カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

偉人たち、人生の快楽

島地勝彦著『そして怪物たちは旅立った』(2019年、CCCメディアハウス)を本屋で見つけて、読みました。島地さんは1941年生まれ、『週刊プレイボーイ』編集者として有名です。近年は、バーテンダー、エッセイストとして活躍しておられます。

この本は、雑誌に連載された文章を、一冊の本にまとめたものです。作者が興味のある歴史上の人物100人を選んで、その人の葬式に出席して読む弔辞という形を取っています。「寝る前に2、3人ずつ読むと良い」と書かれています。

もちろん、歴史上の偉人を、公式の活躍ぶり、正面からは取り上げません。島地さんの物差しで、切り込みます。酒と女とたばこ、とおっしゃいます。
人生の楽しみは、このほかに、名誉とお金、美食でしょうか。へえ、と思うことがたくさん載っています。かなりの読書をなさったのでしょうね。また、それを覚えておられる。すごいことです。
短いコラム、本の形にしても一人3ページの短いものです。できればこの2倍の分量があれば、さらに面白いものになったと思うのですが。
近年は、英雄の伝記ははやらなくなったのですが、人生の道しるべとしては、意義があります。凡人は、そのようなまねはできないと思いつつ、夢を持ったり、少しまねてみたり・・・。

官僚という職業を選んだので、私は、そんな面白いことを楽しめませんでした。キョーコさんからは、「お酒を飲んだじゃないの、飲み過ぎ」とおしかりをうけていますが。
「仕事で楽しんだじゃないか」と、ヤジが飛んできそうです。

よき死に方、よき生き方。佐伯啓思先生

7月6日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「死すべき者の生き方」が、勉強になりました。取り上げられているのは安楽死です。これも寿命が延びると重要なテーマですが、先生は、どのような死に方をするかは、その最後までいかに生きるかの問題だと提起されます。

近代社会では、「よき生」は問わずに、生きることが至上の価値とされ、生命の尊重が最高の価値となったこと。20世紀には経済成長と福祉が求められ、21世紀には医療技術と生命科学の進歩によって、あらゆる病気を克服して寿命を延ばすことが目標になったことを指摘します。

近代市民社会そして憲法は、各人の生き方については本人に任せ、国家が立ち入らないこととしました。そして、どのような死に方をするかもです。それは、宗教の世界であり、本人の信念とされました。
しかし現代では、宗教がかつてほど人の信仰を引きつけず、他方でどのように生きるかも教えてもらえません。道徳は、社会での行動の決まりは教えてくれますが、生きることの意味は避けます。

私たちが生きる意味を、そして死ぬ意味を、一人で悩むのはつらいことです。
近代市民社会は、宗教や迷信、親や社会の束縛から、自由になることを目指しました。しかし、それらが簡単になくなったわけではありません。西欧で革命が起きても、日本国憲法が施行されても、宗教などは根強く残っていました。それが、近代化が進むことで希薄になりました。市民社会の完成は、何にも束縛されない、そしてよりどころのない、「自由だけれど、孤立した不安な個人」を生みました。
ぜひ、原文をお読みください。

「公共を創る」を執筆する中で、この問題をどう取り上げるか、悩んでいます。宇野重規著『『私』時代のデモクラシー』を読み返しています。

老人とは

5月26日の日経新聞文化欄、久間十義さんの「令和の新老人」から。

・・・ぼうっとしているうちに平成が終わり令和が始まった。昭和(戦後)生まれの私は現在満65歳になる。恥ずかしながら、うかうかと時を過ごしてきた感は否めない。
20年前、まだ40代半ばだったとき、65歳は充分年寄りに見えた。というか、当時の私は65歳の方々を一仕事終えた老人と思いなしていた。あとは余生を過ごすだけの「一丁あがり」の人たちだ、と。
しかし自分がその歳になって、大変な間違いだと気づいた。まず「あがり」も何も、一仕事やった覚えが私にはない。気がつけば定年を過ぎたけれど、まだ老いて死ぬ間際という意識もない。身体はそれなりにくたびれてきても、頑張ってメンテナンスすれば後十年や二十年は図々しくやっていけそうな気配なのである。要はエセな新老人が一人、しゃあしゃあと生きているのだ・・・

・・・米国の「失われた世代」を代表する批評家マルコム・カウリーが『八十路から眺めれば』で、老化の目安を「美しい女性と街ですれ違っても振り返らなくなったとき」と断じていたが、まあ、すべてにそんな按配だ。
カウリーは他にも「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」とか「笑い話に耳を傾けていて、他のことはなんでもわかるのに話の落ちだけがわからないとき」とか、色々挙げていて、ぐさぐさくるボディーブローにうなだれる・・・

先駆者の苦労、石井幹子さん

5月5日の日経新聞、The Style 照明デザイナーの石井幹子さんのインタビューから。
東京芸大を出て、フィンランドで、照明器具製作会社に勤めます。帰国後、大阪万博の施設照明を手がけて有名になります。しかし海外での仕事を体験すると、日本の夜景の寂しさが我慢ならなくなってきます。

・・・京都での国際照明委員会の世界大会を控えた1978年、京都タワーから夜の街を見渡すと、見えるのは道路照明とネオンばかり。数々の歴史的建造物が光に浮かぶ欧州とは比ぶべくもない。大会までになんとかしなければとしない72か所の照明プランを市役所に持ち込むが、一顧だにされなかった。「これは実物を見せなきゃわからないんだ」
二条城と平安神宮の許可をもらって道路から照らすと、続々と見物人が集まる。手応えを感じ、仕事で訪れる街々で自腹を切って「照明実験」を続けた。名古屋、大阪、広島・・・。「もう布教活動ですよ。ライトアップ教」。8年目、横浜市内の12か所を照らした4日間のイベントで、来場者は10万人に達した・・・

いまは、普通に見ることができるライトアップ。先駆者は、苦労されたのですね。私が、当時の市役所の担当職員だったら、どのような対応をしたでしょうか。

がんの公表と励ましと

4月17日の朝日新聞オピニオン欄「がん公表、相次ぐけど」、海原純子さん(心療内科医)の発言から。

・・・芸能人やスポーツ選手といった有名人が、ブログやSNSでがんであることを公表するケースが相次いでいます。常に注目を集める有名人の場合、公表したほうが落ち着いて治療できるし、頑張る姿を見せることで、自分や同じ立場の人を支えたいという動機もあるでしょう。

ただ、公表に対する反応を見ると、受け止める側の私たちに、もっと細やかな気遣いが必要だと思うことがあります。SNSには「がんとの闘いに勝ってください」「頑張って」といった励ましの言葉が並びます。病気がわかった人を支えようという気持ちはすばらしいと思います。
一方、患者の側には、がんの治療を「勝つ」「負ける」で表現されるのはとてもつらく、落ち込むという方も多いのです。有名人による公表を、誰もが自分の勇気に変えられるとは限りません。「あの人はあんなに勇敢にがんに立ち向かっているのに、なぜ私は……」という二重のつらい思いに苦しむ人も出てきます。みんなが、がんに敢然と立ち向かえるほど強いわけではないのです。
がん治療が著しく進歩しているのは確かです。でも「勝つ」が、完治や、症状を抑えられる寛解を意味するなら、治らないがんに苦しむ人たちは、「自分は負けなのか」と思ってしまいます・・・

自分が病気になったとき、どのように心の平静を保つか。家族や知人が病気になったときや落ち込んだときに、どのような声をかけるか。難しいです。