マスコミ(新聞やテレビの報道)が、ニュースの競争をします。例えば、政府が発表する内容や政府が公表していない情報を、いち早く報道するのです。
記者の間では「抜いた」「抜かれた」と、他社との競争が激しいようです。もっとも「どうせ明日になれば公表されるのに」と思うことが、しばしばあります。「抜く」という言葉には、他社より速く報道する(他社を出し抜く)と、非公開情報をすっぱ抜くの、二つの意味があるのでしょう。
政府側は、何らかの事情があって、ある期日まで部内限りの秘密とします。その事情はさまざまです。閣議決定事項なので、閣議後公表する予定になっている、あるいは関係者への事前説明が終わっていないとか。相手(外国だったり国内の交渉相手)との交渉途中なので、まだ公表できないとかです。これらは、ある日が来ると、あるいは交渉がまとまり公表できる段階になると、公表します。別に、「部外秘」というのもあります。国家機密(例えば日本の防空体制、政府のコンピュータシステムへのアクセスするパスワードなど)です。また、個人のプライバシー情報も、保護されます。これらは、かなりの期間、秘密とされます。
すると、記者が「抜く」ことの意義や影響を、場合に分けて考えることができます。不十分な検討ですが、次のように整理してみましょう。
閣議決定内容が事前に報道される場合。これは内容が決定済みなら、影響はそう大きくはないでしょう。事前根回しがまだの関係者が、すねる場合があります。決定案が作成途上だと、やっかいなことになります。漏らしたのは、情報をもっている人(政府部内)でしょうから、情報管理に問題があります。
相手と交渉中の場合。これは大きな問題になります。まだ交渉中なのに、その過程が明らかになる、あるいはこちら側の手の内が明らかになると、交渉はうまく行かないか、不利になります。そして相手が複数の場合は、さらにややこしくなります。交渉が難航するか、相手国を利することになります。途中経過を、相手側が「意図的に」漏らす場合も考えられます。これはそうすることが、その人にとって有利に働くと考えた「作戦」かもしれません。情報管理に問題があるとしても、このような情報を記事にすることは、一考の余地があると思います。
国家秘密の場合は、内容によって、違ってくるでしょう。防空体制を公表することは、相手国を利することで、国家の利益を害します。パスワードも、犯罪者を利することになります。他方、アメリカのペンタゴンペーパーズや、ウォーターゲイト事件では、「政府の犯罪」を追求することになりました。
「報道機関」カテゴリーアーカイブ
新聞記者のツイッター記事
5月1日の朝日新聞が、「記者ツイッター、あり方は」を、特集していました。朝日新聞では、記者が、朝日新聞の記者を名乗って、肩書きを公表して、ツイッターを発信しています。そのガイドラインも、発表しています。
私は、ツイッターを読んでいないので、詳しいことは論評できません。しかし、新聞記事のあり方を問う、基本的な問題に触れると思います。
ツイッター記事は、記者が個人ではなく、新聞社の一員として書くことです。「記事の内容は社を代表するものではない」とガイドラインは書いていますが、それは当然でしょう。しかし、代表しないとしても、記者の書いたツイッターが「事件を起こした場合」に、社は責任を問われるでしょう。
その点で、「署名」と「社の意見」という点からは、記者が書くものは「ツイッター記事」「本紙の署名記事」「無署名記事」「社説」に別れると思います。
そのような観点からは、新聞の署名記事と、ツイッターはどのような点が違うのでしょうか。署名記事は、社を代表するのでしょうか。
「社の組織による編集」をどう考えるかです。
さらに触れるなら、社説とは何でしょうか。これは「社を代表する意見」だと思いますが、記者はそれに縛られるのでしょうか。特定のテーマについて、社内にもいろんな意見があると思います。どのような手続で、意見を集約して「社の意見」としておられるのでしょうか。議事録はあるのでしょうか。ある論説委員の署名の意見なら、理解できるのですが。
記者会見、記者の役割
大臣の記者会見に同席していて、気になることがあります。記者の皆さんが、下を向いて一心不乱にパソコンを打っているのです。大臣の発言を、直ちに記事にしているのでしょう。
でも、記者会見の場は、テープ起こしの場ではないですよね。質問をして、その答えに対して次の質問をする(再質問、突っ込みを入れる)。そして政治家の考えや、まだ公表されていない将来に向けての課題や方向を探る貴重な場です。
大臣秘書官や総理秘書官、さらには県の総務部長を務めて、「次はどのような質問が来るかな」「こう答えたら、次はどのように突っ込みが来るかな」と、考える癖が付きました。もちろんこれは、記者会見だけでなく、国会答弁や講演会での質疑応答でも同じです。
記者さんたちが、質問をしない、ありきたりの質問しかしない、答があったらそれで納得して再質問をしない。この状況を見ていると、「おいおい、そんな答弁で納得していてよいのかい」「もっと、こんな質問をしてくれよ」と、がっかりします。
当局側からすると、その方が楽なのですが。一国民としては、「もっと鋭い質問をしてくれ」と思います。それが、政治家の力量を明らかにすることであり、記者の力量を明らかにする場です。会話を通じた「真剣勝負の場」でしょう。国民代表として会見に出席し質問の機会を与えられているのですから、それにふさわしいやりとりをしてほしいですね。もちろん、事前に質問とさらには再質問を、考えておく必要があります。
視線がパソコン画面に向かっている限りは、鋭い質問や再質問はできないでしょう。政治家の表情を読むことも重要です。マイクの横には、ボイスレコーダーを置いているのですから。テープ起こしは後にして、政治家の表情を読み、次の質問を考えた方がよいと思うのですが。どうかな、H記者、H記者、K記者。
新聞の役割・ビッグネームと読者を結ぶ
10月21日の朝日新聞、オピニオン欄「ようこそ、論争の解放区へ」に載っていた、イギリス、フィナンシャル・タイムズの論評面編集長(コメント・エディター)のジェームズ・クラブツリーさんの発言から。
・・どうすれば自分たちの「商品」がインターネット時代に適応できるか。あらゆる新聞が、それを見極めようとしています。「何が起きたのか」という基本情報はもはや新聞の独壇場ではなく、どこでも手に入る。だからこそ、オピニオンの時代です。
新聞には、見識に裏付けされた質の高い分析・論評が、ますます求められています・・
コメント面は、専属コラムニストと外部執筆者が、ほぼ半分ずつ書いています。エディターの役割は、最もホットなテーマと、それを最も面白く語ってくれる最もビッグなネームを探し出すこと。よそとは違う発想や争点を探し当てるコツが必要なのです。
経済紙なので、読者の中核は投資家や経済人です。何がビジネスに影響を及ぼすかを知るには、政治リスクの理解が欠かせません。企業の四半期決算を見ているだけではだめで、「アラブの春」や福島第一原発事故がわからなければならない。たとえば原発事故では、日本という国がこの危機にどう対処し、それは現代日本のありようをどう語っているのか、といった論評こそが興味を持たれます・・
追悼、辻陽明記者
今日、22日の朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記。NPO前へ」に、次のような記述がありました。
・・この連載は、昨年、食道ガンのため53歳で亡くなった記者が残した企画書が出発点だった。朝日新聞編集委員だった辻陽明。NPOや公益法人の取材に力を注ぎ、こう言っていた。「自分たちの力で社会を良くしようとする人々が、NPO革命を起こした。日本社会は捨てたものではない。希望がある」・・
辻さんには、親しくしていただいていました。きっかけは、私が総務省交付税課長の時です。2003年12月4日の朝日新聞1面に私の名前が出ました。「交付税課長が講演会で『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない』と発言した」という記事です(2003年12月4日の記事)。この記事を書いてくださったのが、辻記者でした。その少し前に地方財政の取材に来られ、私が解説したついでに「今度講演会があるので、それも聞いてください」とお誘いしたのが、きっかけです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(現内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は、「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。
その後も、辻記者は、経済関係の鋭い記事(2007年6月23日の記事など)を書かれ、幾度か「岡本さんの意見を聞きたい」と尋ねてきてくださいました。朝日新聞記者とは思えない「素直な姿勢?」で、私はウマが合いました(失礼)。時々、夜のおつき合いもしてもらいました。もっとも、辻さんは、お酒は飲まれませんでした。「いや~、少し体調が悪くて・・」とおっしゃっていたのは、今思うと、お病気のせいだったのでしょうか。
さらに、ボランティアやNPOの取材を続けられ、「新市民伝」の連載もしておられました(2006年9月16日の記事)。私は、辻さんに「どのようにして、街の活動家を捜してくるのですか?」と、尋ねたことがあります。
私が秘書官になってから、連絡をかまけていました。今日、この記事を読んで、びっくりしました。まだまだ、いろんなことを教えていただき、また書いて欲しかったです。53歳とは、あまりに若い。あの落ち着いた、そしてにこやかなお顔が、目に浮かびます。残念です。ご冥福をお祈りします。