日本経済新聞「私の履歴書」今月は、松本紘・元京都大学学長、理化学研究所理事長です。6日は、高校入学でした。先生は、郡山中学から奈良女子大附属高校に進学します。そう、私の母校です。
・・・1学年3クラスの150人で男女は半々。うち100人は付属中からの内部進学で、残り50人が他中学からの受験組だった。内部進学組は格好良く洗練されスマートに見えた。入学すると、他中学から来た生徒は外様、内部進学者は譜代と呼ぶような見えない壁があった・・
私が入学した昭和45年は、1クラス40人、1学年120人でした。男女半々は同じです。外部からの編入は、20人くらいだったのでしょうか。その後、中高一貫校になりました。
郡山という町の学校から進学された松本先生と違い、村から進学した私は、内部進学組だけでなく皆が、洗練された都会の子に見えました(郡山は奈良市の南隣、明日香村から奈良の学校までは毎日が遠足でした)。皆の髪の毛は長いのに、私は丸坊主だし。しかし、鈍感だったので、外様と譜代の違いは、気になりませんでした。私以外全員が都会の子で、私+何人かが田舎の子という区分に見えたからでしょう。2年生になったら、生徒会長や文化祭実行委員長もさせてもらいました。これは、外部編入組では初めてだったそうですが。松本先生も、文化祭の学年演劇の演出を担当して、その壁を越えられたようです。
私の方は、東大に入ったら、これまた東京の子は洗練されて、何でも知っていることに驚きました。高校でも大学でも、親切に教えてくれる友人がいて、「追いつく」ことができました。彼らのおかげで、今の私があります。今も、飲み会を設営してくれ、いろいろと心配してくれます。感謝しています。
「体験談」カテゴリーアーカイブ
生き様-体験談
茶の湯、藪内。2
今日は、NHK教育TV趣味DO楽、「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」の第3回目。同業者意見交換会を早々と切り上げて、21時25分にはテレビの前に座りました。先週放送(今朝再放送)の第2回目を見ても、20年前に習ったことは、ほぼ忘れていますね。反省。
でも、いつか、再度挑戦する機会があるでしょう。フルートとともに。決意表明。その前に、原稿を書かないと。すみません、編集長と待っていただいている読者の方に。
ところで、このような趣味の世界を見る度に、あるいは昔の文化人や官吏の書を見る度に、私は(私を含めて現代の官吏は)、「忙しい、忙しい」と言って、何をしているのか疑問になります。そして、忙しい結果として、何を残しているのでしょうか。
放送は、次回8月25日で終わりです。関心ある方は、ぜひご覧ください。
茶の湯、藪内
NHK教育TV趣味DO楽、8月の月曜日は、「茶の湯 藪内家“織部も親しんだ茶の魅力”」です。すっかりご無沙汰していますが、しばらく藪内を学んだことがあります。この番組は、テレビ欄で見つけました。テレビ欄なんて、めったに見ないのですが。
放送は月曜夜9時半からなので、通常なら、異業種交流会か寝ている時間です。今日は、見ることができました。ご関心ある方は、ご覧ください。
ゆったりとした休日。職場と、ささやかな幸せ
3.11をはさんで、怒濤のような数週間が過ぎました。忙しかったです、ハイ。資料は、たまるばかりでした。
昨日の土曜日と今日の日曜日は、ゆっくりと職場で、資料の整理と思考の整理ができました。でも、資料を整理すると、次の課題が浮かんできて、また仕事を増やしてしまいます。職員のみんな、ごめん。
かなり整理が進んだと満足しつつ、まだまだ机の上には、資料が残っています。しかし、全てを一度には無理ですから、良しとしましょう。切り抜いた新聞記事も、このページで紹介できないままに、たまっています。また、この間に考えたことなども、パソコンのメモに、たまりっぱなしです。追々、取り上げましょう。
復興庁の職場では、増員の準備で、またまた配置換えをしています。引っ越し業者と、電気・電話・通信業者が、作業をしてくれています。これまで3つの階に別れていたのですが、とうとう4つめの階も借りることになりました。民間ビルなので、開いた部屋があったのですが、まとまっては取れないのです。
帰りには、買おうとメモしてあった本を、紀伊國屋で。ついつい、その近くの棚の本も、買ってしまいました。また、久しぶりに、近所の地酒屋さんに行って、1升ビンを一本。親父さんに、いつものように「切れ味が良く、水みたいなの」を選んでもらいました。
キョーコさんが出してくれるおいしい料理、そして先日来紹介している「復興行政への高い評価」をもらったこと、さらに友人が昇進するニュースなどで、今日は満足した休日の夜を過ごせます。ささやかな幸せですね。もっとも、国会が続いていますし、復興はまだまだです。
本業の様子
職員が、懐かしい写真を送ってくれました。平成23年7月29日19時15分の職場(復興対策本部事務局)の様子です。
復興基本方針の本部決定直前です。当時の与党手続きが少々混乱し、それへの対応に追われていました。私は右手に携帯電話、左手に方針案文を持って、現場にいる職員と連絡を取りながら加筆修正をしているところです。今となっては、懐かしいですね。記録に残してくれて、ありがとう。
発災直後の被災者生活支援本部の写真も、残してあります。こちらは、もっと混乱していました。
当時の職員は次々と、親元の省に戻っています。時々、メールをくれます。「当時は大変でしたが、懐かしいです」「岡本統括官のホームページを楽しみにしています」「キリ番をゲットできませんでしたが、きりの良い数字をゲットしたので、画像を送ります」とか。
復興本部や復興庁での経験を、次の職場で活かしてもらいたいです。苦労すること、これまでにないことをすること、ふだんとは違った人たちと一緒に仕事をすることは、勉強になるはずです。岡本統括官に鍛えられ、全勝流の仕事の運びを経験することも(苦笑)。(2013年12月5日)
当日の記事を引用します。
・・昨日、基本方針を決定したので、私たちの仕事は一つの山を越え、次の段階に入ります。
昨日は、本部会合が、与党調整作業によって、20時15分にずれ込みました。ゴーサインが出てから、官邸での会議まで30分。通常なら、2時間は間があるのですが。全大臣への開会のお知らせ、マスコミへの公表、資料の印刷(これもかなりの数になります)、会場での配付、そして会議後の記者会見の設営などです。事前に工程表(誰が何時に何をするか)を作り、各担当が準備をしていたので、間に合わせることができました・・・。続きは(2011年7月30日)をお読みください。