、いよいよまとめに入ります。連載の表題は「公共を創るー新たな行政の役割」です。その趣旨を第1回で書きました。
・・・なぜ今、公共を考えるのか。
それは、これからの行政を考えるには、これまでの行政の範囲を超えて、より広い視野で捉えなければならないからです。
日本の行政は、豊かさという目標を達成しました。他方で、私たちの暮らしとそれを支えている社会が、大きく変化しています。住みよい社会をつくるには、広く公共を考え、その中での行政が果たすべき役割を考える必要があるのです。
そこで、公共とは何か、どのように変化しているか、そしてこれからどのように変えていくべきか。それを考えたいのです・・・
この7年間、社会ではいろいろなことが起こり、私も書いているうちにいろいろなことに気付きましたが、この問題意識は改める必要はなさそうです。

連載は、「第1章 大震災の復興で考えたこと」から始めました。それは、東日本大震災の復興で私が体験し考えたことが、公共の変化を考える出発点だったからです。
それまでの災害では、政府や地方自治体の役割は、避難者の生活支援や仮設住宅の提供などをする(応急対策)ほかには、公共インフラや公共施設を復旧すること(災害復旧)でした。住宅の再建や事業の再開は、個人の責任でした。ところが、東日本大震災では、公共インフラなどを復旧しても、まちのにぎわいは戻りませんでした。
一つには、人々の暮らしには、商業などのサービス提供と、働く場が必要だということです。それらは民間の役割と考えられてきたのですが、過疎と高齢化の進んだ地域では、政府が支援しなければ再開されませんでした。もう一つは、人と人とのつながりの重要性です。家族をなくした人、ご近所付き合いが絶たれた暮らしは、孤独と孤立を生みました。それを防ぎ緩和するために、政府は乗り出しました。
これらは、従来の公私二元論、すなわち、政府(公)は(国力増進のための産業振興や社会の安全と安定のための規制を除き)民間企業の活動(私)には介入しない、政府は(紛争が起きた際の解決のための民事裁判を除き)個人の生活(私)に関与しないという原則では、整理しきれない活動でした。しかし、現実に問題が起こっており、誰かが対処しなければなりません。住民や非営利団体(NPO)の声にも押されて、少しずつ原則を破って仕事を広げていきました。

「第2章 暮らしを支える社会の要素」では、第1章での議論を踏まえて、従来の社会の見方を変えることを提案しました。その見方を変える一つは、公私二元論から官共業三元論への転換です。私は、大震災からの復興での経験で、NPOやコミュニティーなど非営利活動の存在と重要性に気がつきました。また公私二元論は、個人は自立し、互いに対等な関係に立つという前提で、いくつもの「弱者」を隠していました。

連載「公共を創る」目次11

2026年3月27日   岡本全勝

目次10」から続く。「全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

第5章 社会は創るもの
1 これまでの議論
4月2日 254これまでの議論ー大震災の復興から見えた論点と方向性
4月9日 255これまでの議論ー成熟社会に対応した見方への転換
4月16日 256これまでの議論ー社会・経済システムの大転換を成し遂げるには
5月7日 257これまでの議論ー
5月14日 258これまでの議論ー
5月21日 259これまでの議論ー
6月11日 260これまでの議論ー
6月18日 261
6月25日 262
7月2日 263
7月9日 263
7月16日 265

連載「公共を創る」第253回

2026年3月26日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第253回「政府の役割の再定義ー官僚に仕事をさせるために」が発行されました。
社会の未来に関する議論に関して、官僚の発言が少なくなっていることを述べています。各分野の政策に一番通じているのは各省の官僚です。得られた知識や考察をもとに、意見を世に問うてほしいものです。

その際にお願いしたいことは、ぜひ、個人の名前で公表してほしいのです。その分野で長く、あるいは広く仕事をしてきた官僚の個人の意見は、決して無用なものではありませんし、多くの場合、今後の議論に役に立つであろうと思われます。発表することによって、やがて私見が組織の公的な見解になることもあるかもしれません。また、組織の政策にならなかったことも重要なのです。「この政策を決めるにはこのような背景があった」「このような案もあるが、採用されたのは別案である」「このような問題があるが、対応は将来に持ち越されている」といったことを書くことは、意義があると思います。他方で、こんなことを匿名で書いたのでは、無責任な「怪文書」になる恐れがあります。

官僚の発言が減ったもう一つの理由は、社会に新しく生まれてくる問題がこれまでの所管にすっきりとは収まらず、各省組織の中に拾いあげにくいことも考えられます。各省各局の分担管理に収まらない新しい課題を、どのように官僚機構が取り上げるのかが大きな問題です。そのためには、個別バラバラに見える諸課題を統一的な視点から位置づけ、総合的に対策を考え、実行する仕組みをつくることが必要なのです。
地方自治体には企画部や企画課がありますが、国では各省や各局にそのような組織はあっても、内閣にはありませんでした。内閣官房があり、内閣の重要政策に関する企画、立案、総合調整を所管しています。しかし、特定案件についての各省間の調整にとどまっているようです。
根本に戻ると、将来の日本を考え政策を考えることに関して、官僚の発言が減ったことの大きな理由は、目標と役割の再設定に遅れているからです。

官僚機構を再び活性化し、活用するためには、新たな官僚論が必要です。ところが、このような議論が本格的になされているようには見えないのです。公務員制度改革も取り組まれましたが、重要なのは、成熟社会における行政の役割、そして政治主導での官僚の使い方です。それは、制度論に収まるものではなく運用論が主になるでしょう。これについては、政治家、研究者、報道機関などの意見も重要ですが、何より当事者である官僚の、現実を踏まえた考えと発言が求められます。

もう一つ、官僚論の問題点を挙げておきます。それは、日本の行政と行政学が国内に引きこもっていることです。かつて「日本の官僚は世界一」と評価され、慢心したことの代償でしょう。この点を厳しく指摘したものとして、砂原庸介・神戸大教授の「日本の行政は他国の行政に学べるか―あるいは行政学の国際化」(季刊「行政管理研究」2025年6月号)を紹介しました。

これで本論を終え、次回からは「まとめ」に入ります。

個人の再登場、2

2026年3月19日   岡本全勝

個人の再登場」の続きです。
社会において「組織中心の社会」から「個人中心の社会」への転換しつつあることは、行政においても同様です。
明治以来の行政は、国民の福利向上のために努力してきましたが、まずは国家を強くし、豊かにすることでした。富国強兵です。産業振興も、企業や業界団体を相手にしました。公共サービス充実も国民を相手にしていますが、その手法は国民個人個人を相手にせず、提供者などを通じてです。医療、教育もそうです。企業も自営業も農業者も、団体に加盟することで、行政の支援を受けました。中央省庁は各業界を相手にしていて、国民はその先にいるのです。これは、サービス充実には効果的な手法でした。

個人が属した組織には、宗教団体もあります。心のよりどころとして、宗教団体に入りました。宗教団体も大きな組織になると、信仰とともに組織の維持拡大が課題になります。時には、個人より組織が優先されます。経済取引なら不利ならやめることができますが、信仰は思い込みなので、信者は脱出するのは難しいようです。

他方で、組織中心から個人中心の社会になると、人と人とのつながりが重要なことが認識されました。組織に属さないと、人は孤独です。「居場所」の重要性です。対策としては、やはり組織に属するのか、組織ではないつながりを作るのかです。
近代市民革命は、王権による市民の活動への恣意的な介入を阻止し、他方で自立して平等な市民を理想としました。フランス革命では、宗教も中間団体もそれを阻害するものとして否定されました。しかし、自由が確立すると、個人の孤独と不安が見えてきました。
中間団体は新たな形で復活し、宗教も続いています。それらに属さない人たちに対して、どのように安心を提供するのか。次の課題です。