カテゴリーアーカイブ:ものの見方

歴史教育と歴史学2

2019年5月3日   岡本全勝

歴史教育と歴史学」の続きです。

多くの学問は、大学での学問や研究者の最先端と、高校までの授業内容・大学入試問題がつながっています。しかし、歴史学は違うと、思います。
その第一の理由が、他の学問では、基礎知識を覚え、それを基に応用があるのに対して、学校の歴史教育には、覚えた事実を基に、何か思考するということがないのです。

それは、これまでの歴史学の内容と方法に問題があったのではないか、というのが私の考えです。
これまでの歴史学が、主に政治史であって、出来事の羅列であったからです。英雄たちや政治家がどのような政治体制をつくって、どこを支配したかを覚えさせられます。しかし、それでは、次につながりません。
民衆が出てくるのは、革命の時くらいです。経済が政治を規定するという、マルクス史学(経済学)も、大きな流れでは真理を含んでいますが、それ以上の展開はないです。

歴史学も、新しい事実(遺跡や古文書)を発見して、新しい知見をもたらしてくれます。しかしそれは、知識が増えただけで、「考える学問」とは違います。
英雄の歴史や戦争、王朝の興廃も、読み物として面白いですが、それは小説の世界です。
社会が、どのような原因でどのように変化したか。そのような「分析」なら、「考える学問」だと思います。
出来事の歴史ではなく、経済の発展、民衆の生活水準の発展、文化の変化など、「原因と結果」を説明するような歴史学なら、「知識の記憶と応用」があると思うのですが。
この項続く

歴史教育と歴史学

2019年4月29日   岡本全勝

4月20日の日経新聞教養欄、本郷和人・東大教授の「細川頼之(上) 京都中心の新国家像描く」に次のような話が、書かれています。
・・・面接官が尋ねる。あなたは大学で、社会に役立てる何を学んできましたか? 理系は楽に答えられよう。法学部・経済学部も容易に答えを作成できそうだ。問題は文学部である。とくに実学とは縁遠い歴史学は結構つらい・・・

続きは、原文を読んでいただくとして。以前から考えていたことを、書いてみます。素人の考えなので、皆さんの意見をいただきたいです。
まだ、結論を見出していないのですが。歴史学の持つ意味です。
多くの学問は、大学での学問や研究者の最先端と、高校までの授業内容・大学入試問題がつながっています。しかし、歴史学だけは、違うような気がするのです。

中学や高校で歴史(日本史と世界史)を学びました。当時の私の感覚では、「歴史(の授業と試験)は覚えるものだ」ということでした。その覚えた事実を基に、何か思考するということは、ありませんでした。覚えることが多くて、それどころではなかったとも言えます。
何を言いたいか。他の学問分野では、基礎知識は覚えなければなりませんが、それを基に応用があります。ところが、学校の歴史(学)には、それがないのです。
算数や数学も公式や定理を覚え、問題を解きます。3+3=6は覚えますが、それだけを覚えるのではなく、足し算とは何かを覚えます。そして、いろんな数字が出てきても、足し算できるようになります。理科系の学問はそうでしょう(もっとも、私が学生の頃の生物学は、覚えることばかりでしたが)。

文化系の学問でもそうです。国語も古文、漢文も、取り上げられる小説や文章を丸覚えするのではなく、そのような文章の読み方や理解の仕方を学びます。よって、大学入試には、これまで読んだこともないような文章が出てきますが、質問には答えることができます。
ところが、歴史(学)は、応用が利かないです。私の偏見かもしれませんが。
なぜだろうと、考えました。この項続く

山崎正和さん「平成と日本人」

2019年2月27日   岡本全勝

2月24日の読売新聞1面コラム「平成と日本人 激動期経て生き方に変化」で、山崎正和さんが、鋭い分析をしておられます。

・・・他方、平成の30年は自然災害と経済低迷によって、いわば両手打ちを食らって手荒く始まった。災害と経済には似たところがあって、どちらも人為の力で対処できない面がある。人が自分の生き方を変え、環境と運命に適合していく知恵が必要になるのである。
その点、平成の日本人は災害について素晴らしい反応を見せた。阪神淡路、東日本、熊本などの大震災、中国地方の水害を含めて、平成の災害では全国規模の市民の自発的支援活動が一般化した。年齢や階層を問わぬ市民が私費で参加し、それを周旋、組織する専門家の民間活動団体(NPO)も結成された。明治以来の近代社会の中で、血縁地縁によらない相互扶助が習慣化したのは最初ではないだろうか。

これに対して経済の方は、不況、低成長を長らく嘆かれながら、それにしてはよく安定しているというのが、庶民の実感だと言えそうである。失業者数も少なく、倒産社数も突出せず、住宅や高額商品のローン負債者の群れも目立たない。何と言っても、アメリカや中国のような所得格差の天文学的な開きは日本には認められないのである。

明らかに経済の面でも、日本人は平成の直前頃から生き方を変え、大量生産、効率主義からの自発的な転換を図っていた。物質の消費よりは情報の享受に関心を持ち、趣味、観光、スポーツなど、文化活動により多くの時間を費やす傾向を強めてきた・・・

・・・平成の30年を見渡したとき、GDPを比較すると日本の国力が相対的に低下したことは疑いない。日米中の3国の動向を比較しても、そのことははっきりしている。GDP至上主義者は落胆するだろうが、その代わり、今日の日本には明治以来のいつの時代にもなかった、誇るべき国威が新しく芽生えているように思われてならない。
ほかでもなく、日本人が今風に言えば「生きざま」を変えて、生活の文化を磨き、他人への配慮を強め、社会関係の質を高めようとしてきたことの結実である・・・

山崎先生の評論は、いつものことですが、視野の広いそして鋭い分析に脱帽します。原文をお読みください。

人体形成の秘密

2019年2月26日   岡本全勝

ジェイミー・デイヴィス著『人体はこうして作られる  ひとつの細胞から始まったわたしたち』(2018年、紀伊國屋書店)が、興味深かったです。

一つの細胞から、私たち人体が作られます。それも直径0.1ミリメートルの細胞です。一つの細胞が、37兆個(と本書では書いてあります。60兆個という説もあります)に分裂します。
原題は「Life Unfolding」です。一つの細胞・遺伝子から、アミノ酸・たんぱく質を次々作ることで、遺伝子情報が人体を作り上げます。折りたたまれていた情報が、展開する印象がわかります。

人体の設計図が、すべて遺伝子に書かれているのではなく、たんぱく質の生成が書かれていて、それがある時期ある場所で発現することで、次々と機能ができあがります。脳ができたり心臓ができたり、血液ができたり・・・。設計図なしで、この人体ができるとは、不思議としか言いようがありません。
大昔の地球で、分子が結合してアミノ酸になり、いろんな条件の下、様々な試行錯誤の上に、いまの人体・人類ができあがっています。遺伝子も、アミノ酸の結合体です。他の生物も。神様がいないとすると、この過程はすべて、偶然が作り出したものです。
で、この本を読んでも、「まだまだわからないことが多いんだなあ」というのが、読後感です。

自然科学にとって、宇宙のなり立ち・物質のなり立ちと、生命・脳が、2大不思議でしょう。社会科学においては、「人間関係」が一番難しい不思議だと、私は考えています。

できあがったものか、つくるものか3

2019年2月16日   岡本全勝

できあがったものか、つくるものか2」の続きです。
この項を書き始めた趣旨は、実は「日常の行動が、思考を制約する」ということでした。 社会学では、カール・マンハイムの「存在被拘束性」ですね。科学史では、トーマス・クーンの「パラダイム」にも通じます。

解釈法学を学んでいると、また、できあがった政治の分析を学んでいると、現在の制度や社会を固定したものと見るようになりがちなのです。歴史学は過去を分析しますが、社会科学系の学問一般に、未来の制作より過去の分析に重点が置かれます。

歴史学が過去との対話であるのに対して、官僚は現在と未来の国民に責任を持つために「未来との対話」が必要だと、日経新聞コラムにも書きました。
公務員・行政組織は、社会の新しい事態に対応することが任務の一つです。しかし、解釈法学の世界に住んでいると、そして制度はできあがったものだと考えていると、この制約にはまり込みます。すなわち、現在の仕事が、あるいは仕事のやり方が正しいと思ってしまいます。そのやり方を変えるという視点を持たなくなるのです。

インフラ整備・公共事業も、気をつけないと、造ることが目的になってしまいます。
例えば、公営住宅です。かつては、不足する住宅を補うために、戸数を整備することが任務でした。今は、住宅は戸数だけ見ると余っていて、空き家が問題になっています。他方で、公営住宅での孤立、孤独死が問題になっています。
すると、建設ではなく、入居者への支援が大きな課題になります。土木部ではなく、民生部の仕事になるのです。
「住宅を作る」ではなく、「住宅で何が問題か」という発想が必要になります。過去の延長ではなく、現在の課題と未来への対応という思考が必要なのです。

2000年に介護保険制度を導入したのは、良いことでした。増える高齢者・介護対象者を見越して、この制度をつくりました。多くの人が助かっています。
定住外国人の受け入れも、それに当たります。これまで受け入れた経験で、地域での共存、子弟の教育などが課題とわかっています。今後、大勢の外国人労働者を受け入れるので、その準備が必要です。
これらは、既存制度の少々の手直しでは対応できない、大きな社会の変化です。

四角な座敷を丸く掃く」で、四角な仕事の外(大きな丸)を考える必要性を述べました。座敷の中に閉じこもっていたり、砦の中だけを深掘りしていてはいけません。