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コメントライナー寄稿第25回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第25回「官製雇用格差を止めよ」が10月27日に配信され、11月4日のiJAMPにも転載されました。

職員の3人に2人が非常勤という役場を想像できますか。
政令指定都市を除くその他の市区町村(1721団体)では常勤92万人に対し非常勤47万人で、合計に占める非常勤の割合は34%です。実に3人に1人が非常勤です(2024年4月現在。会計年度任用職員で任用期間が6か月以上かつ1週間の勤務時間が常勤職員の半分以上の職員に限る)。
最も比率が大きい町では68%(常勤126人、非常勤262人)ですから、3人に2人です。60%を超える町村は8団体、50%以上は117団体、33%以上だと1000団体を超えます。
政府は国地方を通じて行政改革を進め、職員数を削減し、給与を据え置きました。その結果です。

民間企業は30年以上の間、リストラという名の従業員削減を行い、ベースアップを止め、業務を外部化して非正規労働者に切り替えました。各企業の業績は回復したでしょうが、日本全体としては勤労者所得が増えないのですから消費は増えません。「結婚できない、子どもを持てない」という若者の悲鳴は、社会全体の不安につながっています。日本の長期停滞の原因にもなったのです。
景気を回復させるには個人に回るお金を増やし、社会の不安を減らすには雇用格差を減らす必要があります。

現場では仕事がきつく、悲鳴が上がっています。対応策として、まずは会計年度任用職員のうち、能力があり希望する者を常勤職員に切り替えて、安定して働けるようにすべきです。しかし、財源手当や制度見直しは各自治体では限界があり、政府が取り組むべきです。

連載「公共を創る」第238回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第238回「政府の役割の再定義ー議員と官僚、公的な「組織と組織」の関係に」が発行されました。前回から、野党と官僚との関係について説明しています。

私が自治省財政局交付税課長補佐の時の主要な仕事の一つが、野党議員との接触でした。毎年度、算定の根拠となる地方交付税法の改正案を作り、国会を通すことが必要です。国会質疑のかなり前から議員と接触し、法案の概要を説明し、疑問に答えることを始めます。審議日が決まると、それら議員の事務所に、質問を取りに(教えてもらいに)行くのです。 国会審議の時期になると、役所にいる時間より、議員会館にいる時間の方が長かったのです。
当時野党の社会党の五十嵐広三・衆院議員に呼ばれ、どのようにしたら分権改革が進むかを、2人で考えたこともありました。

私は、議員に呼ばれ地方財政の説明をすることを、うれしく思いました。地方行政の理解者を増やすことになり、また新聞やテレビで見た国会議員、国権の最高機関の構成者に会うことができるのですから。「××議員と親しい」ことを、誇りに思っていました。
しかし、だんだんと疑問が湧いてきました。官僚は府省の職員であって、政党の職員でもなければ、政党の関係者でもありません。国会議員の質問案を作成することは、「与党の下請け」とも違った、「議員の部下」の仕事ではないだろうかということです。

国会議員が政策を勉強する際に、官僚を呼ぶことは理解できます。しかし、国会議員には政策秘書が付き、各党には政策審議の事務局があります。まずはその人たちと勉強すべきではないでしょうか。そして、各議員がバラバラに官僚を呼ぶのではなく、政党という組織として役所を呼んでもらうべきではないかと考えています。それは、質問主意書についても言えます。
疑問があれば官僚を呼ぶということを続けている限り、議員と政党は官僚に依存することになり、政党の政策審議能力は向上しません。

連載「公共を創る」第237回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第237回「政府の役割の再定義ー官僚の使い方」が発行されました。

前回から、与党と官僚とのおかしな関係を議論しています。それは、内閣の部下である官僚が、与党の部下として働いていることです。特に問題なのは、政府案の与党への説明や調整を、政治家ではなく官僚が行っていることです。
大臣や副大臣、政務官という内閣側にいる与党政治家が、関係の与党議員や与党機関に説明に行き調整するという形にすれば、与党の責任という点では問題は生じません。

野党との関係では、「与党の下請け」のような「野党の下請け」は起きません。ところが、与党の場合は政府案を作成する過程で、官僚機構を実態としてあたかも「部下」「下部組織」のように使うことができますが、野党が政策を立案する際には、このような官僚機構の組織的対応はありません。
官僚機構は、日本一のシンクタンクとも呼ばれます。それぞれの所管範囲について最も詳しいのは各府省です。政党が政策を立案する際には、与野党を問わず、一定の決まりの下で官僚機構を使っても良いと思うのですが。

現状では、野党のヒアリングは政策立案のための勉強過程ではなく、内閣や与党の既定決定事項への攻撃が多くなっているように思います。野党が政権奪取を目指し、政府・与党案に対抗する政策を検討するなら、与党と同じように官僚機構を使えるようにすることも考えられます。もっとも、各党が政策立案組織を充実させ、そこで議論することが本筋でしょう。また、さまざまな研究機関やシンクタンクと連携することや、支援を受けることも考えられます。
与党だけが官僚機構を「使うことができる」という現状が正しいのか。疑問を呈しておきます。

連載「公共を創る」第236回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第236回「政府の役割の再定義ー成熟社会における対立・亀裂」が、発行されました。

政治主導の時代には、政党の役割も大きくなります。ところが日本の政党は、十分にその役割を果たしているようには見えません。前回は、現在の政党の機能不全の理由の一つ目として、政党の努力不足を説明しました。これは、政党自体の問題です。
今回はその二つ目、社会の変化によって対立軸が複雑になり、不明確になったことを説明します。これは、外部環境によるものです。

昭和後期の日本政治の対立軸は、自民党と旧社会党の対立(55年体制)でした。思想的には資本主義と社会主義の対立、保守対革新の対立でした。社会階層間の対立も代表していました。ところが経済成長を達成し、「一億総中流」という言説ができたように、階級差が消滅しました。他方、ソビエトと共産主義陣営の崩壊で、資本主義対社会主義の対立も消滅しました。

では、社会の対立や問題はなくなったのか。実際には、そうではありませんでした。本稿では、豊かさと自由と安心を達成したと思ったら、隠れていた社会の問題が顕在化したこと。その後に長い経済停滞に入り、新しい問題が生じていること。それに対し政治と行政が的確な対策を打てずにいることを論じています。
私は新しい不安として、三つの亀裂を挙げています。正規労働者対非正規労働者、昭和を懐かしむ保守と社会の変化を認める革新、排斥と包摂です。

この三つの対立・亀裂は、切り分けられたそれぞれが集団になりにくく、集団としてまとまっていません。困っている側の人たちは、組織化し得ない人々です。だから、対立軸の発見が遅れてきたとも言えます。政党も、それを拾い上げることに失敗しています。

連載「公共を創る」第235回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第235回「政府の役割の再定義ー現在の政党の機能不全」が、発行されました。前回から、政治主導の時代における、政党と官僚の関係を議論しています。

政党は、政策の束(選挙公約)を示してできるだけ多数の国民の意思を集約し、議員の集団となる多数派を構成し権力の座を目指す仕組みとして、代議制民主主義において不可欠の存在です。憲法に「政党」という言葉が出てこないことが、不思議なくらいです。ところが日本では、政党は「評価の低い」存在です。
官僚主導政治が成果を挙げたことも、その原因でしょう。政治に責任を持っているのは官僚機構であり、与党として自由民主党が、内閣と国会において協働する。一部の野党が報道機関や進歩的な学識者と共に、それを批判するという構図が出来上がったのです。この構図では、確かに政党の存在が薄くなってしまいます。

現在の政党の機能不全の原因は、政党側と社会の側双方にあるようです。前者は、各党の努力(支持者の獲得とそのための政策の提示)の不足であり、後者は、社会の変化と対立軸の複雑化・不明確化です。
まず、政党の努力不足とは、次のようなことです。
その一つ目は、支持者獲得の努力です。55年体制では、農業や自営業、経営者や管理職などを自民党が代表し、労働者や貧困層を社会党が代表しました。政党は支持者を確保し拡大するために、党員の拡大と支持者の取り込みに励みます。自民党は各種の業界団体と友好関係を築き、社会党は労働組合と二人三脚でした。ところが、このような条件はなくなりました。各党は、それに代わる党員確保や支持者獲得のために、組織的努力をしているのでしょうか。戦略的に、下部組織の拡大と党員の確保を行っているようには見えないのです。

政党の努力不足の二つ目は、支持者獲得につながる、一定層に狙いを絞った政策の提示という点です。支持者の確保・拡大のために政策を磨いているようにも見えません。選挙の際に発表される公約は総花的で、国民のどの層・どの地域・どの集団を主に狙っているのかが不明確なのです。